「依織、何だか雰囲気変わったよね」
いつものように閉鎖されたスタジアムでの特訓途中、休憩に入ってFWたちで雑談をしていると、ふと太陽がそんなことを言った。
突然の幼馴染みからの言葉に面食らっていた依織はしばし考え、ああ、と髪を結っているリボンに触れる。
「髪型変わったから?」
「や、そうじゃなくて何て言うか、昔みたいな……柔らかい部分? が戻ってきたというか」
「柔らかい……?」
倉間はちらりと依織を見上げ、無意識の内にその体のラインを視線でなぞってそそくさと目を逸らした。
言い出しっぺの太陽は、上手く考えを言葉に出来ないらしい。まとまらない考えに両手をもにょもにょとさせている彼に、横で聞いていた輝がその答えにピンと来たようでぽんと手を打つ。
「女の子らしくなった?」
「え」
「そうっ、それだ」
ぱちんと指を鳴らし、太陽は大きく頷く。依織は一瞬丸くした目を直ぐさま眇めて、溜息交じりに輝に視線を投げた。
「目ぇ悪くなったか、輝。誰が女の子らしいって?」
「た、確かに言葉遣いなんかは変わらないんだけど……時々、雰囲気が丸くなったなって僕も思ってたんだよ」
ね、と輝は手持ち無沙汰にタオルから延びた糸をいじっていた剣城に話を振る。うぅん、と剣城は何とも言えない唸り声を漏らした。
「…………俺は特に、何も」
「いかにも何かありそうな顔してるじゃねえか」
一言突っ込んで、マァ言われてみると確かに、と倉間は戸惑いの滲む依織の横顔を見上げる。照れているらしく、耳の先が仄かに赤い。
その反応を見てか、太陽があっ、と更に大きな声を上げた。
「もしかして、彼氏出来たとか!」
「ばっ──」
瞬間、目を見開いて体を跳ねさせた依織は咄嗟に太陽の口を掌で押さえつける。
「デカい声で何言ってんだ、お前は……!」
「え、じゃあ違うの?」
「……、……、……」
否定も肯定もせず、依織は林檎のような顔色になって太陽を睨みつけた。
その一方で、倉間と輝はちらりと剣城の方を窺う。剣城は明後日の方角を見て唇を真一文字に結んでいた。
そこでふと、倉間の脳内にとある記憶が蘇る。
あれはまだHRが終わっていない頃、確か新雲学園との試合が終わって間もない頃──
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「どうした、剣城」
それは部活の終わり際、後は後片付けをして部室に戻るだけというタイミングでのこと。
倉間はふと、剣城がベンチの傍で葵と雑談している依織の背中をじっと見つめていることに気が付いた。
「鷹栖のやつがどうかしたのか?」
「あ、いえ……」
剣城は依織を見つめていたことに対して無意識だったようで、ハッと肩を揺らして頭を振る。
──が、直ぐさま彼は何か思い悩むような表情になって、もう一度口を開いた。
「……倉間先輩。聞きたいことがあるんですけど」
「珍しいな。何だよ」
剣城は基本的に、自分から周囲に絡んでいくことは滅多にない。それが先輩相手なら尚更だ。倉間は意外そうに目を瞬いて彼を見上げる。
「最近、鷹栖の周りに花……みたいなものが、見える気がするんです」
「花ぁ?」
一体何の話が始まるのかと身構えていた倉間は、飛び出してきた予想外の単語に眉を顰めた。
剣城は依織に横目を向けて、言葉を選んでいるのだろう、ところどころつっかえるようになりながら続ける。
「いつもではないんです。ただ2人で話してる時やふとした瞬間に、不意にふわふわ……きらきら? したものが見える、気がする……ことがあって」
「きらきら……」
倉間はその言葉をしばらく反芻する。そしてある答えに辿り着くと、ぱか、と彼は薄く唇を開いた。
変な汗がじわりと首筋に浮かぶのを感じる。
「もしかしたら、女子選手だけに見られる特徴だったりするのかと……どう思います?」
「ど……どうって、お前」
倉間を見つめ返す剣城の目は真剣そのものだ。彼もこの不思議な現象について、散々考えたのだろう。そしてついぞ分からずに、こうして話し掛けてきた倉間に質問しているわけだ。
だからこそ、倉間は容易にその答えを口に出せない。
──それ、鷹栖のこと好きなんじゃね? と。
