「……連絡が途絶えたな」
 文次郎と小平太は長次と戦闘を終えた後、相手の陣地近くまで移動していた。当然、用具委員長である留三郎が罠を仕掛けてあるだろうことを想定して、相手の陣地近くの森の奥に身を隠している。
 息を殺し気配を消して樹の上で辺りを見回す文次郎が確認を取るように口にした。
 三郎、長次と一戦を交えたあと、瑠璃を一度下がらせた。彼女を“餌”にするという作戦を変えるつもりは無いが、不用意に危険に晒す必要もない。彼女はあれでいて歴としたくのいちの卵である。ひとつの駒として、与えられた任務は確実にこなす実力も備えている。
 自陣の方へ戻った瑠璃は八左ヱ門と勘右衛門と合流し、地形の把握に努めるはずであった。八左ヱ門の使役する動物たちが目を光らせる自陣の森林は防衛には適していたし、勘右衛門の陽動は功を奏した。
 しかし、八左ヱ門から連絡は届かない。彼が落とされた時のために、瑠璃の使役する鳥を控えさせておくとの話であったが、晴れた空には小鳥の影すらも見当たらない。動物の扱いについて、八左ヱ門は学年一、いや一つ上の学年でも彼の虫獣遁に敵うものはいないだろう。その男からの連絡が途絶えたということは、つまり、脱落を意味するということだ。
 ――それにしても、八左ヱ門が脱落を報告できないほどの相手だったのだろうか。文次郎は思案を巡らせる。八左ヱ門ほどの男なら、自分が脱落したこと、その状況等をなんらかの方法で仲間に伝えるだろう。
(ともすれば、逆手に取られたか……)
 虫獣遁を得意とするのは、何も八左ヱ門だけではないということか。こちらに手の内を見せていないのはくのいち教室の“天才”である牡丹だ。彼女と五年間共に学んできた瑠璃ですら牡丹の得意を把握しきれていないと話していた。
『牡丹は今でもプロ忍と遜色ない働きができると評価されています。上忍向きの判断力と洞察力を備えながら、戦忍を目指すだけあって戦い慣れている。ただのおんなだと侮れば、先輩方でも落とされるかもしれません。けれども、彼女もまたわたしと同じ“たまご”なので、漬け込むならそこじゃないでしょうか』
 話せば話すほど、自分との実力差を思い知ってしまうと頭を掻きながら言った瑠璃はそれでも易々負ける気はないのだと拳を握った。
 前だけ向いていればいい。歯を食いしばって泥を啜ってでも、負けん気だけを胸に抱いて生き延びる奴が結局は一番強いのだと、文次郎は委員会の後輩でもある瑠璃の言葉を思い出して目を瞑った。
 高学年になれば、誰しもが自分の得手不得手を知り、否が応でも他者と比較してしまう。自分も同輩たちの中では得意を見いだせず伸び悩んだものだった。
 文次郎が身動ぎもせずに一点を見つめていると、背後に小平太が立った。
 物音は立てやしないのに、彼はよく通る声で声を掛ける。
「戻ったぞ。これでもかと程罠が仕掛けられていた!」
「声がでかいわバカタレ」
 わはは、と腰に手を当てて豪快に笑う小平太は目を細めて文次郎を見つめる。
「あいつら、落とされたのかなあ?」
「……恐らくな。残るは鉢屋と留三郎、それに楪だ」
「想像よりも楪がやるなあ、私、戦ってみたい」
 獣のように目に光を宿す小平太を宥めて、文次郎は再度計画を練りなおそうと持ちかける。二人は太い枝に腰を下ろし、相手の陣地を見据えた。
 ――ぱあん。 
 藍色の硝煙が空に上がった。
 それは二人の予想を裏付ける結果となった。この短期間で札を取り返すかのように八左ヱ門と勘右衛門が落とされたことは想定外ではあったが、まだ敗北したわけでは無い。ここから挽回してこそ、演習の醍醐味だろう。
「あっちも本気ってことだな! さてどうする」
 六年生で参謀といえば文次郎の同室の立花仙蔵の名がいの一番に上がるが、仙蔵に負けず劣らず文次郎は智略に優れる男である。短絡的な性格をしていると思われがちな小平太は、相変わらず目をぎらり光らせながらも文次郎の意見を窺う。
 この演習の大将は文次郎だ。“暴君”と呼ばれながら小平太は、従う相手を見誤ることはしない。合理性を根底に置くところはいかにも忍びらしい。
 文次郎はうむ、と考える振りをした。
「まずお前の意見を聞こうか、小平太」
「わはは! そう言ってくれると思っていた!」
