頬を撫でる穏やかな風。どこか懐かしい潮の匂い。
目に刺さるような強い光に瞼をきつく閉じていた天馬は、その身に触れた違和感にそっと目を開けて──絶句した。
「──え……?」
視界一杯に広がったのは、どこまでも広がる青い海。空を見上げれば、白い雲の合間を鴎が優雅に游いでいるのが見える。
気付けば天馬は、海を一望できる小高い高台に佇んでいた。
「ここはどこだ……?」
おかしい、確かに自分はさっきまで稲妻町の河川敷にいたはずだ。それがどうしてこんな場所に立っているのだろう。
そこで天馬は、見下ろした周囲の景色に既視感があることに気が付いた。
「ここって、もしかして──」
呟き、眼下に広がる風景を覗き込む。
遠くから一組の母子が歩いてくるのが見える。よく似た揃いの天然パーマ。 見覚えのあるその姿に、天馬は自分の目を疑った。
「そんな……母さん!? それに、俺……!」
けれどそこに見える母の姿は最後に会ったときよりも優に十歳は若く、隣を歩く天馬も写真で見たことのある幼少期の姿そのものだ。
息を飲んだ天馬は、続けざまに2人の進行方向に建つ材木置き場に視線を向ける。
僅かに材木が動いている。目を凝らせば、材木の間に小さな子犬が挟まって外に出ようともがいていた。
「あの時だ……夢? 夢を見てるのか、俺……!?」
額を押さえ、天馬は混乱する頭を落ち着かせようとする。
あの時。幼い頃、天馬は材木に挟まった子犬を助けようと母の元を駆け出して、倒れかかってきた材木に押し潰されそうになったのをどこかからシュートされた──イナズママークの書き殴られたボールによって助けられたことがある。
その時の子犬はサスケ。シュートを打ったのは当時中学生だった豪炎寺。
幼い頃の天馬は自分を助けたサッカー少年に憧れ、ボールに描かれたイナズママークを手懸かりに雷門に入学することを心に決めた。
忘れるはずもない記憶。天馬のルーツと呼ぶに相応しい出来事。
その過去が、今目の前で実際に起きようとしている。まさか、自分は立ったまま夢でも見ているのだろうか。
だが、肌に感じる陽光も髪を揺らす凪も、到底虚構のものだとは思えない。
「いや、違う……夢じゃない……!」
「理解しなくても良い」
背後から聞こえた声に、天馬はハッと振り返る。
そこにはいつからいたのだろう、サッカーボールを手にしたアルファが佇んでいた。
「受け止めるのだ。目の前で起こる現実を」
「……!」
「これよりお前にとってのサッカーは消滅≠キる」
彼は一体何をしようと言うのだろう。
問い掛けようと口を開いたその時、大きな音と母の絹を裂くような悲鳴が響いてきた。
「天馬!!」
「ッ……!」
母の声に反射的に振り向いた天馬は、柵から身を乗り出す。
──サスケを引っ張り出した反動で崩れた大きな材木が、いくつも天馬に向かって倒れ込んできているのが見える。
天馬は知っている。あの直後、飛んできたシュートが材木を蹴散らすことを。自分がサッカーボールによって命を救われることを。
咄嗟に港の方へ目を向けると、フードを被った少年が材木に向かってシュートを放つ瞬間を目撃した。
『ストライクモード』
──背後から機械的な音声が聞こえる。
次の瞬間、天馬の頬を掠め放たれたアルファのボールが、豪炎寺のシュートを有らぬ方向へと弾き飛ばした。
「天馬ぁぁッ!!」
激しい轟音と、母の悲痛な悲鳴。
幼い自分の小さな体が材木の下敷きになったシーンを直視した天馬は、あまりのことに言葉を失った。
「──分岐点、インタラプト補正完了」
「……!」
落ち着き払ったアルファの声に、天馬は我に返る。
振り向くと、アルファは手元に戻ってきたボールの埃を払いながら続けた。
「心配いらない。全治1ヶ月……そんなところだ」
「な……何だって?」
過去の天馬を、幼い子供をあんな目に遭わせたと言うのにアルファは努めて冷静だ。思わず声を荒らげた天馬に、アルファは冷たい目を向ける。
いつの間にか周囲の風は止み、音も消え──全ての時は、2人を除き停止していた。
「だが、これでお前にとってのサッカーは消えた」
「何を──」
瞬間、天馬は言葉を言い終えぬ内に、突如襲い掛かった割れるような頭の痛みに思わずその場に膝を突いた。
