どこかで小さな子供が泣く声がする。
遠くで爆音が響き、黒煙が上がる。美しかった街は瓦礫の山へと変貌し、空は鈍色に染まりくすんだ涙を流した。
そんな光景を、照明を落とした部屋の中央に据えられた球体のモニターで見つめる老齢の男たちがいる。
各々が険しい表情で、時おり小さく呻いては溜め息を溢していた。
「……決断の時だ」
ふと彼らの中心にいた男が、重たい口を開く。
鋭い視線の先には、モニターの中で遠巻きにこちらを見ている白髪の少年の姿があった。
「プロトコル・オメガを召集する。任務は対象のインタラプト改変、そして捕獲。これより、歴史改変計画を決行する──!」
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ホーリーロード終了から約3か月後。
沖縄を最後に全国行脚のサッカー教育プログラムを終了させた天馬は、久しぶりに学ランに袖を通し、鞄を引っ提げて雷門中学校の門の前に立っていた。
「久しぶりだなぁ、雷門中! みんな元気にやってるかなぁ」
稲妻町には先程戻ってきたばかり。時刻は放課後に差し掛かった頃だ。
学校側には戻るのは明日だと伝えているが、仲間たちに会うのがどうしても待ちきれなかった天馬は、木枯らし荘に帰り着くや否や大急ぎで制服に着替えここまでやって来たのである。
仲間たちにはまだ戻ってきたことを伝えていない。きっと突然帰ってきた天馬を見て驚くことだろう。
「依織もイギリスからもう戻ってきた頃かな? へへ、何かサッカー部のみんなに会うのワクワクしてきた!」
大手を振って、天馬は真っ先にグラウンドへ向かう。
──けれど、以前より日に焼けた頬を上気させていざグラウンドを見下ろした天馬は、はたと目をしばたいた。
「レフト、行ったぞ!」
「……あれ?」
バットが硬球を弾く甲高い音。
そこにあったのは見慣れたサッカーグラウンドではなく、野球のグラウンドであった。野球部員たちが活動に勤しむそのグラウンドには、サッカーのさの字も見当たらない。
「(野球部の活動場所が変わったのかな……?)」
だが、サッカー部には元々サッカー棟があるのだから、然したる問題ではないだろう。
天馬は気を取り直し、改めてサッカー棟へと歩みを進めた。
──校舎のどこかからピアノの音が聞こえる。恐らく音楽部もまた部活動中なのだろう。
どこか悲しげなその旋律は、天馬の足取りをほんの少し逸らせる。
そうしてサッカー棟へ脚を踏み入れた天馬は、スタジアム前の扉でゆっくりと深呼吸をすると今度こそ、とその扉を開いた。
「みんな、ただいまーー! なぁんて、ね……」
元気良くスタジアムへ入った天馬の言葉尻が段々と小さくなる。
天馬はまばたきを繰り返すと、再び「あれ?」と首を傾げた。
扉の先は以前と変わらぬサッカーフィールドがあると思っていた。
だが実際彼の目に飛び込んできたのは見慣れたサッカーフィールドではなく、ネットでいくつかに分割されたスタジアムでバスケットボールを追いかける、バスケ部員たちの姿だったのだ。
グラウンドはともかく、流石にこれはおかしい。
天馬は壁際で休憩しているらしい談笑中のバスケ部たちを見つけると、急いで彼らに声を掛けた。
「あの……すいません。サッカー部のみんな、知りませんか?」
「サッカー部?」
はい、と頷く天馬に、彼らは胡乱げに眉根を寄せる。天馬の言葉の意味が分からなかったかのような反応だった。
「だってここ、サッカー棟ですよね? サッカー部専用の……」
「何言ってんだよ。サッカー部はここにはねえよ」
再度繰り返した天馬に、顔をしかめたヘアバンドの生徒が言う。
へ? と天馬はすっとんきょうな声を上げながら、それでもめげずに尋ねた。
「ない、って……部室の場所が移動したんですか?」
「してねえよ」
