08
新しい女王が国民たちに快く受け入れられたとは言い難かった。
特に圧政に苦しみ鬱憤を溜めていた若い世代は、同年代の少女が国を変えることをただ待つよりは、自分たちの行動によって国を変える方を選択する。彼らにとってその手段は身近にあったし、その勢力は今や破竹の勢いであった。
波瑠が王位について三か月が経った。
初めに彼女が行ったのは税制の見直しである。先王が病に伏している間、国の経済を担当していたのは鶴喰大臣であった。彼の散財を疎ましく思っていた波瑠は自分が王位に就くが否や鶴喰大臣を資金繰りの立場から外したのである。
その代わりに財務を担当することになったのは波瑠の教育係であったクリスである。文官として秀で、波瑠の右腕として政治を支える立場である彼が財務担当になったのは喜ばしい転機であった。
貿易によって利益を上げていたセロシアが鎖国体制をとっていたことで、国庫は空になる寸前であった。にも拘わらず貴族官僚たちの散財のツケを払うために国民に多額の税を強いていたのだ。この現状を打破するために行ったのは税の軽減と、国外との貿易の復活である。この外務は一也が担当することになった。
クリスも、一也も、傍から見ればまだ年若い青年たちだ。対外との外交をセロシアにとって良い方向に持っていけるかもわからない。けれども、波瑠は彼らに頭を下げた。
本来ならば、大臣たちを総入れ替えしてしまいたいと考えていた。けれども王位に就いたばかりの波瑠にはそこまでの力は無く、今回の移動も王宮内では大きな不満を募らせる結果となった。そのため、一番重要なポストに彼女が強く信頼する二人を置いたのだ。
実際、二人はよくやっている。微量ながら成果も上げており、通路ですれ違うたびに官僚たちは互いの眼の下の隈を見て笑いあうのだ。不慣れなのは皆同じだ。自分たちにできることを精一杯行うのが、自分たちにできる最大の忠誠だろう。
女王の即位に、宮中では多くの変化が起こり、誰もがその変化に対応しようと必死になっていた。けれども、それら全てが好転したかと言えば、そうではなかった。
「……なんでよ!!」
拳を握りしめる波瑠は顔を真っ赤に染め、眼には涙さえ浮かべている。丁寧に編上げられた髪型は乱れ、冠は外れかかってしまっている。
彼女は自室にいた。明かりも灯さずに、薄暗い部屋で声を上げる。波瑠は女王として即位した今も、自室に人を置くのを嫌がった。安全を考えれば、傍仕えの者を置くのが道理であったが、波瑠は頑なに譲らなかった。誰かが傍にいれば、波瑠は「女王」として振る舞わなくてはならなくなる。それが酷く窮屈だったのだ。
乱暴に枕を掴むと、それを思い切り壁に向かって投げた。鈍い音がして、中身の羽が舞った。
「なんでっ!なんで、上手くいかないのよ!!わたし、ちゃんとやってるのに!なんで、なんで、なんでっ!」
泣き叫ぶ波瑠はどこから見ても只の十七歳の少女であり、人前に立つときの威厳や風貌はどこかへ消えてしまっていた。
財政・外交担当を変え、国民の不満を少しでも軽減しようとした波瑠の政策は悪策では無かった。善政と言っても良い。勿論貴族や官僚たちからの反感は買ったが、それも時間が解決するであろう些末なことであった。
波瑠が期待していたのは国民の反応だ。宮中での彼女たちの不安要素はひとつ。反乱軍『アルスハイル』の活動であった。鶴喰を政策から外した今、国を立て直すには彼等を抑えることが一番の課題なのだ。
今ではアルスハイルの名を耳にしない日は無いというほど、国民たちに絶大な人気を誇っている。悪徳な金貸し、評判の悪い領主。それらから金品を奪い、貧しい者たちに分け与えることもある彼らの行動は一貫して弱者に寄り添ったものであり、国の政策よりもずっと評価を得ていた。
波瑠たちが懸念しているのは、アルスハイルの最終的な目標である。王政の廃止を願う彼らが王都へ進行してきた時、その戦力は国軍で抑えられるかどうか怪しい規模へと膨れ上がっている。それを止めるために日々奮闘しているというのに、国民の支持が一向に得られないのだ。それどころか、反乱の報告は収まるところを知らない。