「うっ……あ、れ……サッカーって、俺……! うううッ!!」
感じたことがないような痛み、記憶が無理やり塗り潰されていくような圧倒的な違和感に、天馬は苦悶の呻き声を上げる。
アルファは苦しむ天馬に数歩歩み寄り、経過を観察するかのような視線で見下ろした。
「頭から不必要なモノが無くなる、それだけのことだ。──任務完了」
「っ待てよ……!」
踵を返そうとしたアルファに、天馬は息を荒らげながらも体を起こす。
割れるような頭痛は続いている。あまりの苦しさに額に脂汗が滲む。足を踏ん張り、天馬はじわじわと立ち上がった。
「俺は、サッカーが好きだ……!」
「何?」
まさか天馬が立ち上がるとも思わなかったのだろう、アルファの声に怪訝そうな色が混じる。
「俺はっ、サッカーが大好きなんだ……大好きで大切なものなんだ……!」
頭を振り、汗を払う。痛みで歪む視界の中で、天馬は息も絶え絶えになりながら言い切った。
「大好きで大切なものは──絶対に守らなきゃ!!」
「……!」
──そこで初めて、鉄面皮だったアルファの表情に幽かではあるが驚きが滲む。
「だから、俺はサッカーを忘れない……! っサッカーは絶対に渡さない!!」
立っているのもやっとなのだろう、手摺りで体を支えながら、それでも天馬はアルファを果敢に睨み付ける。
その様子を見つめていたアルファは、やがて宙へ向かってこう囁いた。
「──YES。ではそのように」
「……?」
「この事態を解決する新しい方法が提案された。場所を変える」
続いた言葉を天馬に向けながら、アルファはふいに足元のボールを持ち上げ青いボタンに手を翳す。
『ムーブモード』
静かに響く機械音声。アルファが軽く目の前にボールを蹴ると、ボールは再び強い光を放ち2人をあっという間に飲み込んだ。
:
:
足元が一瞬浮き上がり、再び地面に降り立つ感触。
眩しさに腕で顔を覆っていた天馬は、慎重に周囲の様子を確認した。
「ここは……」
次に彼が立っていたのは、海沿いに設けられたサッカーフィールドの中央だった。少し離れた場所には、小さな海の家が佇んでいるのが確認出来る。
また違う場所に来てしまった──困惑する天馬の背後から、アルファの声が聞こえた。
「実に適切な場所だ」
そちらを振り向いた天馬は、驚きにあんぐりと口を開ける。
アルファに追随するように、何も無い空間から次々と彼と同じスーツに身を包んだ少年少女たちが姿を現したのだ。
「喜べ。ここからお前の好きなサッカーの時間となる」
「お前たちはサッカープレーヤーなのか……!?」
「そんな次元の低い存在ではない」困惑に困惑を重ねる天馬に、アルファは目を細めながらこう答える。
「我々は時間に介入することを許されたルートエージェント=Bタイムルート補正……サッカーというものがこの世から消えていくルートを生み出すのが、我らの使命」
アルファは宙へあの赤と黒の謎の物体を放り投げる。伸びた光の螺旋はあっという間にその物体をあのボールに変貌させた。
「サッカーがこの世から消えるルートだって……!?」
「YES」
ボールの黄色いボタンをアルファの足が軽く押す。
ストライクモード、と響く機械の合成音声は、先程豪炎寺のシュートが弾かれる直前に聞いたのと同じものだった。
「サッカーは──我々が消去する!」
「っサッカーは消させない!!」
光を放ち始めたボールに、激昂した天馬は即座に闘気を放出する。
背中から翼のように現れる紫の光。白い翼を広げ、天馬の化身ペガサスアークが姿を現した。
「化身か──次元が低い!!」
「だあああああッ!!」
放たれたアルファのシュートに、天馬は脚を振り抜く。突き出されたペガサスアークの拳が、シュートを捉えた。
だがその瞬間、ペガサスアークの拳はボールに触れた箇所から一気に消し飛んでいく。目を見開いた天馬は、そのままシュートに吹き飛ばされた。
「がはっ……!?」
地面に体を叩きつけられ、息が詰まる。
化身が一瞬も、欠片たりとも通用しなかった──けれど、ここで怯むわけには行かない。
起き上がる天馬を、アルファは冷めた表情で観察している。