「(だってそれ多分、好きなヤツがキラキラして見えるって漫画によくあるやつだろ!? 現実でもあるんだすげー! いやでも違ったら俺ただの小っ恥ずかしいやつじゃん、どう答えるのが良いんだこれ!?)」
純粋な目を真っ直ぐと向けてくる後輩に、倉間は額にだらだらと汗を滲ませながら頭をフル回転させる。
先輩としてのプライドを守り、かつ後輩の疑問を解決するにはどうするのがベストか。
そもそも、この意見を受け止めた剣城がどんな反応をするかがまず予想が出来ない。
動揺するのか、それともあっさりと認めてしまうのか、はたまた違う反応を見せるかもしれない。事によっては近く決勝戦を控えているこのタイミングで、今や雷門のエースストライカーになった剣城の精神を揺さぶる結果になってしまう可能性だってある。それは余りにもリスキーではないだろうか。
と言うか、恋愛の話を切り出すのは普通にちょっと恥ずかしい。剣城より年上とは言え、倉間もただの中学2年生なのである。
この間、時間にして十数秒。
いつまで待っても出てこない答えに剣城が首を傾げたその時、救世主は現れた。
「──話は聞かせてもらった」
「! きっ、霧野……!」
ポンと叩かれた肩に、倉間はハッと振り返る。窮地を救ったのは、実はずっと近くで話を聞いていたらしい霧野だった。
安堵の目の向ける倉間に、彼の肩を叩いた霧野は「俺に任せろ」と力強く頷いて見せる。
良かった、これで俺も剣城も救われる──ホッと胸を撫で下ろす倉間を背に立ち、霧野は剣城へ向けてこう言い放った。
「剣城──お前に見えているもの。それはな……鷹栖の女子力≠セ」
「(な〜〜に言ってんだコイツ)」
一瞬の間に、抱いた希望が散り散りになっていく。
倉間の目が生気を失う一方、片や剣城は。
「あれが……女子力=c…!?」
「(ピュアかお前)」
まさか尊敬すべきサッカー部の先輩がそんな大胆な嘘を吐くとはこれっぽっちも思っていないのだろう、剣城は真面目な顔でごくりと息を飲んでいた。
そう言えば霧野は基本的に真面目だけど、ふざける機会があれば全力投球するタイプだった──倉間が呆れて事の成り行きを見守るしか出来ない中、霧野はするすると弁舌を振るい続けている。
「選手である以上、抑えきれないオーラってのがあるもんだよ。鷹栖もきっとそれが出てる自覚はないだろうから、剣城も気にせずいつも通りに接してやれ」
「な、成る程……?」
最後は半ば強引に言いくるめ、霧野は剣城の背中を依織の方へと押しやった。
剣城は納得したようなしていないような、微妙な表情で2人に会釈をして、いつも通り依織や天馬たちの元に歩いて行く。
「……おい、ホントにあれで良いのかよ?」
「良いんだよ」
いつの頃からだったか、あの2人は一緒にいるところをよく目にする。
思えば彼らは、剣城が正式に雷門イレブンに認められた頃から既に仲が良かった──実際どうだったかは知らないが──どちらかがそんな感情を抱くのは、自然なことだったのかもしれない。
「ああいうのは、自分で気付くべきだろ?」
「霧野……」
「あと黙ってた方が面白そうだったからな」
「……霧野……」
後半の台詞がなければ良い先輩だったのに。
これが自分や霧野でなく、神童だったらもっと良い答えを剣城に出せていただろうか。倉間は今頃病室でくしゃみをしているかもしれない友人に思いを馳せ、空を仰いだ。
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「──彼氏じゃないなら、単に依織が前より大人になって丸くなったってことかなぁ。うーん、つまんないの」
「なァにがつまんないんだ、よッ」
言葉と共にやや強めに振り下ろした平手は空を切る。そのまま太陽は踊るような足取りで逃げ出して、依織は「あのやろう」と歯を剥き出しにしながらそれを追い掛けて行った。
「ほんと仲良いな、あいつら」
「はは……」
猫とネズミのコミカルな追いかけっこでも見ているような気持ちで倉間が呟くと、苦笑した輝はそこでちらりとだんまりを決め込んでいた剣城に視線をやる。
「あのぅ……それで、剣城くん」
「何だよ」
タオルを首に掛け、剣城は輝を見下ろした。
