それはあまりにも唐突な、けれども今日の午後からの天気を確認するような、然り気無い一言だった。
「そう言えば、依織ちゃんと剣城って、あれからデート出来たやんね?」
「……は?」
長い1日を終えて現代へと戻り、さて後はそれぞれ帰路に着くばかり。そんなタイミングでふと思い出したように話し掛けてきた黄名子に、サロンでマネージャーたちと談笑していた依織は素っ頓狂な声を漏らした。
「フランスに行った時、ウチと剣城で勝負してたでしょ? 勝った方が依織ちゃんとデートって」
「あ……ああ。その話……」
一瞬放心した依織は、しどろもどろしながら相槌を打つ。幸いなことに、他の仲間たちには今の話は聞こえていなかったようだ。
「あれ? でもその勝負、結局時間が押して引き分けになってなかったか?」
「うん。剣城、前に勝負してた時よりずっと強くなってて勝てなかったやんね」
水鳥が首を傾げると、黄名子は少し悔しそうにぷうと頬を膨らます。まるで膨らみかけの餅の様相だ。茜と葵が左右から頬をつついて、ぷすぅと空気が抜けていく。
「そんでね、引き分けになったのならやっぱりデートの権利は剣城に譲った方が良いかなーって思ってたんだけど」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て黄名子」
そのまま話を続けようとした黄名子を、依織は慌てて手で制した。どしたの、と首を傾げる黄名子は依織は眉を顰めて尋ねる。
「お前、その、もしかして知ってる……?」
「ん? 依織ちゃんたちがお付き合いしてること?」
スゥーーッ、と依織は細く長く息を吸い込んで、間を置いてから無言で頷いた。
すると黄名子は小さな手をひらひらとさせて、あっけらかんと笑う。
「分かるよぉ。だって2人とも、みんなが近くにいないとき何だか空気が違うやんね」
「空気が」
「うん。何かねえ、ピンク色って感じ! ねっ」
ぴっ、と小鳥の囀りにも似た声を漏らして、依織は赤らんだ顔を覆って呻く。話を振られたマネージャーたちは、苦笑して顔を見合わせた。
「まぁ、確かに言われてみれば『おっ?』て思う瞬間はなくもなかった気がする……かもな?」
「黄名子ちゃん、2人のことよく見てる」
「で、でも、最初から付き合ってるって知ってるか予想してるかしないと、その空気感は分からないんじゃない?」
「……私としては、何で私が話すより先に葵たちがこの件を把握してたのかも気になるんだけど」
じとりとした目を指の隙間から覗かせると、3人は一斉に明後日の方向に顔を向ける。
実はマネージャーたち、水鳥がうっかり剣城に依織の気持ちを暴露してしまったことを話しそびれていたのである。何だかんだそれが剣城が気持ちの自覚する切っ掛けと告白の後押しになったので、結果オーライと言うことでマァ良いかと流していたのだが。
「そ、それにしても剣城も気の毒にな。毎日こんなにバタバタしてたんじゃ、デートする暇なんかないだろうに」
「え〜、そんなことないやんね」
「──俺が、何です?」
話を逸らそうと話題を変える水鳥に黄名子が小首を傾げていると、ふと低い声が会話に割って入った。依織の肩がギクリと揺れる。
後ろを振り向くと、そこには当然剣城が立っていた。
自分の名前がちらほら聞こえてくるから気になって寄ってきたのだろう。既に帰り支度は済ませたようだった。
「い、いや、何でも……」
「最近忙しいから、お前ら2人デートする暇もねえんじゃねえかなって話」
「水鳥さんッ」
ワアッと依織が水鳥に飛び掛かっていくが、時既に遅し。剣城は切れ長の目を見開いた後、少しだけ赤くなった顔で視線を足下に泳がせた。
「俺は別に……水鳥さんの言う通りそんなことしてる暇はないし、今はお互いサッカーを取り戻すことに集中するべきだと……」
「はいはーい! なら、今日はウチが依織ちゃんとデートするやんねっ」