「これくらい……ッ!」
「……そうかな?」
──気付けば天馬は、先程現れたアルファの仲間であろう少年たちに囲まれていた。
彼らは尚も光り続けるボールを天馬に向けて次々と打ってくる。方々から放たれるシュートは全て強力で、的確に体にぶつかってくるボールに天馬は息つく間もなく傷付いていった。
「うっ……ぐ……!」
「……」
ついにその場に倒れた天馬にアルファが軽く片手を掲げると、シュートの応酬が止む。
痛みに息を切らす天馬を見下ろし、彼は冷たい声でこう言った。
「さぁ……どう感じた」
「ううッ……!?」
するとその瞬間、それまで収まっていた激しい頭痛が再び天馬に襲い掛かる。
だが、今度はそれだけではない。外から来る体の痛み、内から来る頭の痛み。その両方が渦を巻き、天馬の意思とは関係なく、彼の心に暗い感情が小波のように広がり始めた。
「感じたか。サッカーの恐ろしさ≠」
「う、あ……」
「サッカーは──痛い、辛い、苦しい、重い、苦痛……邪悪、不必要」
アルファの言葉に先導されるように、心に分厚い暗幕が掛かっていく。
それと同時に、サッカーに関する楽しかった記憶まで濁っていく。仲間たちの笑顔、好敵手との胸が熱くなるような戦い、輝くような勝利の感動が、徐々に黒く焦げ付いていく。
「そう……サッカーは、不必要=v
「サッカー、は……」
僅かに残る輝かしい思い出たちを守るように、天馬は歯を食い縛る。未知の感覚に体を震わせながらやっとの思いで顔を上げた天馬の目に、最後のとどめとアルファが脚を振りかぶる姿が映った。
「……!!」
その瞬間だ。
突然どこからか現れた人影が、シュートを打つ間際だったアルファの足からボールを奪い去っていく。
彼≠ヘ肩越しに小さく微笑むと、身軽なオーバーヘッドキックでアルファにボールを打ち返した。
「──サッカーは必要だ!」
軽やかに着地した少年は堂々と言うと、そうでしょ? と天馬を見下ろす。
「これは君の言葉だよ、天馬!」
「え……?」
「何者だ」
僅かに眉間に皺を寄せ、アルファが少年に問う。少年は若草色の髪を揺らし、にこやかに微笑んだ。
「僕の名前はフェイ・ルーン。天馬と同じ……サッカーを必要としている者だ!」
「ふぇい、るーん……?」
彼もまた天馬のことを知っているようだが、天馬は彼のことを全く知らない。
立て続けに起きる出来事に天馬は目が回りそうな思いだったが、フェイがアルファを止めたお陰だろうか、頭痛や思い出を掻き消すような暗い小波はいつの間にか消えていた。
「1人をいたぶって楽しい? だったら、勝負しようよ」
「勝負……? どういう勝負だ」
フェイを排除対象と認識したらしいアルファが怪訝そうな声音で尋ねれば、フェイは口角を上げてぱちんと指を鳴らして見せる。
すると次の瞬間、フェイのオレンジ色の服は赤色のサッカーユニフォームへと変わると、彼の周りに同じような赤いユニフォーム姿の少年少女たちが次々に光と共に現れた。
「えっ……!?」
「これでどう?」
現れたのはフェイを含めて10人。対し、アルファたちは11人。アルファは驚いている天馬を見下ろし、それを承諾した。
「……分かった」
「よし、決まり。さぁ立って天馬! 動けるかい?」
「えっ、ああ、うん、……ええ?」
フェイはにっこり笑って、天馬の手を引き立ち上がらせる。
そして「特に大きな怪我はないね!」と確認すると、もう一度ぱちんと指を鳴らした。すると天馬の体は淡い光に包まれ、次の瞬間フェイと同じ赤いユニフォーム姿へと変化した。
「うわぁっ!? ど、どうなってるの!?」
「長くなっちゃうから細かい説明は後でするよ。天馬はMFで良かったよね?」
混乱する天馬を他所に、フェイは着々と勝負の準備を進める。
一方で、アルファは周囲を見渡して海沿いに立つ海の家を見ると、ボールの青い部分に触れた。
その瞬間、突然赤い帽子と白いTシャツ姿の男がセンターサークルに召喚される。
男はきょとんと瞬きして自分の手にいつの間にか握られたマイクを確認すると、「うおお!? 何でマイク!?」とすっとんきょうな声を上げた。
「では、お願いする」
「──おおう、任せとけィ!」
