2nd prolog
目の前に広がる光景は、皆一様にセピア色に染まっている。
夢を見ているのだと気付くまでに、そう時間はかからなかった。
車の助手席に座らされながら、ぼんやりと窓の外を流れる景色を眺める。
視界のすみにちらつく自分の足は、随分と小さい。
『──さぁ、着いたぞ』
運転席の父親が、そう言ってハンドルを切った。
車が停まったのは、木々に囲まれた場所に佇む大きな平屋。
門に何か表札が掛かっているようだったが、背が低いせいかそれとも単に漢字が読めないだけなのか、何と書いてあるのか分からない。
父親が、自分の手を引いてその門を潜る。
チャイムを鳴らして少しすると、ガラガラと引き戸を開けて、セーラー服に身を包んだ長い黒髪の少女が出てきた。
『こんにちは。父さんは、いつもの部屋にいらっしゃいます』
『ありがとう、■■ちゃん』
父親が彼女の名前を呼んだようだったが、上手く聞き取れない。
「あなたは、こっちね」少女は父親を見送りこちらを見下ろすと、にこりと微笑んで自分の手を引いた。
少女は自分の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。
歩きながら忙しなく視線をあちこちにやると、自分と同じくらいの年であろう子供が目に付いた。
テレビの前に大人しく座り、年にそぐわない時代劇に没頭する黒髪の少年。その脇で、欠伸をかみ殺す白い髪の少年と特徴的なお団子頭の少女。庭先で、土埃で汚れるのも構わずサッカーに興じる鮮やかな髪の色をした少年少女たち。
『──あっ、きた!』
ふいにそのうちの1人──明るい青色の髪を靡かせた少女が、こちらに気付き顔を綻ばせる。
彼女は今まで追いかけていたサッカーボールを放り出すと、パタパタと駆け寄ってきた。
『まってたんだよ! きょうはなにしてあそぶ?』
少女は自分の手を取って楽しげに笑う。思わずつられて微笑むと、彼女はことさら嬉しそうな顔をした。
『そうだ、きょうはブランコしよ! おとうさんがこのまえ、あたらしくしてくれたの!』
少女が手を引いて走り出す。セーラー服の少女が、「転ばないようにね」と言ったのが聞こえた。
キィ、と片方のブランコが揺れる。もう片方には、先客がいた。真っ赤な髪をした、大人しそうな少年だ。
彼はぼんやりと庭を眺めていたが、やがてこちらにやって来た自分たちを見て少し微笑む。
『あ……こんにちは、ひさしぶりだね。ブランコ、つかうの?』
少年はそう言って立ち上がったが、「後で交代する」と慌てた自分に苦笑した。
『じゃあ、ふたりのりすればいいよ!』
青い髪の少女が明るく笑って、ぽんとブランコに腰を降ろす。
しかし2人乗りはしたことがない、と困って眉を下げると、少女もまた残念そうに顔をゆがめた。
『しょーがないなぁ。じゃあ、さきにれんしゅうしよ。ね、てつだって!』
『え、ぼくも?』
他に誰がいるんだ、と少女が顔をしかめると、少年は慌てたように首を振る。
ごめんね。何となく申し訳なくなってそう告げると、少年は一瞬キョトンと目を丸くしたが、その後にっこりと嬉しそうに笑った。
『ううん。ぼくもいっしょにあそびたかったから、いいよ』
「まずは立ち漕ぎからね!」青髪の少女が忙しない様子で、自分をブランコの板に立たせる。
怖い、と思わず呟くと、少年の方が大丈夫だよ、とその背中に手を添えた。
『じゃあ、おすよ?』
『せーの……──』
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──ガタン。
唐突な揺れとその衝撃に、織乃はハッと伏せていた瞼を上げる。
数回まばたきを繰り返せば、ハッキリとしていく視界。覚醒した頭で、織乃はここが市営バスの車内だということを思い出した。
世宇子を打ち破ったその後、鬼瓦から「影山は逮捕された」と情報が入り、安心と高揚感に満たされた気持ちで臨んだ授賞式。
無事にトロフィーを受け取り、選手達に様々なメディアがインタビューや写真撮影に押し寄せる最中、彼女の携帯に1本の電話が入った。
ディスプレイを見るなり顔を綻ばせた織乃は、携帯を耳に押し当てる。
「もしもし、健也くん?」
『あっ、織乃さん? 優勝おめでとうございますっス!』
「戦ったのはみんなだけどね」小さく苦笑すれば、謙遜はいらないと成神を押しのけたように寺門の声が言った。
『お前が鬼道に「打て!」って叫んでるの、中継に映ってたぞ』
「え!?」
そんな、と織乃は顔を青くしたり赤くしたり忙しくしながら狼狽える。電話越しにもそれが伝わったのか、笑い声が聞こえた。