「っは?」
サッ、と手を高く伸ばした黄名子が剣城の話を遮る。
黄名子はポカンとした依織の腕に抱きつくようにしながら剣城を見上げた。
「帰りに寄り道してお喋りしたり、放課後お家で2人一緒に宿題したりするのも、十分デートでしょ? それなら今日の内に出来るやんね」
「それはまぁ……一理あるけど」
困惑しながらも、依織は黄名子の言い分に同意する。
幼い頃の記憶を振り返ると、従姉と鬼道が学校終わりによく家で一緒に勉強をしたりサッカーの作戦を立てたりしていたのも、彼女の言うデート≠フ1つだったのかもしれない。
「だから依織ちゃん、今日はウチと一緒に──」
「だ……っ」
剣城が弾かれたように口を開く。
発された声は思いの外大きく、少し離れた場所で雑談していた神童や霧野も何だ何だとこちらに注目した。
「だ=H」
「……それは、ダメだ」
首を捻るマネージャーと黄名子たちに、剣城はしばし言い淀んだ後にいつもより低い声で、しかしハッキリと言う。
そして意を決したように、黄名子が抱きついていない方の依織の手首を掴んだ。
「まだしばらくは、俺に譲れ」
「……しかたないやんねぇ」
一拍置き、剣城と見つめ合った黄名子はわざとらしく溜息を吐いて、するりと依織から離れる。
そうして剣城が軽く依織の腕を引けば、気を抜いていたらしい彼女は体をそちらに少し蹌踉めかせた。
「帰るぞ」
「え、あ……うん」
言われるがままに頷いた依織は、また明日、と4人にぎこちなく言って、剣城に腕を引かれたまま部室棟を後にする。
「……あの2人、何かあったのか?」
「あ、神童先輩」
そこで、あれからじっと様子を窺っていたらしい神童が気遣わしげに声を掛けて来た。何とも言えない空気に、割って入ることが出来なかったらしい。
「何かあったというか……」
「これから起きるかもしれねえな、あれは」
「……ああ、なるほど?」
何かにピンと来たらしい霧野が、顎を撫でて出入り口を見遣る。勿論、2人の背中は既に見えない。
誰か俺にも説明してくれ、と戸惑う神童に、「ちょっぴりニブいシン様も素敵」と茜がニコニコしていた。
「──つ、剣城。ちょっと一旦手ぇ放して……」
「! 悪い」
足早に校門を出たところで、後ろから依織のやや困ったような声が聞こえてきて剣城はハッとする。
依織は肩からずり落ちた鞄を担ぎ直して、ほっと息を吐いた。
「……えっと」
「……」
そのまま、しばし無言のまま静止。
30秒ほど経ったところで行き交う通行人の視線が気になってきて、2人はようやく再び歩き出した。
「……鷹栖は」
「っな、何?」
辺りが少しずつ茜色に染まり始める。西日がチラチラとあちらこちらのガラスに反射して眩しい。
「やっぱりしたいものなのか、……で、デート、とか」
「……分かんない」
えっ、と剣城は自分で聞いた割に意外そうな顔で振り向く。そこは『したい』とはならないのか。女心は分からない。
依織は赤い顔を俯かせ、ぼそぼそと言った。
「と言うかそもそもの話、お前と付き合ってるって実感がまだあんまりなくて……」
「……それはまぁ、解らなくもない」
剣城は頷いて、このしばらくのことを思い出す。
過去に飛んでは一悶着に巻き込まれ、エルドラドと戦い、オーラを回収し、現代へ戻り家で一晩休息を取ったら翌日にまた別の時代へ──と、あまりに忙しない日々の連続。
あの鉄塔広場でのやりとりからもまだ4日程度しか経っていないことを考えると、圧倒的に自分の、そして相手の気持ちと落ち着いて向き合う時間が足りていない。
「じゃあ、……ん」
「うん?」
ふと、剣城が改まった風に片手を差し出してくる。頬が赤く見えるのは、決して夕日のせいだけではないだろう。
「だったら、こういう時に少しずつ慣れていくしかないだろ」
依織は差し出された手と彼の顔を交互に見てまごまごすると、遠慮がちに右手をちょこんと剣城の左手に乗せた。