けれどそれもつかの間のこと。特殊な洗脳電波でも流れているのだろうか、マイクが不思議な色に輝くと、男は嘘のようにその状況を一瞬で受け入れる。
「選手データはこの男の頭にインプットした。実況はサッカーに不可欠なものだと聞いている」
「ふぅん? でも感心しないなぁ、サッカーの何の関わりもない一般人を巻き込むなんて」
「心配は無用だ。事が済んだら我らに関わった記憶は消去し、元の場所に返す」
フェイの言葉に淡々とアルファが返すと、フィールド外の空中にスコアボードが映し出された。
「我々はプロトコル・オメガ≠ニ言うチーム名で登録した。お前たちのチーム名は?」
「あ……そっか、即席のチームだからまだ名前が無いんだよね。うーん、僕たちは……」
フェイはしばらく悩んだ素振りを見せ、ふと天馬の方を見るとパッと顔を輝かせて答える。
「じゃあ、テンマーズ≠セ!」
「ええっ!? て、テンマーズ……?」
「天馬のチームだからテンマーズ! ピッタリじゃん」
だからと言ってその名前は果たしてどうなのか。
初対面の彼のネーミングセンスに突っ込むべきかそっとしておくべきか悩む天馬に、フェイは「あ、そうだ」とポケットから何かを取り出した。
「はい、これ」
「え。これは……」
フェイが天馬に差し出したのは、黄色いキャプテンマークだった。不思議そうな目をする天馬に、フェイは当たり前のように笑っている。
「君はキャプテンなんだろう?」
「……」
──彼は一体、天馬のことをどこまで知っているのだろう。
だが、少なくとも敵ではない。天馬と同じようにサッカーを必要として、取り戻そうとしている。
天馬は覚悟を決めて、差し出されたキャプテンマークを受け取った。
天馬がキャプテンマークを巻いたのを確認し、ホイッスルが青空に響き渡る。
開幕からプロトコル・オメガは凄まじい速度のパスを繋ぎ、天馬の目は瞬く間にボールの行方を見失ってしまった。
「な、何だよこれ……!」
「大丈夫、目が慣れてないだけだよ。さ──戦うよ!」
驚愕する天馬とは対照的に落ち着き払った様子で答えたフェイが走り出す。
臆せずプロトコル・オメガのパスコースに入ったフェイは、即座にボールをカットした。フィールドを跳ね回りプロトコル・オメガを翻弄すその姿はまるで兎のようだ。
「す、スゴい……!」
あのパスコースに乱入する洞察視力もさながら、身体能力も凄まじい。あっという間にゴール前に辿り着いたフェイは、ボールを遥か上空へと蹴り上げる。
「バウンサー──ラビット!!」
地面を抉るような勢いで跳ね回ったボールは、勢いそのままゴールへ向かっていく。対しシュートを睨んだ相手キーパーは、両手の拳に闘気を纏わせ一気に振り下ろした。
「キーパーコマンド・03!!」
振り下ろした腕から放たれた衝撃波は、フェイのバウンサーラビットの威力をゴールラインに入る前に殺してしまう。
今まで天馬が経験してきた試合の中でも類を見ない、圧倒的なプレイングの応酬。天馬は信じられない面持ちでフェイやアルファたちを見つめた。
試合は息つく間もなく再開し、両チームは激しい攻防を繰り広げる。
「ディフェンスだ!!」ボールを奪い、単身切り込んで来たアルファにフェイが叫ぶと、それに答えた3人の仲間たちが一斉にアルファを取り囲んだ。
「フラクタルハウス!!」
「……」
それぞれ3人を中心にして現れた三角形の壁がアルファの周囲ごと閉じ込める。しかしアルファはこれを強引に突破すると、DFたちを一気に蹴散らした。
「シュートコマンド・01!!」
強力なスピンを掛けられたシュートが、今度はテンマーズのゴールへと襲いかかる。
だがテンマーズのゴールを任されたキーパーはそれを不敵な笑みで見上げると、その場から動かず大きく息を吸い込んだ。
「エクセレントブレスト!!」
大きな胸板にボールが直撃する。キーパーは怯まず胸でシュートを受け止めると、ボールを抱えて鼻息を鳴らした。
「……やるな」
「点は入れさせないよ!」
安堵の溜め息を吐くフェイに、すれ違い様アルファが言い残して行く。
ここまで一進一退の攻防、両チーム共に無得点だ。
投げ込まれたボールを持ち前線を押し上げるテンマーズから、早速アルファがボールを奪っていく。