『おい、貸せ成神』
「!」
何かを言い合うくぐもった声。一拍空けて聞こえたのは、辺見の声だった。
『よぉ、ヒヨコ。そっちはインタビューで忙しいだろ』
久し振りに聞いた辺見の声は、からかうような色を含んではいるが珍しく穏やかだ。
「はい。大変です」マイクを向けられ慌てるイレブンの数名を見た織乃は、小さく笑う。
辺見はそっか、と呟いた後、すっと息を吸って続けた。
『鬼道さんには後でまた連絡するつもりだし──お前にも言っとくわ。勝ってくれて、ありがとな』
「…………はい」
数秒。押し黙った後、織乃はひっそりと返す。
転校してきた時は、まさか帝国の仇討ちをすることになることなど、予想もしていなかった。
歯車が狂ったのだとすれば、それは帝国が雷門と初めて試合をしたという日になるのだろうが──それを後悔する人間は、きっと誰もいないのだろう。
傷ついた分、得た物があることを、みんな分かっているのだから。
「あ、そうそう!」ふいに、しんみりしてしまった空気を壊すような、成神の明るい声が割り込む。
『織乃さん、源田先輩らにも報告してきてくださいよ。仇討ちはすませたって!』
「え?」
聞き返すと、成神は今はまだ午後の授業が残っているし、終わる頃には面会時間が過ぎてしまうと答えが返ってきた。
『それに、織乃さんが行った方がさく──いてっ!』
『まぁ、そういうことだから。頼んだぞ、御鏡』
「何で叩くンスか寺門先輩!」キャンキャンと成神が吠える声を最後に、帝国との通話は切れる。
インタビューや写真撮影が終わるのを待っていたら、面会時間が過ぎてしまうというのはこちらも同じだ。
後の始末を秋たちに頼み、織乃は未だ騒がしいスタジアムを抜け出して病院行きのバスに乗り込んだまでは良かったが──どうやら予想以上に疲れが溜まったようで、座席で居眠りしてしまったらしい。
「(何か、夢を見た気がするんだけど……もう忘れちゃった)」
ごしごしと織乃は目を擦って、窓の外を見た。眠ってからさほど時間は経っていないらしく、病院までまだ距離がある。
眉間に皺を寄せ記憶を辿っても、一瞬前まで頭に残っていたビジョンは既に霧の彼方。
夢なんて所詮そんなものだろう、と思い直した織乃は鞄を膝に置き直し、跳ねてしまった前髪を撫でつける。
:
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病院に辿り着く頃には、先程まで青々と晴れ渡っていた空は、一雨来そうな重たい雲に覆われていた。
洗濯物を昨日の夜から干しっぱなしだし、帰るまでに持ってくれれば良いのだが──と半ば主婦のようなことを考えながら、自動ドアを潜る。
「(……あ、何かお見舞いの品でも持ってくれば良かったかな)」
しかし、後悔しても後の祭りだ。溜め息を吐きながら少しサイズの大きなスリッパをペタペタと鳴らして廊下を進んでいくと、2人の病室の扉が見えた。
スライド式の扉は、閉め損なったのか少し隙間が開いている。
大雑把な見舞い客でも来たのだろうか、と思いつつ、織乃は扉をノックした。
「……佐久間さん、源田さん?」
織乃はすっと眉根を寄せる。いつもは律儀に返ってくる筈の源田の返事がない。
寝ているのか、それとも単なる留守か。織乃は訝しむように表情を歪めながら、そっと扉を開けた。
「失礼しまーす……?」
ガラガラと扉が横に滑る音が耳に付く。
中に入ってまず目に付くのは、ベッドを囲うカーテン。いつもなら、この向こうに2人がいるのだが。
「いない……?」
佐久間も、源田も。その姿はベッドにない。それどころか、雑多と脇に寄せられた掛け布団は少し冷たく、2人がここを離れてからしばらく経っていることが伺える。
「検査、なのかな」
源田のベッドにぺしゃりと一枚落ちていたバナナの皮をゴミ箱に入れながら、織乃は部屋を見渡した。
サイドテーブルには小さなテレビが置いてあり、いつもその側にあった2人の私物も無くなっている。
「何で……? ──っ」
ふいに吹き荒れた大きな風が、髪を浚いスカートを揺らした。
前髪を抑えながら振り返ると、何故か窓が限界まで開け放たれ、カーテンがはためいていた。ざわざわと風に揺れる木々の音が、余計に彼女の不安感を煽る。
「佐久間さんも源田さんも……どこに行ったんだろう?」
眉根を寄せて、大きく揺れるカーテンを所在なさげに掴んだその瞬間。
ズン、と遠くで聞こえた地鳴りのような音が、空気を揺らした。
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