1.ジーン・イン・ザ・プール
「あと一週間で地球は滅ぶ。建物も、人も、すべて巨大な魚に飲み込まれるだろう」
スマートフォンの画面を見つめたまま、神妙な表情を浮かべるクラスメイトは重々しい口調で画面に書かれた文字を読み上げた。
開け放された教室の窓からは日差しを縫って涼しい風が吹きこんでいて、夏の終わりを感じさせた。
前の席に座る彼女は日に焼けた腕を惜しげもなく制服から伸ばしてスマートフォンを撫でている。特にリアクションを求められたわけでは無かったので、私が自分のスマートフォンに視線を移すと責めるように声が上がった。
「ツイッターで、こんな予言が回ってきたんだけど、どう思う? 一織くん」
振り向いてこちらを見つめる彼女は完全に私に返答を求めていた。
うわ、くだらない。
思ったことが顔に出てしまったのだろう。彼女の目がこれでもかと見開かれて、私は目を逸らす。
「非科学的すぎて、特に何も」
「地球、滅亡するって言ってるけど」
「そう簡単に滅亡しませんよ。ソースはあるんですか」
根拠を示せ、と言われると彼女はわかりやすく口をへの字に曲げた。それから数秒もしないでツイッターの数字を読み上げる。
あまりに短絡的な思考につい笑ってしまいそうになった。
「……3000リツイートもされてるから、少なくとも世の中の3000人は地球が滅亡するって信じてるね」
「あなた、SNS向いてないんでやめたほうがいいですよ。影響されすぎる」
「えへへ、わたし体育会系だからね」
「世の中の体育会系の人たちに謝ってください」
「いやいや、でもさ、いざ世界が滅亡しかけた時に役に立つのは体育会系の人間だよ? 筋肉とポジティブな精神は世界を救うと思うなあ」
「わー羨ましいなあ、ポジティブだなあ」
「……むかつく!」
頬をわざとらしく膨らませて、彼女はまたスマートフォンに視線を落とした。
白いカラスが見つかっただとか、リヴァーレの二人がドラマに出演するだとか、大臣の汚職だとか。誰も聞いちゃいないのに記事を読み上げていく彼女の声を聞き流しながら、休み時間は過ぎていく。
午後からの授業は数学だった。規則的に黒板に並ぶ数字をノートに書き写しながら、地球が滅亡するその時のことを少しだけ考えた。
まず一番に思い浮かぶのは自分のグループのことだ。隕石が降り注いで、地面に亀裂が入り、阿鼻叫喚の中で人々が逃げ惑う。典型的な地球滅亡の様子の中で、七人の誰もが無理をして笑顔を作る。怖がる子供の手を握って、うちのセンターは「大丈夫」と声をあげるだろう。なんでもないことのように不敵に笑ってみせる演技派のリーダーや視野の広い兄さんの周りに次々と人が集まってきて、私たちは顔を見合わせる。誰が口にするでもなく、踵がリズムをとる。
地球が滅ぶその時も、きっと自分たちは汗だくになって、歌を歌っているのだろう。
*
そんな話をした翌日、彼女は学校を休んだ。珍しい、と思わず担任が言った。皆勤賞を狙っている、と豪語していた彼女はクラスでインフルエンザが流行った時もひとり平気な顔をしていた記憶がある。
登校してきたらノートを見せてやるくらいはしてもいい。
前の席に座る彼女が休んだだけで窓から吹き込む風は冷たく感じた。
けれども、次の日も、その次の日も彼女は来なかった。
彼女が休んで6日目の夜、スマートフォンが鳴った。
『やっぱり 地球は 滅亡するのかも』
『夜遅いけど、今から学校のプールに来れないかな』
『3000リツイート、なめてたー』
うさぎのスタンプと連続して送られてくる言葉は冗談染みていたが、無碍にするほど鬼でもない。
高校生が外を堂々と出歩く時間帯では無かったが、自室を出ると年長者たちはまだリビングのテレビの前で談笑していた。酒のつまみを用意していた兄さんに外に声をかける。上手い言い訳は考え付かなかったから、ちょっとコンビニに行ってきます、とだけ伝えた。
兄さんは肩を竦めて、酒を煽る二階堂さんは「イチ、帰りに牛乳買ってきてよ」と声をかけてきた。彼らは余計な詮索をしない。信頼されているのだろう。酒を飲んでいても彼らの目は確かに私の背中を見ていた。うちの年長者たちは、しっかりしすぎなくらいだ。
外は上着を羽織って丁度良いくらいの気温であった。あっという間に夏が終わる。