「──そろそろ行く」
「存分にお暴れ下さい」
瞬間、アルファがボールをキープしたまま空高く舞い上がった。
背中から紫の闘気が噴き上がり、赤い翼を持つ化身が姿を現す。
「《天空の支配者 鳳凰》──『アームド』!!」
「えっ!?」
瞬く間に霧散したアルファの化身に、天馬は目を剥いた。
光の粒になった化身の力はアルファの掲げられた右手に集束し渦を巻くと、彼の体を覆う鎧のようなものに変化する。
「さぁ──行かせてもらう!」
「くっ……!」
化身の力で変身したアルファは力尽くでテンマーズの選手たちを蹴散らしディフェンスを突破する。
放たれたシュートは何の変哲もないただの素シュートだったが、その威力は先程の必殺技を遥かに上回り、キーパーを押し退けゴールネットに突き刺さった。
「何なんだ、あれは……!」
先取点を取られたこともそうだが、天馬は改めてアルファの姿を見る。まだ自分の目が見たものが信じられない。
「化身を体に融合させて、鎧として纏うことで自分自身の姿を変化させる──あれが化身アームド≠ウ」
「化身を鎧に……!?」
「使える時間は限られているけど、化身を離れてコントロールするよりも遥かに大きな力を発揮出来るんだ」
赤と薄青に彩られ、僅かに光輝くその姿は鎧と言うよりも美しい衣のようにも見える。
天馬の問いに答えたフェイは彼がその化身アームドを使えること自体は予測していたのだろう、冷静な声音ではあったが、その表情には僅かに険しさが滲んでいた。
アルファの得点で勢いをつけたプロトコル・オメガは、次々とテンマーズに猛攻を仕掛けてくる。
だが、ゴールに対し必殺技は打たない。キーパーがギリギリ耐えられる範囲、そして疲れの出始めたフィールドプレーヤーたちが対処し切れないプレイングで、じわじわと追い詰めてくる。
「得点よりも痛め付けることが目的ってことか……ッ!」
寸でのところで相手のスライディングを避けたフェイの足元からボールがクリアされる。
一時的に試合は中断され、フェイは空を仰ぎ呼吸を整えた。
「やっぱり、デュプリ≠X人はキツいか……!」
「どうすれば……!」
駆け寄ってきた天馬に「心配しないで」と短く答えたフェイは、ポケットから新たに腕時計のような物を取り出して笑顔を向けた。
「大丈夫、間もなくだ……!」
「え? あ、ああ……前半はもうすぐ終わる……」
「それもあるけど、僕が待っているのは別のことさ」
天馬や他の選手以上にフェイは疲労しているように見える。
それでも明るい笑顔を絶やさず答えた彼に天馬が首を傾げていると、フェイは突然空を見上げた。
「来るよ。3、2、1──」
その瞬間だった。
空の一部が虹色に歪み、目映く光輝く。
ジェット音を響かせ、そこから勢い良く飛び出してきたのは青と白のコントラストが眩しい車体の──車のようなもの。
「あ、あれは……?!」
空を飛ぶ大きな車体に目を丸く見開く天馬の視界で、その車の運転席に当たるであろう窓が下がっていく。
そこから姿を現したのは、何と人間ではなく水色のクマの縫いぐるみだった。
「ええっ??」
理解の間に合わない中、あろうことかその縫いぐるみはグルリとこちらを見下ろして大きく手を振る。そしてやたらとよく通る声でこう喋るのだ。
「おおっ、天馬くん! ご機嫌ようッ!」
「く、くま……?! やっぱり、夢を見てるのかな……」
呟き、自分の頬を思い切りつねる。
涙が出るほど痛い。と言うことは、やはりこれは現実なのだ。
それとも、あの時階段から落ちた自分は頭の打ち所が悪くて或いは──そんな恐ろしい考えが頭を過った直前。
「なぁ、これどうやってこっちの窓開けんの──ああもういいや、ちょっと退いてっ!!」
「ぬぉっ!?」
突然後部座席からにゅっと出てきた手が、運転席のクマをやや乱暴に押し潰す。
聞き覚えのある声──このわけの分からない状況下に置いて一番聞きたかった懐かしい声に、天馬は思わず涙ぐむ。
「天馬ぁーッ!!」
「っ依織……!!」
もがくクマを肘で押し退け、窓から身を乗り出す友人。
2か月振りに再会する依織が、上空から力強く天馬の名前を呼んでいた。