孤独だ、と波瑠は部屋でひとしきり泣いた後に思う。
自分を支えてくれる人たちは宮中にもいる。初めは非協力的だった官僚たちも意見を聞いてくれるようになった。進歩は感じる。けれども、自分はなんのために、こんなに必死になっているのだろう。
冠菊国王と最期に話した時、波瑠は結局最期まで父親に告げることができなかった。
「本当は、お姫様なんてやりたくなかった」
全然、想像と違うんだもん。びっくりしちゃった。どうしてわたしのこと、見つけ出そうだなんて思ったの、お父さん。一度手放すくらいなら、初めから、逃げ出さないように隠しておいたら良かったのに。
先日まで元気そうにしていた国王がまるで萎んでしまったかのようにベッドに縛り付けられる姿に声は出なかった。ただ、国王が囁いた「すまなかったなあ」という言葉だけが、波瑠に残された。
やるしかないのだ、ここまできたら。
波瑠は目元を拭いて、顔に乱雑に白粉をはたいた。息を整えて、冠を被り直す。髪型はあとで侍女に直してもらうしかない。
人間は、運命という決められた道の上に立たされている。一人一人に定められた運命が存在し、生まれや地位、才能。個人差はあれど与えられた物を使って、自分だけの道をしっかりと歩いて行くのだ。これが、波瑠が教えられたことだった。博識な教育係はそっと微笑んで続ける。
「けれど、与えられた運命をただなぞるだけはつまらない。自分の人生をもっともっと良くしようと抗うのが、人間というものです。貴女は、そんな人たちの良き理解者であってください」
思えば初めから、クリスは波瑠が王位に就くことを考えていたのだろう。財務を任せた時も、彼は一つ返事で承諾してくれた。一也だってそうだ。いつだって傍にいてくれた教育係を手放した今、波瑠は自分の足で立つしかないのだ。
部屋を出た波瑠を待っていたのは、腰に目新しい剣を差した兵士たちだった。新しく親衛隊に選ばれたのだろう。古残の兵士たちは革命軍の制圧に向かっている。
背丈が凸凹の三人の青年たちは緊張で身体を固くしながらも波瑠を見つけると素早く敬礼をした。
「姫様!今日から貴女様の警護に当たります!沢村栄純と申します」
「ちょ、ちょっと栄純くん…!もうこの方は姫様じゃないよ!え、ええと、小湊春市です」
「馬鹿……。降谷暁です」
頭を下げた三人の青年のうち、人懐こそうな顔をした男が大声を上げた。目が覚めるような声に、波瑠は思わず吹き出してしまう。
「三人とも、年、いくつなの?」
「はい!今年兵学校を卒業致しまして、16になります!」
「わたしの一つ年下かあ。ね、お側付きの三人にお願いがあるの」
「なんでしょうか!」
「周りに人が居ないとき、こっそり敬語を外してお友達になって頂戴」
突然の提案に三人とも目を丸くした。波瑠は続ける。
「わたし、友達って全然いないの。勿論三人の仕事の邪魔はしないから」
「は、ははは…!!女王様って凄い方なんですね。俺達にも分け隔てなく接してくださる上に、更には友達だなんて……。不精、沢村感動いたしました!どうか友人として接することをお許しください」
震えながら笑うと、栄純が勢いよく膝をついた。前髪の長い春市、背の高い暁も栄純が動いたのを見て慌ててそれに倣う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。立場の弱い新王で、貴方たちは肩身の狭い思いをすると思うけれど、お願いしますね」
波瑠が頭を下げると、三人は深く深く頭を下げた。その拍子に、押しつぶされた様な音が聞こえた。何の音かとあたりを見回せば、音はきゅう、きゅうと続けて鳴る。見れば顔を赤くした三人が腹を押さえているではないか。
「失礼しました……」
春市が顔を赤くして呟いた。
