06
哲也たちが軍を動かし反乱軍の鎮圧に向かっている時、波瑠はクリス、一也と共に鶴喰の元へ訪れていた。
鶴喰はいかにも軍人といった雄々しい容貌をしているのに、首回りや指先には豪奢な装飾品を身に纏っている。それが幾何かの違和感を生んでいるが、彼は気づいていないらしい。
これまた豪華な調度品が飾られた部屋に訪れた波瑠達の姿を見れば、途端眉間に皺を寄せ目を左右に振る。望んでいない来訪に不愉快を露わにする態度から、鶴喰がこの姪を心の底から歓迎していないことが見て取れる。人をどこまでも信じる冠菊とは対照的に、猜疑心の強い男であった。
「どうしたのですかな、このような場所に」
「鶴喰大臣。お話があるのですが、お時間頂けますか」
「現国王の御息女とも在ろうお方が?お声かけ頂ければこちらから参りますのに」
鶴喰は恭しく頭を下げると波瑠の背後に立つ二人を見た。波瑠からの呼びかけに鶴喰が応じたことなどないのだ。波瑠は第一皇女であり王位継承権第一位の正当な後継者だが、波瑠の存在は公には知らされていない。このまま王が死ねば次の王は必然的に鶴喰であり、ここで彼女に何か行動を起こされることは鶴喰にとって不利益でしかなかった。
部屋に通された波瑠は勧められるまま椅子に座り、クリスと一也は壁の傍に立つ。侍女が茶を用意した。
「東の国から取り寄せた茶葉で淹れたものです」
「有難うございます」
礼を言うものの、波瑠はカップに手を付けない。張り詰めた雰囲気の中、鶴喰が笑った。
「そのように警戒なさらなくても、自室で姫に毒を盛る程浅はかではありませんよ」
「あ、いえ、そんなつもりでは……頂きますね」
鶴喰の言葉に波瑠は慌てて茶に口をつける。後ろで備えていた二人の眉が動いた。
王位を狙う鶴喰にとって、波瑠は一番邪魔な存在であった。命を狙われたことも一度や二度ではない。その事実は隠蔽されているが、冠菊の子供たちが一人残らず不審な死を遂げているのも鶴喰の仕業である。
「美味しいです。あ、それでですね、お話がありまして。鶴喰大臣、フェグレスで起きた反乱についてご存知ですか?」
「はぁ、反乱ですか」
思ったよりも気のない返事が帰ってきた。
現状での立場は鶴喰が圧倒的に上だ。波瑠は続ける。
「アルスハイル、という革命軍が先導しているそうです。反乱を起こさなければならないほど、今国は困窮しています。それなのに、また税を増やすそうじゃないですか。政策について、お考え頂きたくて……」
「政治に口を出す権利は、貴方にはありません」
「一意見としてお伝えに上がっているまでです。こ、このままでは暴動は広がり、いずれは王都まで届きます」
「無知な民衆の反乱など鎮圧すれば良いでしょう、話にならん」
「鶴喰様!」
波瑠が声を荒あげる。席を立ちあがった鶴喰は大きな拳で机を叩く。机の上のカップが揺れて茶が零れた。突然の行動に驚いた波瑠を睨みつけ、彼女だけに届くように顔を近づけ低い声で言った。
「下賤な隠し子風情が、図に乗るなよ。子供のままごとに付き合ってる暇は無い」
「……いつまで、おままごとでしょうか」
怯みながらも言葉を返す波瑠に、鶴喰は不快感を露わにする。
目を向けたのは入口の近くで待つクリスと一也だった。吐き捨てるように言う。
「滝川、御幸。お前等は現王の臣下だろう。姫様の我儘に付き合うのも良いが、程度を弁えろ」
黙って口角を上げた一也の代わりに、動いたのはクリスだった。波瑠と鶴喰の間に割り込み囁くように告げた。
「忠告ですよ、大臣。姫様は親切でいらっしゃる」
鶴喰が顔に青筋を浮かべたと同時に振り返り、波瑠の背を押して退室を促した。
「お、おい!!貴様、どういう了見だ!」
怒声をあげる鶴喰にクリスは振り向かない。代わりに返事をしたのは一也だ。
「御自分の行動を振り返ってみたらどうです?いくら冠菊様が心の広い方でも、金に物を言わせて好き勝手する弟君に、王位を譲りますかね?」
「こ、このっ……!」
鶴喰の反論が続く前に、扉を閉めた。
廊下に出てしまうと力が抜けたようにずるずると波瑠が壁伝いに座り込む。
「姫様、疲れた?いや、中々良かったぜ」
「鶴喰相手によく頑張りましたね」
一也とクリスの激励を受け、肩を叩かれるとようやく脂汗の浮かんだ顔を上げた。二人の手を取って歩き出そうとした瞬間、がくりと膝から力が抜け崩れ落ちた。
「……ん?う、…ゲフッ!あ、あれ…」
「姫!?」
手で押さえた口の端から赤い泡が溢れる。言うことを利かない身体が痙攣を起こし呼吸が短く浅くなる。症状から毒を盛られたことは瞭然であった。
一体何に毒など入っていたのだろう。波瑠は遠のく意識の中考える。鶴喰の出した茶を飲む振りをしたところまでは覚えているのに。