輝は少し赤らんだ顔で、思い切った風にこう尋ねる。
「ほんとのところ、いるの? 依織ちゃんに、か、彼氏」
「……何で俺に聞くんだよ」
「…………」
一瞬目を見開いた剣城は、直ぐさま眉間に皺を寄せて聞き返した。
しかし、隣にいる倉間もじいっとこちらに視線を送り、輝もまた唇を引き結んで剣城の答えを待っている。
2人の無言の圧力にぐっと喉を逸らした剣城はしばしの沈黙の後、それに耐えかねたのか小さく溜息を吐く。
「……いるんじゃないのか……知らないけど」
「そっか……! やっぱりそうなんだね、おめでとう剣城くん!」
噛み合わない輝の返答に、剣城は「あ?」と語気を跳ね上げた。
「お、めでとう、って何だよ」
「えっ? 僕、てっきり剣城くんが彼氏になったんだと……」
「何だよ、違うのか?」
「……倉間先輩まで」
二度目の無言の圧力である。
剣城はちらりと依織の方を窺い、彼女が離れたところで太陽にコブラツイストを掛けているのを確認して、更に近くに他の仲間がいないこともしっかりと確認した後、もう一度溜息を吐いた。いつも白い頬は薄らと桃色になっている。
「……違わ、ないが」
「ほら、やっぱりな」
「良かった、これで他の人に聞かれた時『付き合ってます!』って断言出来るようになる……」
「は……?」
胸を撫で下ろしながらそんなことを呟いた輝に、剣城は眉をぐっと持ち上げる。
曰く、輝はクラスメートや合同授業で一緒になった他クラスの生徒から、度々『剣城くんと鷹栖さんって付き合ってるの?』と聞かれていたらしい。
勿論、剣城はそんなこと初耳だ。
「どうして本人じゃなくて影山に……」
「多分、聞き辛かったんじゃないかな? 剣城くんも依織ちゃんもクールと言うか、一見人を寄せ付けない雰囲気があるから」
「鷹栖がクールねぇ……?」
倉間は首を捻り、依織との思い出を掘り起こす。
今でこそ依織とは親しくなったが、最初の頃は彼女が無表情の裏で何を考えているのか分からなくて苛立ったものだ。
だが交流の浅い人間からすれば、彼女の『何を考えているか分からない性格』はクールに分類されるのかもしれない。
「……あ」
「どうかしました?」
「さっき、鷹栖が女らしくなったって話したろ。あれ多分、よく笑うようになったからかなって」
「あ〜、そうか!」
そう言えば男子に告白される頻度が増えたのも彼女が笑顔を見せるようになってからだ、と輝は腑に落ちたように大きな声を上げた。
幼馴染みである太陽が昔のような部分が戻ってきた、と表現したのも、彼女が稲妻町に戻ったこの2年近くの間にまともな笑顔を見せていなかったからだったのだろう。
それが何だか面白くなくて、ぐう、と喉の奥で唸った剣城は話を変えようとニコニコしている輝にじとりとした目を向けた。
「それにしても、『おめでとう』は何かおかしくないか。そんな満を持してみたいな言い方……」
「だって剣城くん、結構前から依織ちゃんのこと好きだったでしょ? だからようやく気持ちが通じ、たんだな……と……」
目を丸く見開いた剣城が絶句したのが分かって、輝は思わず言葉尻を小さくしていった。
まさかこの数日で自覚した気持ちを既に外野に悟られていたとは思いもよらず、硬直する剣城に輝はあわあわしながらそっと隣にいる倉間を見やる。
倉間は顰め面で、唇を噛み締めてブルブルと震えていた。笑いを堪えているらしい。
「んっふ……あー、まぁ何だ、バレたのが俺と影山なだけマシだったと思えよ」
「……浜野先輩とか狩屋には言わないで下さいよ」
「ああ、剣城くん的にはそこが危険なんだ……」
「おーい、輝!」と、そこで天馬や信助が輝を呼ぶ声が聞こえる。
はぁい、と返した輝が2人に駆け寄っていったのを見送って、倉間は少し声を落とし──それでも面白さは隠せないまま剣城に尋ねた。
「ところで剣城」
「……何ですか」
「鷹栖から見えてたのが女子力≠カゃないって気付けて、良かったな?」
「は? …………あっ」
瞬間、思い当たる記憶があったのだろう、剣城の顔がカッとマグマのように赤くなる。
忘れてください!! ──と試合外では珍しい剣城の大声がスタジアムに木霊して、倉間はとうとう我慢出来ずに大口を開けてわはは、と笑ってしまうのだった。