 ずい、と急に顔を近づけて白い歯を剥いた小平太を押しのける。考えがあるからこそ、わざわざ「どうする」だなんて問いかけをした癖に。
「あのな、………」
 小平太の作戦はいつでも単純明快だ。けれども態々彼が言葉にするだけのことは、無謀であっても無策ではない。それに、彼の発想は飛び切り面白いのだ。
 これが任務であったなら、文次郎はこの申し出を一蹴していただろう。そもそも小平太もこのような提案は出さない。後輩を交えての演習など、この学び舎で何度あるかわからない機会だ。最高学年となった今、自分の実力を試してみたい気持ちは誰もが持っている。
「……だめか?」
 子犬のように上目遣いでこちらを見上げてくる大の男に、文次郎はもう一度溜息を吐いた。
「こりゃあ、俺もひと仕事せにゃならんか」
「やった! 頼むぞ文次郎!」
 乱暴に髷を掻いた文次郎と、腰に手を当てて豪快に笑った小平太は頷き合うと枝を踏み付けて勢い良く跳躍した。目指すは相手の陣地だ。

 用意された“砦”に留三郎と牡丹は待機していた。
 背後には崖が迫り、周りを岩に囲まれた紅組の砦はまるで自然の要塞のようだった。入口は一か所しかない。罠を仕掛ける場所も限られるが、入口を通らずに侵入することは不可能な造りになっていた。
 牡丹は気を失っている瑠璃に慣れた動作で手当をしていく。
 懐から取り出した解毒剤を飲ませて、皮膚が剥けて桃色の肉が剥き出しになっている両手首に包帯を巻く。彼女の手際の良さに感心して、思わず同室の善法寺伊作のことを思い出しながら留三郎は声を掛ける。
「お前は保健委員会でもやっていけたな」
「いえいえ。彼らほど生に執着できない性質でして」
 回答に迷う素振りすら見せないのだから恐ろしい。こちらを見ずに答える牡丹は「それに」と付け足した。
「私、救うよりも奪う方が得意なんです」
 強がりだ、と留三郎は口から飛び出しそうな言葉を抑え込んだ。奪う方が得意なのかもしれない。それでも牡丹は救う術を正確に身に着けている。丁寧な包帯の巻き方は、伊作そっくりだ。それが“仕方なしに”身につけたものでは無いことくらい、留三郎にはお見通しだった。相手のことを大切に思っていなければ丁寧な治療はできない。
「生に執着するのも悪いことじゃねえさ、泥臭いのもたまにはいいもんだ」
「みっともないのはごめんですけどね」
 ふふ、と笑った牡丹は水筒で瑠璃の頭巾を濡らして顔を拭いてやる。すっかり治療を施された瑠璃は相変わらず青い顔をして気を失っている。
 先程撒かれていた毒の解毒剤は飲まされているもの、新たに体の自由を奪う毒を盛られていることは明らかだった。
「……なあ、そこまで縛るか?」
 せっせと瑠璃を縛り上げる牡丹に、留三郎が思わず声を掛ける。後ろ手を頑丈に縛られて頭を垂れる瑠璃は人形のように微動だにしない。
「彼女は毒に耐性があるので、万が一に備えて。それに、保健委員会出身の人は変に運が良いところがありますから」
 確かに、と留三郎は納得してしまった。面倒ごとに巻き込まれることの多い保健委員会の面々だが、命に関わる程の大怪我を負うことは少ないのだ。他の生徒よりもずっと多く危険のある合戦場や城の跡地に立ち入る癖に、彼等は毎度五体満足で帰ってくる。
 タソレガレドキの組頭と懇意にしていたり、不思議な縁に恵まれる部分もあり、それはかれらの通り名と反対に“幸運”と呼んでも差し支えないのだろう。
(目を醒ましたら、瑠璃は驚くだろうな……)
 “お姫様”という言葉に拘っていた瑠璃が罪人のように縛り上げられた自分を確認した時のことを想像して、留三郎は肩を竦めた。正直彼にとっては牡丹の対応は用心しすぎのようにも思えたのだが、牡丹は級友の実力と根性を高く評価していた。互いに背中を預けられるだけの信頼を持って、共に進級してきたのだ。瑠璃のことは牡丹が一番よく知っている。
「そろそろ先輩方が来る頃でしょうね。お姫様を取り返しに」
「いいのか? お前等二人に任せて」
 確認を取るような留三郎の言葉に、牡丹が身を震わせた。恐ろしくて震えているのではない、心が勇み立っているのだ。
 牡丹は深く息を吸い込み、留三郎に言った。
「一年の差は大きいですが、かと言ってただやられるつもりはありません」

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