立場柄、命を狙われることが多かった波瑠は散々飲食に気をつけるように言われていた。大臣が差し出された物をそのまま飲むなどする訳がない。ともすれば、食器だ。紅茶の注がれていたカップに毒が塗られていたのだ。今更気付いたところで遅すぎる。
血相を変えた一也は医者を呼びに駆け出し、クリスが咄嗟に鳩尾に拳を押し込み胃の中のものを吐き出させる。咳き込む波瑠を抱えて、部屋へと走った。
***
波瑠を医者の元へ送り届けた後、人払いのされた国王の寝室にクリスは呼ばれていた。久々に会うことが叶った主君は酷く窶れており、自分たちが仕えたばかりの若々しく精悍な王の面影を残していることがまた切ない。
寝たきりになってしまった王の傍に膝をつき、恭しく頭を下げる。
「……私ももう、長くは無い。この間、波瑠が来たときは張り切ってしまったが、もう、お前たちと狩りにも出られん」
「気弱なことを仰らないでください、王よ」
「最期にお前を呼んだのはな、謝りたかったんだ」
ベッドに沈んだまま半身を起こす力も残っていない冠菊は訥々と告げる。
「お前ほどの者なら、文官としてでも、武人としてでもやっていけた。怪我を理由に、お前の人生を縛ってしまったことを、私は今更ながらに反省してな」
「貴方様が謝ることなど何一つありません。私は、今の役目に誇りを持っています」
冠菊はクリスの顔を見て頬笑みを浮かべた。
「お前は優しい男だ」
それは貴方のことだ。そうクリスは告げたかった。けれども胸から競り上がってくる感情によって言葉は押しとどめられた。王は自身の優しさを「甘さ」と表現する。けれどもその懐の広さに、どれだけ救われただろう。自分たちは感謝を返し切れていないのに。
七年前、冠菊王の息女が見つかった。首都の外れにあるスラムで母親と暮していたらしく、右も左もわからないみすぼらしい少女の教育係に抜擢されたのは当時軍の中核を担う軍人であったクリスだった。自分でもその采配には驚いたが王直々の頼みでは断れるわけは無い。
七年経った今では、王が何を望んでいたのかがわかる。
「今なら、自分たちの過ちがわかります。あの方を、姫をここへ連れてきてしまったことは…」
「間違いではないよ。次の王はあの子だ。お前たちが守り、育て上げてくれた」
その言葉に、クリスは目を見開く。家臣一同望んでいた結果の筈なのに、胸の内は明けなかった。
「先延ばしにしてしまって悪かった。……長い間、心配が付いて回ってな。こんな私でも人の親だ。お前たちが折角探してきてくれたのに、こんな事を告げて悪いが……」
「……いえ」
優しい人だ。部下である自分達が一番よく分かっていた。太陽のような人だと思っていた。朗らかに笑い、何時でも国民の事を考え、明るく進むべき道を照らしてくれる。この人こそが自分たちの仕える王なのだと、親衛隊に抜擢されたときは震えるほどに嬉しかった。
そんな彼のために、自分たちは何を行っただろう。
冠菊の娘を探したのは、本当は王のためではなかった。若い自分たちのエゴだったのだと今になればわかる。病に倒れた王の代わりに、弟の鶴喰が王位に立つことは許されなかった。王の血を引く正統な後継者を擁立させることがまるで自身の忠誠心を証明するかのように、鶴喰に対抗した。
本当にこの優しい王を思うのであれば、唯一自分の血を引いた娘を、そっと守ってやるべきだった。態々表舞台に引きずり出して、味方の居ない王宮で命を狙われて、辛い目にあわせて。そうやって他の子供たちを失った冠菊の気持ちを読み取ることのできなかった浅はかさが、胸を抉る。
「王位は、波瑠に譲る。私が息を引き取った後は、その旨を記した文書が掛け軸の裏に入っているから、それを公表してくれ」
「畏まりました」
「鶴喰の奴、私だけじゃなく子供達にまで手を下していたのか……」
力なく拳を握る冠菊の顔には、後悔だけではなく、昔を懐かしむ哀愁のような表情が浮かべられていた。医者は病だと告げているが、冠菊の身体を蝕んでいるのは毒だろう。微量の物を少しずつ、食事にでも混ぜて摂取させられていた。それに気づいた時には遅く、免疫力の低下した身体は本物の病気に犯されていった。
「冠菊様。……この命に代えても、貴方が大切にしていたものを守ります」
クリスが声を上げたときは、冠菊の寝息が小さく聞こえていた。
人は生まれる時代を選べない。けれども考えずにはいられない。平和な時代に生まれることができれば、きっと、冠菊も波瑠も今よりはずっと幸せに暮せたのだろう。
毒を飲んだ波瑠は、普段から毒慣らしをしていたお陰か命に別条は無かった。目が覚めたら、王の意思を伝えに行かなくてはならない。これからが大変な仕事になる。
prev next
back