01
"もし一つだけ願いが叶うのなら"
私も、あの子も、もしもの話をするのが好きな子供だった。
当時の私たちは七歳で、いくら夢を見ても現実は変わりやしないことを知っている歳だった。だからこそ、もしも話が私たちの唯一の現実からの逃避だったのだろう。幼いながらに現実の厳しさを知った七歳の少女であった私たちは、子供らしく手を繋いで、スラムの路地でごっこ遊びをしたものだった。ごっこ遊びといっても、おしゃまな少女たちが考え抜いた末に編み出した内容だった。ゴミの山から小道具を探し当てて、しっかり役になりきるのだ。
二人で遊ぶ時、役はもう決まっていた。私は高貴なお姫様。あの子は勇敢な女戦士。襤褸切れを纏って長いショールに素敵なドレス。あの子はくるくると覆面を巻いて、お城で幽閉されている私を遊びに誘う。手を取って、長いドレスを紐解いて、縄梯子にしてお城から逃げ出して、色々な場所を冒険した。割れた陶器の欠片は宝石に。捨てられた貝殻は糸を通してネックレスに。あの子は私の手を引いて、「おひめさま、つきましたよお!」なんて気取って言う。私はもっと凄い。襤褸切れのスカートを摘まんで、「褒美をつかわすわ!」今思い返すと吹き出してしまうけれど、あの時の私たちは真剣で、だからこそ、とっても楽しい日々だった。
本当は、私のほうがずっと活発な子だった。スラムの男の子たちを引っ張って探検だってしたし、年上のいじめっ子相手に喧嘩を吹っかけて噛みついてやったこともある。女だてらにガキ大将だったわけだけど、空想の中では高貴なお姫様。プライドが高くって、しゃなりしゃなりと絹の衣装をはためかせて、銀細工の髪飾りをつけて歩くのだ。昔むかし王宮に仕えたことがあるという老婆から聞いたお姫様の姿があんまり素敵だったから。気の強いおてんば娘はごっこ遊びの中では立派なお姫様だった。
反対に、あの子はマイペースで、いつものんびり。ゴミ山に住み着く猫をずうっと撫でてたり、捨てられた本を眺めたり、かと思えば、一人でごっこ遊びを始めたり。そうそう、はじめは私があの子の空想の世界に混ぜてもらったんだっけ。鈍くさいあの子は空想の世界じゃ万能の女戦士。剣を振り回して、敵をばさばさとなぎ倒す。凛々しく雄々しく敵からお姫様を守ってあげるのだ。
私たちはちっとも似ていなかったけれど、不思議ととても良い友人であった。朝から晩まで一緒に遊んで、頼まれれば靴磨きだって、お使いだって、店番だって二人でなんだってやった。ごっこ遊びから出てしまえば、あの子はいつも私の後ろをついてきて、私は腰に手を当てて膨れるのだ。
「もう!波瑠、おいてっちゃうよ」
***
………なんて、もう、随分昔の話。
十年という歳月は長い。過ぎ去ってみれば思い返す間もないような忙しない日々の重なりであったのかもしれないが、振り返れば随分遠くまで来てしまったと追憶に耽るには十分な時間だった。
潤は簡素なベッドの上で仰向けに寝転んだまま目を開けていた。黒檀のような黒髪がシーツの上に広がり、コントラストを描くような白い肌を惜しげもなく晒している。切れ長の瞳からは漆黒が覗く。端正な顔立ちに、意志の強さを表したような目を持つ美しい少女であった。
久しぶりに、夢を見た。もう十年も前の話だというのに、まるであの日の再現のように鮮明な夢であった。
窓から差し込む月明かりから、まだ目を覚ますには早すぎる時間であることがわかる。もうひと眠りする気にはなれなかった。潤は身体を起こして、ベッドの傍の水差しから水を注いで口へと含んだ。夏場のセロシアの気候は温度が高く、乾いた風が吹く。温い水で喉を潤して、潤は壁にかかっている自分の剣を手に取った。女性でも扱いやすいような細身の、美しい装飾を施された宝剣である。すらりと鞘から刀身を引き抜けば、暗闇でも月明かりを受けて輝いた。
「……もしも、私が、女戦士だったら」
先程見た夢の台詞を口にした。