「ごはん、足りてないの?」
波瑠が素朴な疑問を口にすると、三人とも言いにくそうな表情を浮かべる。数秒の沈黙の後、口を開いたのはやはり栄純だった。
「今は、国が貧しい時なので……。国に仕える自分たちにもできることはないか、って俺達も考えたんです。国に仕える俺達は、人々の税で飯食ってるわけだし、重税で困ってるなら、食い扶持少しでも抑えてやりたいなって……」
「あっ、ちゃんと働けるだけの食事は取ってます」
「育ち盛りと言いますか……。これは、気にしないで下さい」
春市や暁の言葉を聞いて、気づけば波瑠は唇を噛み締めて、涙を堪えていた。
自分はいつも言い訳ばかり。できないことの理由を探すのではく、できることを一つでも多く探している彼らを見て、先程まで癇癪を起していた自分が恥ずかしくなったのだ。
できることを探そう。やれることは全てやってみよう。自分に与えられた立場、能力、全て使って、考えるのだ。
突然泣き出した王女を心配して囲む三人の従者たちは、この歳の変わらない女王が一国を背負うことに今だ実感を得られずにいた。ただ、泣いている女の子を慰めなければと思い、三人して汚らしいハンカチを取り出した。
宮中に仕える名誉ある親衛隊の持っているハンカチが随分草臥れていることに、波瑠はまた目を見開いて、それから今度は声を上げて泣いた。
***
赤い目のまま、波瑠は軍会議に出席していた。
円卓に着いたメンバーは前回までとは一新されており、緊張が空気に乗って届いてくる。今日は、引継ぎを行って一度目の軍会議であった。
目を腫らした波瑠が円卓の中央に鎮座することで、周りの兵士たちは一層落ち着かない素振りを見せる。
「では、初めに。アルスハイルについて報告を!」
鼻水を啜る音もついてきたとはいえ、気丈な声だった。前回の会議とは打って変わって、新王として覚悟を持って挑んだ波瑠の気迫に連絡の順番を待っていた健太が動揺して書類を取り落としそうになる。
「は、はい。アルスハイルは先々月からフェグレス、バイアト、ミザールを占拠し、若者を中心とした市民を焚き付けているようです」
「また、これが軍の方で用意した手配書です。リーダーの成宮鳴、副リーダーの潤の人相書きです。お、お目通し下さい」
健太の動揺に釣られたのか、視線を泳がせる憲史は震える手で人相書きを波瑠に手渡した。礼を言って受け取りながら、波瑠はどうにかしてこの緊迫した雰囲気を改善しなければ、と考えていた。今までのメンバーならば自分を子ども扱いする人たちばかりだったから甘えていられたが、彼らにはそのまま軍の指揮を任せることにしたため、今回から軍議に出席しているのは目新しいメンバーばかりなのだ。堅苦しい空気に波瑠まで緊張してしまう。
「ええと、もう少し、朗らかな雰囲気でお願いしたいんですけど……。皆さんの方が軍議には明るい訳ですし……」
声は、途中で途切れてしまった。視線が刺さる。
そもそも、人前に立つこと自体が得意ではないのだ。波瑠は背中に冷や汗が伝うのを感じながら、クリスの教えや先程の栄純達の行動を思い出して拳を握る。明るく、明るく。
「もっと親しみやすさを大事にしていきたいの。ほら、わたしって全然威厳とか無いでしょう。アルスハイルの指導者たちとは違って」
『親しみ易さを求めるのは良いことですが、女王としての威厳を失わぬように』
クリスが言っていたことを即座に反故にしてしまいそうになって波瑠は慌てて手配書を捲る。ふと、似顔絵に目が留まった。
「ーーあれ?」
やけに既視感があるのだ。
先程憲史が手配書を渡してきた時、そういえば彼はこの女性の名前を言っていた。黒髪を靡かせ剣を振るう美しい女性の名前。忘れるはずが無い、幼い頃の思い出。
不思議な縁だ、と波瑠は思った。人違いなどではない。自分の記憶に残る友人と、反乱軍の副リーダーが同一人物であるということは一本の糸で結ばれていた。そこには確信すらある。
「……潤ちゃん…」