学校のプールに入るためには当然ながら鍵が必要だった。街灯も点いていない深夜の学校は酷く不気味で、よくもまあ、彼女はこんな時間に学校のプールに忍び込めたものだと感心してしまう。
『鍵はあいてるよ』
丁度プールの前に着いたところでラビチャが届いた。用意周到だ。
*
「一織くんは、お人好しだね」
重い扉を開ければ、そこには6日ぶりに再会するクラスメイトの姿があった。
予想していなかったわけでは無いが、彼女はプールに浸かっていた。態々心配して駆けつけてやったのに、と軽口の一つでも叩こうと思ったが、彼女の姿を見て、言葉を失った。目の錯覚にしてはやけに鮮明な映像が目の前にあった。プールの縁から上半身を出して手を振る彼女の下半身があるべき部分には、魚の尾がついていたのだ。
「……あなたは、何をしてるんですか」
「なに、してるんだろ」
わたしにもわかんないの。彼女の声は裏返っていて、それを隠すように水面を尾鰭で叩いた。冷たい水がこちらまで飛んできて、顔を顰めた私を見て少しだけ笑った。
「どうしてもっと早く連絡しなかったんです。携帯は使えたんでしょう」
下半身が魚になったクラスメイトは器用にプールの更衣室から延長コードを引っ張ってスマートフォンを充電していた。
「連絡って、どこにしたらいいのかと思って。警察? 病院? それとも、動物園?」
最後の言葉を言ったあと、わかりやすく喉がひくついた。親には言えない、と続ける彼女は話し切るたびに唇を噛み締める。終いにはプールに顔をつけて、しわしわの顔で泣き顔を隠してみせた。
「無事だと、伝えてあげたほうが良いんじゃないですか」
「無事なもんですか。一人娘が半魚人だよ」
「まあ、驚きは、するでしょうね」
「一織くんったら冷静ねえ」
「大変なのはあなたなのに、私がパニックになっても仕方がないでしょう。……なにか、食べますか」
私と彼女はプールの縁に腰かけてコンビニのおにぎりを食べた。夕飯は食べていたのだけれど、彼女が封を開けたツナマヨの交換をせびってきたので仕方が無く。
乾いた海苔に噛み付いて、彼女は話し出した。
「学校で話した予言ね、本当だったの。ばかみたいに巨大なシーラカンスが地球に接近して、なんでもかんでも食べちゃうの。もう、シーラカンスは近くまで来ていて、風にのって鱗が飛んできた。このプールにも一枚鱗が沈んでたんだよ」
「そんな、」
「鱗の沈んだプールに入ったら、わたしはこの有様。信じられないと思うけど、本当なんだな、これが」
彼女は二つ目のおにぎりに手を伸ばしながら尾鰭をバタつかせる。確かに、彼女の鰭は美しい群青色をしていて、それは図鑑で見たシーラカンスの体の色によく似ていた。
「わたし、シーラカンスの娘になったんだ。だから、もうしばらくしたら、宇宙に出て行かなくちゃならないの」
彼女の言っていることが一つも理解できない。それでも自分の視界に映る見知った人魚の姿だけが彼女の言葉に信憑性を持たせた。
「一織くん」
彼女が、私の名前を呼んだ。
「世界は、明日で終わりだよ」
見たことも無いような優しい表情で笑う彼女が私の手を引いた。驚くような力強さで、プールの中に引きずり込まれる。
どぷり、と世界が一変した。冷たい、と思うよりも早く、間近にある彼女の顔に驚いた。唇に柔らかいものが触れる。
(……奪っちゃった)
彼女は笑う。悪戯好きの女の子のように。飲み込んだプールの水は鉄の匂いがした。
世界の終わりを告げた彼女の口の端からは赤いリボンが伸びていた。逃げ場を探すように解けて溶けていく様は、私たちの未来予想図のようでもあった。
プールの縁に置き去りにした携帯から、サイレンが鳴っている。くぐもった音で危険を知らせる携帯の画面には、何から身を守るように示されているのだろう。
「逃げ場なんてどこにもないのにね」
水の中だというのに彼女の言葉は鮮明に聞こえた。目の前の人魚は泣きそうな表情を浮かべて私に謝罪を告げた。謝らないでいい、と私は彼女の頬に触れる。
いいですよ。どこまでも一緒にいきましょうか。世界の終わりに一人きりだなんて、寂しいでしょうから。
触れた唇の柔らかさ、口の中に残る鉄の味、遠い昔の人魚伝説の記述をぼんやりと思い出しながら、私は彼女の手を取った。
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