右手で柄を握り、一閃。美しい軌跡を描いて空気を切る剣は、使い手の技術を感じさせた。
「お姫様を迎えには行かない。剣を持って、敵と戦うの。大事な人を、守るために」
その続きは、夢の台詞とは異なっていた。
そもそも、この台詞を放ったのは潤ではない。女戦士になりたかったのは、彼女ではないのだから。
十年前のごっこ遊びはそれから数年たって、突然終止符が打たれた。
潤が十歳の時に、親友の母が死んだ。女手一つで娘を育て上げた女性だったが、スラムの強かな女性とは異なり、いつも静かに微笑んで針仕事をしている人だった。変わった親子ではあったけれど、潤は親を亡くした親友を支えて生きていこうと決意した。自分の唯一の肉親が他界したことが現実味を帯びないのか、親友は呆然として過ごしていた。
それからまた暫く月日がたって、スラムに大仰な恰好をした兵士がやってきた。少年たちは本物の兵士を見て興奮した声を上げ、大人達はなにか不穏な空気を感じたのか固まって小さな声で話をしていた。
潤にとって彼らは只物珍しい人々でしかなかった。臆さない少女に気を良くしたのか、柔和な顔つきをした若い兵士が声をかけた。
「ねえ、君、捩花って女の人を知らないかい」
変わった名前の女性。その名を潤は聞いたことがあった。そう、親友の母親だ。この人たちは一体何の目的でこんな場所へ来たのだろう。聡明な少女であった潤は考えをめぐらしたけれど、考えてもわからないことばかりだった。
「その人なら、先日亡くなりました」
潤の返答に、兵士たちはざわめいた。まさか、と声が上がったのが分かった。
先ほど話を振った兵士がもう一度口をきいた。
「良かったら、その人が住んでいた場所に案内してくれる?お嬢さん」
その兵士は目を細めて微笑んだ。潤は気を良くして「いいですよ」と彼の手を引いて親友の家へと向かった。
「その人には、子供がいた?」
「ええ。私と同い年の女の子が」
「そうなんだ。君、名前はなんていうの」
「潤。貴方は?」
「俺は亮介。ありがとうね、潤。本当に助かったよ」
スラムや市場の大人から褒められることはあっても、立派な格好をした兵士から褒められるなんて経験はなかった。潤はすぐに一番の親友にこの話をしなくてはいけないと思って、急いで襤褸布を引けば、部屋の真ん中でパンを齧っている親友が視界に入った。
驚いた少女は潤の名前を不思議そうに呼んだ。
対して、驚いたのは潤のほうだった。
少女の姿を見た瞬間。自分の背後に立っていたはずの兵士たちが一斉に屈みこみ、頭を下げたのだ。先程まで会話していた男が声を張り上げる。
「お迎えに上がりました」
きっと、二人とも混乱していたのだろうと思う。わけが分からないまま、親友は兵士に連れていかれ、それきり、会うこともない。
あの時、潤が母のことを話さなければ、今でも親友と共にいられたのだろうか。今では彼女がどうしているかもわからない。どこかで幸せに暮らしているのかもしれないし、逆にもう生きてはいないのかもしれない。あの後、スラムでは病が流行り、潤の両親も病に倒れた。病に罹らなかった子供同士肩を寄せ合い生きてきた。辛いことだって沢山あった。けれども、今の潤を形作るのはその苦い経験だ。
夢を見なければ、十年前のことなど思い出すことは無かっただろう。幼い頃の大切な友人。もう一度、会えたらいいと潤はぼんやりと考えた。そうしたら、あの時のことを謝ろう。のんびり屋の彼女のことだ、変わってなければ、きっと笑って許してくれる。
そう、この戦いが終わった後、友人たちに頼んで、親友のことを探してもらおう。珍しい名前だったから、 組織の連絡網を使えばきっと見つかるはずだ。
「……波瑠」
潤は何年かぶりに、親友の名前を呼んだ。
ずいぶん懐かしい音が、石の壁に反響した。
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