「じゃあ、サッカー部はどこですか?」
「だからよぉ……!」
「お、教えてくれたって良いじゃないですか……!」
バスケ部の生徒は明らかに苛立ってきているが、それは天馬も同じだった。
ただ天馬はサッカー部の仲間たちが今どこにいるのか知りたいだけなのに、見知らぬバスケ部員にここまで意地悪をされる覚えはない。
天馬が思わず語気を強めたその時、スタジアム中央のコートにいた監督らしき男性がホイッスルを鳴らした。どうやら休憩が終わったようだ。
生徒たちは苛立ちと困惑と入り交じった一瞥を天馬にくれて、コート中央に走っていく。
こうなってしまっては仕方がない。
首を傾げながらスタジアムを出ていく天馬に目を向けて、バスケ部の生徒はポツリと溢した。
「あいつ、おかしいんじゃねえの……」
サッカー棟と校舎を繋ぐ橋の手摺に寄りかかり、天馬は大きな溜め息を吐く。
先程まであんなにワクワクしていた気持ちは、今やすっかり萎びてしまっていた。
「みんな酷いよなぁ。サッカー部の場所が変わったなら、連絡してくれたっていいのに……」
呟き、もう一度溜め息。
しかし、橋の下を何となく見下ろしたその時、見慣れた後ろ姿が歩いているのが見えて天馬はたちまち表情を輝かせた。
「神童キャプテン!」
天馬は慌てて階段を駆け下り、神童を追いかける。
驚いたようにその場で立ち止まり振り向いた神童は、息せき切らし駆け寄ってきた天馬に目をしばたいた。
「キャプテン……! 良かったぁ、誰もいないんで焦りましたよ」
「キャプテン……? 俺がか?」
不思議そうにこちらを見つめ返してくる神童に頷き掛けた天馬は、ハッと口を丸く開ける。そう言えば、彼はもうキャプテンの肩書きを天馬に譲ったのだった。
「あ……そっか、そうですよね! キャプテンは俺ですよね、すいません。でも、みんなどうしたのかと思って……」
「みんな?」
神童の眉間に少しずつ皺が寄り始める。そんな彼の変化には気付かず、天馬は言葉を続けた。
「はい。練習とかやってないし、何かサッカー部の場所とか変わっちゃったみたいですし……一体何があったんですか?」
もしかすると、ホーリーロードで優勝したことがきっかけでどこかもっと大きな場所に活動場所を移したのかもしれない。それならこれまでのことにも納得が行く。
しかし、答えを待つ天馬に対し、怪訝そうな顔をした神童は驚くべきことを言い放った。
「サッカー部って……何を言っているんだ? サッカー部の場所も何も、そもそもこの学校にはサッカー部なんてないじゃないか」
「ええええっ!?」
辺り一帯に天馬の大声が響き渡る。
だが、天馬は一頻り声を上げた後(神童はその間ずっと耳を塞いでいた)、一転して苦笑いを浮かべて手をパタパタ振った。
「……って、そう来るんですか? これ何のドッキリですか? もう、冗談はやめて下さ──」
「何か勘違いしているようだが」
天馬が言い終わるより先に、神童は再度口を開く。
よくよく見れば、その手には楽譜の薄い束が抱えられていた。
「俺は、音楽部の神童拓人だ。転校生なのか? 残念だが、サッカー部に入りたければ他の学校に行くしかないな」
「え……」
じゃあ、と踵を返し、神童は上級生の教室がある第2校舎へと入ってしまう。
その場に取り残された天馬はその背中を追うことも出来ず、ただ呆然と立ち竦んだ。
「そんな……冗談、ですよね……?」
掠れた声で思わず呟くが、その言葉に対し返答してくれる人間は誰もいない。
──天馬はそれから、学校中を駆けずり回った。
先輩でも同級生でも、円堂や春奈でも良い。誰でも構わないから、これは天馬を驚かすための冗談だと言って欲しかった。
だが、現実は天馬の希望をことごとく破壊する。
見つけ次第声を掛けた仲間たちは神童と同じように違う部活動に所属しており、自分がサッカー部であったことも忘れ、中にはサッカーに興味がないと言い放つ者さえいた。それどころか。