これじゃあ『お手』みたいだな、と考えながら剣城がその手を握り込むと、困ったようにギュッと眉根を寄せた依織の顔がみるみる赤みを増していく。
──自分は、彼女がこうやってほんの少し素直になる瞬間が一番好きなのかもしれない。剣城はふとそんな気付きを得た。
:
:
「……むかし……」
「ん?」
「小さい頃、姉さんに聞いたことがあるんだよ。デートって何? って。今、急に思い出したんだけど」
緊張で強張る手を繋いだまま、ぎこちなく歩き出してしばらくのこと。ふいに依織がぽつぽつと語り出す。
「そしたら姉さん長いこと考え込んで、言ったんだ。『好きな人と一緒に、心がドキドキする特別な時間を過ごすこと』って」
──だったら、今お前とこうしてることも、デートになるのかな。
それは剣城に話し掛けると言うよりも、自問自答に近い声音だった。
思わずその場に立ち竦んだ剣城がその話を反芻し、呆然としている間に、依織はアッと小さく叫んで自分を凝視している剣城を見る。
頭に浮かんだことをそっくりそのまま口に出したせいで、恥ずかしいことを言ってしまったことに気付いたのだ。
剣城は見ようによっては顔色が悪いともとれる色白さをすっかり失って、随分と血色が良くなっていた。
「まっ……待ってやっぱり今のナシ!!」
上擦った声で叫び、握られた手を慌てて引き抜こうとする依織に、剣城は無言で首を振って奥歯を噛み締める。
この瞬間、剣城は突然溢れてきた依織を無性に抱き締めたいという衝動を押さえつけるので精一杯だった。
──チリンチリン。
ふいに後ろからベルが鳴らされて、依織は反射的に押し黙る。
脇を通り抜けて行った自転車が、生温い風を連れてくる。汗で湿った米神が冷やされて、2人は少し平静を取り戻した。
「……つ、つまりその、何だ。普通の人がするようなデートはまだ出来ないけど、今の私たちにはこれでも十分じゃないかって、そういう話!」
ところで1回手ぇ放さない? と、依織は無理くり話を締め括って、剣城を窺った。あの一瞬で掌まで汗を掻いてしまった気がしたのだ。
しかし、剣城は俯いたままそれに頷かない。
「今放すと我慢出来ない気がする」
「えっ、な、何を……!?」
剣城はまだ、依織を抱き締めたい衝動と戦っていた。
その声がやけに切羽詰まった真剣なものだったので、依織は仕方なくそのまま繋がれた手をプラプラとさせた。改めて考えると、今更剣城を相手に手汗を気にするのも何だか変な気がしたので。
「(顔が熱い……)」
耳の先まで溜まった熱を逃がすように、剣城は深く息を吐き出す。依織はそれを溜息と捉えたのか、何だよ、と赤いままの顔で唇を尖らせた。
「そんなにおかしいかよ、私がこういうこと言ったら。……付き合ってるんだから、別に良いだろ……」
明らかに拗ねている声色だ。剣城は喉の奥でウウ、と小さく唸る。これ以上刺激しないで欲しい、という意思表示でもあった。
依織が素直な性格ではないことを、剣城はそれこそ嫌と言うほど理解しているつもりだ。だからこそ、ふいに放たれる甘い言葉の破壊力たるや。
これが俗に言うツンデレの『デレ』だとは、剣城は知る由もない。
「…………おかしいなんて、別に思ってない」
「ほんとかよ?」
剣城がようやく色々な衝動を抑え込んで顔を上げると、依織はじっとりとした目で彼を見上げた。
そしてその言葉に嘘偽りがないことを確認したのだろう、なら良いけど、と顔をツンと逸らした。
「なら──その、今日のところはとりあえず」
「?」
一呼吸置き、剣城は口を開く。
「もう少し、遠回りして帰るか……?」
普通≠フデートなんてする時間はないけれど、このまま真っ直ぐ家に帰るのは何だか勿体ない。依織はゆっくりと数度、まばたきをして。
「……うん」
甘える猫にも似たか細い声で言って小さく頷くと、緊張で冷たくなった手をそろりと握り返した。