「波瑠様?どうしたんすか…?」
手配書を握りしめて固まった波瑠に、洋一が不思議そうに声を掛ける。意識が遠のいていた波瑠は掛けられた声に驚いて、両手を振って報告を続けるように言った。「ごめんなさい。続けて」
「ーー鶴喰大臣が政治から手を引いてから、少しずつですが景気も良くなっているように思えます」
「けれども人々はアルスハイルを支持し続けています」
「彼らの資金はどこから出ているのか、国軍を出しても鎮圧できないほど、彼らは力を付けている」
「反乱を抑えるにはどうしたらよいのでしょう、彼らを義賊だと崇める人たちも出てきています」
上がる報告は段々と熱を帯びていき、波瑠の耳にも届くような内容から、民衆からの噂話まで幅広い。その多くの情報が、反乱軍の強さを物語っている。
アルスハイルの勢いは留まることを知らず、無知な民衆たちは勢いのある革命軍に乗っかり王政の廃止を叫んでいるらしい。しかも、時間がたてば落ち着くだろうと見込まれていたアルスハイルの活動は予想を裏切り今や首都ハカムまで勢力を伸ばそうとしているという。彼らの背後に活動を援助する組織の影すらも見られるというから驚きだ。
「正直、政策云々ではアルスハイルの奴等を抑えることはできないと思われます」
「首謀者を捕らえ、活動を無理にでも辞めさせる他ありません」
「けれども、彼らが現段階で行っている活動は国への反逆罪として認められるレベルでは無いだろう」
「今のままだといずれそうなることは明白だ!」
報告であったはずが、気づけば口論に発展しそうになっている。いつもならばクリスが納めてくれる所だが、今ここに彼はいない。波瑠はため息をついて手を挙げた。男たちが討論をしている間、彼女はずっと思考を続けていたのだ。
「あのね!提案があります」
波瑠の声はよく通る。冠菊王の血を継いでいる、と会議室に集まっていた面々は冠菊の面影を重ねて彼女を見ていた。
「報告によると、まだ、逆賊って程の活動はしてないんだね。でも、反乱の芽は早めに摘んでおきたい。わたしたちだってできたての政府に、なりたての女王なんだから、面倒事は避けたいよね」
波瑠は唾を飲み込んで言う。
「わたし、会ってみたい。アルスハイルのリーダーに」
一瞬で部屋の中の空気が変わった。女王の言葉だというのに皆思い思いに驚きの声を口にする。一拍おいて健太が声をあげた。
「そ、そんな危険なことできるわけ無いでしょ!」
「やだ、わたしが単身アジトに行くわけじゃないのよ。やり方なんていくらでも考えてもらえるもの」
「……交渉する、という訳ですか?」
それまで考え込んでいた久志が手を挙げた。
「そう。今、わたしたちが抱えている一番大きな問題は彼らの対処でしょ。うちには交渉上手な御幸も居るし、向こうの目的や内情を理解することが和解の第一歩になるんじゃないかと思うのだけど」
心臓が早鐘の様に音を立てて鳴り響く。波瑠の言葉に耳を傾けている青年たちもまた、鼓動が高鳴るのを感じていた。矛盾も多い、乱暴な提案だが、今までの政では絶対に在りえない考えだった。
「まずは、成宮鳴に交渉を持ち掛けてみるのが第一歩かな」
「……交渉が、上手くいかない場合は?」
「勿論、粘り強く交渉してもらうけれど。もし、交渉が決裂した場合は、ーー戦います」
驚くほど冷静な声だった。
経験も後ろ盾も足りない女王だが、心構えと知識だけはしっかりと準備してこの場に立っているのだ。
波瑠の言葉に、兵達も口を噤む。
「女王様の意見が決まってんなら、俺達がやることは一つだろうが」
洋一が静寂を破った。
「ありがとう」と波瑠が頭を下げると、一同はやっと緊張が解けたように笑い、口々に言った。
「もっと堂々としてください!」
「あなたについていくと、決めてここにいるんです!」
今日は泣いてばっかり、と波瑠はまた涙を拭った。
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