「ちゅーか、お前誰よ?」
──その誰もが、天馬のことを知らないと言うのだ。
冗談にしろ、質が悪すぎる。
職員室にも顔を出してはみたが、春奈や円堂の姿もついぞ見つからなかった。
「(何がどうなってるんだよ……人をからかうにしたって大掛かり過ぎるよ!)」
裏門へ続く道をとぼとぼと歩きながら、天馬は頭を抱えていた。
久しぶりの凱旋。待ち望んでいた楽しい時間になるはずだったのに。渦巻く不安に頭を抱えそうになった天馬は、ふとその視界に小さな人影を捉えた。
「あっ──信助! 信助ぇ!」
ここに来てやっと見つけた親友の後ろ姿。
天馬は脚を絡ませそうになりながら信助の元へ走り出した。
一緒にサッカー部に入った信助なら大丈夫。きっと『天馬を驚かせようと思ったんだ!』なんて言って、ここまでのネタばらしをしてくれるに違いない。
振り返った信助は、天馬を見るなりパッと表情を輝かせた。
「ねぇこれ、一体どうなって──」
「もしかして君、1年だよね!? 僕、卓球部の西園信助! 卓球部に入らない!?」
──無情なまでに他の仲間たちと同じような反応をした信助に、天馬は思わず顔をひきつらせる。
そんな時、今度は背後からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。
「天馬ーッ!」
「うわっ!?」
「あ、君!」
突然突進するような勢いで天馬の腕を抱え込み、信助から引き離したのは葵だった。
「あ……葵〜!」
改めて向き直った葵はふくれ面でこちらを睨んでいたが、自分と初対面であるかのような反応をしなかったのは彼女が初めてだ。天馬はついつい眉を下げて確認する。
「俺のこと分かるの!?」
「当たり前でしょ? でも、卓球部の誘いなんて行っちゃダメだよ。私たちは──」
──サッカー部なんだからねっ!
脳内で再生される葵の言葉に、天馬はうんうんと頷く。
ああ、やっとこのおかしな状況から解放される──そんなことを考える天馬に、指を突きつけた葵はこう続けた。
「書道部、でしょ?」
「…………しょ」
「書道部ぅう!?」頭を抱え叫び声を上げた天馬は、思わずその場に崩れ落ちた。
「ちょっと、どうしたの天馬?」
突然地面に膝を突いた幼馴染に驚いた葵が心配そうに声を掛けてくるが、当の天馬はそれどころではない。
葵さえ。自分の名前を呼んだ彼女さえ、サッカー部のことを忘れている。その上、彼女の中では天馬も書道部に所属していることになっているのだ。
一瞬絶望し掛けた天馬だったが、ふと心に一筋の光明が差す。
もしかして、彼女なら。彼女なら自分のことも、サッカーのことも両方覚えているかもしれない。
「葵、依織は!? もう戻ってきた!?」
「依織?」
希望を抱き、弾かれたように顔を上げた天馬にぱちくりと目を瞬いた葵は、しばらく何か考え込む素振りを見せる。
そして、彼女は困ったように眉根を寄せると、申し訳なさそうに答えた。
「ごめん、天馬。依織って……誰?」
「──え?」
:
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川面が夕暮れに煌めく。
あれから葵の制止も耳に届かず、ふらりと覚束無い足取りで学校を後にした天馬は、河川敷を続く階段に腰を降ろしていた。
「一体どうなってるんだ? サッカー部がなくなっただけじゃない……みんなサッカーのことを忘れてしまっている。何で……?」
葵が依織のことを忘れていたことも気にかかるし、それに確認しそびれてしまったが、剣城の姿も結局学校で見つけることは出来なかった。
自分が雷門を離れている2ヶ月の間に、仲間たちに何があったというのだろう。天馬はぼんやりと河川敷を眺める。
時間が空けば、自主練習に使っていた河川敷グラウンド。あそこで秋空チャレンジャーズと試合したこともある。
──だが、今はそこあるのはただ広いだけの何もない芝生ばかり。まるで、サッカーグラウンドなんて元からなかったかのようだった。
「みんなサッカーのこと、あんなに好きだったのに……何で、サッカーを忘れられるんだよ……」
サッカーとの関わりがあったもの、その記憶そのもの。それが仲間たちの中からそっくり無くなっていた。それはまるで──
「サッカーが、消えた……」
「──NO。サッカーは消えていない」
ふいに、背後から聞こえた聞き覚えのない声に、天馬は顔を上げる。
ゆっくりと振り返ると、いつの間にかそこには一風変わった服に身を包んだ見知らぬ少年が立っていた。
少年は無表情に天馬を見下ろし、口を開く。
「サッカーの消去≠ヘ、不完全だ」
「君は……」
自分の記憶が確かなら、彼とは初対面のはずだ。けれども少年はそんなことを気にもせず、呆然とする天馬に抑揚のない声で続ける。
「松風天馬。これより、お前からもサッカーを消去する」
「サッカーを、消去……?」
消去、と言う不穏な単語に、天馬は思わず立ち上がり少年と相対した。
少年の光の差さない瞳に、困惑した天馬の顔が映る。
「私はアルファ=B我が使命はサッカーの消去。残る痕跡は、松風天馬。お前だけだ」
「痕跡……俺だけ……」
アルファと名乗った少年の言葉を反復した天馬の脳裏に、先程会った仲間たちの反応が甦った。
雷門中から消えたサッカー部。サッカー部員であったことを忘れ、天馬を知らない仲間たち。
有り得ない。だが、彼の言葉が本当なら、全ての辻褄が合う。
「まさか──お前のせいなのか。雷門が変なことになってるのは!」
「そうだ」
声を荒らげた天馬に、アルファは無感情に返答した。
あまりにあっさりと頷かれ虚を突かれた天馬だったが、すぐさま気を取り直して彼に食って掛かる。
「許せない……サッカーを消すなんて! みんなを元に戻せ! サッカーを返せ!!」
「NO。我々の行うべきはその逆。サッカーの完全消去」
「っそんなこと……させない!!」
突然目の前に掌を突き付けられ、思わず後退りしそうになった天馬だったが、負けじと声を張り上げる。
彼の目的は分からない。本当に人間が他人の記憶を変えることが出来るのか、そんなことが可能なのかすら到底信じられない。
だが天馬にとって、彼はこのおかしな状況を打破する為の唯一の手懸かりだった。
アルファは自身を果敢に睨む天馬に対し、少しも表情を変えない。
けれど、彼はふとその手に赤と黒の小さなバッジのようなものを翳すと、突然それを宙に放り投げた。
「えっ……何?」
天馬は思わずその謎の物体を目で追いかける。
すると次の瞬間、その物体は淡く光り輝き、放射線状に細い光をいくつも延ばし始めた。
「わっ!?」
湾曲した光は重なって球体状になり──光が収まると、何色かの色の違うボタンが各面に着いた白いボールのようなものに姿を変えて、アルファの足元へ静かに着地する。
「な、何だ……?」
『タイムワープモード』
困惑する天馬を他所に、アルファはそのボールの天辺の赤いボタンを軽く足で押す。
その瞬間、ボールは突如赤い光を放ち、アルファはあろうことかそれを天馬の眼前目掛けて蹴り上げてきた。
「なっ、ちょ──うわっ!!」
思わずボールを避けようと後ずさった天馬の足が、階段からずり落ちる。
大きく傾く体、引っくり返る世界。
全てがスローモーションになったような感覚に陥った天馬の視界に、こちらを追尾するかのように軌道を変えたボールと、それを追い飛び降りてきたアルファの姿が映る。
──どさり、と小さな音が響く。
寂しげに風の吹き抜けるそこには天馬もアルファの姿もなく、ただ天馬の落とした鞄がぽつんと階下に横たわっていた。