93

信号待ちをしている間に、バッグから折りたたみの小さな手鏡を取り出す。
鏡面に映る顔は見るからに緊張している。依織は前髪を撫でつけて、ついでに強張った頬をぐにぐにと揉んだ。

事の起こりは数日前に遡る。


§


「依織、良いものをやろう」
「はい?」

いつものように鬼道家での夕飯を終えて、そろそろ自宅へ戻ろうかと考えていた時だ。
ふと思い出した声音で言って、鬼道がソファ横のサイドテーブルの引き出しから白い長方形のものを取り出す。テーブルの上を滑らせるように渡されたのは封筒だった。

「何です? これ」

首を傾げ、依織は封筒を手に取った。開けてみろ、と目線で指示され、素直に従って中身を確認するとチケットが2枚入っている。

「国際、親善試合……イタリア対日本ッ!?」

紙面に目を落としながら読み上げる声が尻上がりになった。
ソファから半分腰を浮かせて勢い良くこちらを振り向いてきた依織に、鬼道はその反応を予想していたのだろう、したり顔で笑っている。

「向こうのチームメイトから送られてきたんだが、生憎その日は俺も織乃も夜まで体が空かなくてな。お前が代わりに行ってくれるなら、そのチケットも無駄にならずに済む」
「そっ、そういうことなら仕方ないですね……ありがたくもらっておきます」

微かに頬を紅潮させ、依織は興奮を抑え込んだやや高い声で言って大事そうに封筒を抱えた。

「チケットは2枚だ。空野でも雨宮でも、友達を誘って行くと良い」
「……そう、ですね」

鬼道の言葉に一瞬目線を彷徨わせ、依織は小さく頷く。
その後ろでは、妹分の僅かな感情の変化を感じ取った織乃が小さく笑みを浮かべていた。


§


「何でこんな緊張してるかな、私は……」

試合の時だってこんな緊張したことないのに。そっとぼやいて、バッグに鏡をしまう。
着ていく洋服を考えるにも随分と時間が掛かってしまったし、何を察したらしい織乃には「たまには違う髪型にしてみない?」と髪を編み込みされてしまった。楽しんできてね、と送り出してくれた彼女の笑顔には何だか含みがあった気がする。

「……試合。そう、プロの試合を生で観戦したことがないから緊張してるんだな。うん」

自分に言い聞かせるように呟いて、依織は軽く深呼吸した。

青に変わった歩行者信号を見上げ、改めて待ち合わせの場所へと向かう。
目印にしている大きな噴水に近づくと、待ち人が既にそこに立っているのが見えた。

「──剣城!」
「!」

足元を睨みつけるような険しい目つきで佇んでいた体が、驚いたのか小さく跳ねるのが分かる。
鷹栖、と口が動き、剣城は軽く咳払いして駆け寄ってきた依織に向き直った。

「ごめん、待たせた?」
「いや、今さっき来たところだ、……」

一つやり取りを交わしたところで、あまりの“お約束感”に2人は思わず口を噤む。

鬼道にもらったもう一枚のチケットを剣城に渡そうという結論に至るのに、時間はさして掛からなかった。
プロの試合観戦チケットは中学生の財布事情を考えると中々高額な代物だ。それが無償で手に入るとなれば、サッカー好きは皆喜んで飛びつくだろう。
それは剣城も例に漏れず、部活帰り2人になったタイミングで誘った時の彼は、興奮と動揺のせいかしばらく気もそぞろになっていた。

そして約束を交わした帰宅後、依織は彼を誘おうと決めた瞬間から何となく目を逸らしていた事実と改めて向き合う。

休日、部活動関係なく学校外で会い、一緒に出掛ける。
それは一般的に“デート”と呼ぶものなのではないか、と。

「……鷹栖、何か今日雰囲気違うな」
「えっ。そ、そう?」

一拍置いて口火を切った剣城に、依織はギクリと肩を竦める。
やはり緊張が顔に出てしまっていたのだろうか。それとも、変に張り切りすぎないように気をつけて選んだ服装がどこかおかしかったか。
そわそわと肩に垂れ下がった髪を撫で付けたところで、一番の原因に思い当たる。

「か、髪型のせいかな。姉さんにいじってもらったんだ」
「それもあるんだが……」

だが? と不安そうに眉を顰めて依織は剣城を見上げた。
剣城は言葉を選んでいるのか、依織を見つめたまましばし閉口してから。

「いや……やっぱり何でもない。行こう」
「ええ?」

やがて気まずそうに目を逸らし、踵を返してしまった。明らかにまだ何かがある反応である。
何だよそれ、と文句を言って顔を覗き込もうとして、思い留まった。今の依織にSSC由来の精神感応の力はない。目を見たところで、彼の真意は分からないだろう。
慣れって怖いな、と溜息を吐いた依織は、剣城の耳が赤くなっていることには気付かなかった。

サッカーを巡る時空を超えた戦いを終えて、早くも2週間が経つ。
日米親善試合の暴行事件から施行されたサッカー禁止令は歴史の再修正により“なかったこと”になり、人々は自分たちの記憶が改ざんされたことも、その裏で激しい戦いがあったことも知らず変わらぬ日々を過ごしている。
雷門イレブンの長い長い戦いはこの時代の誰に知られることもなく歴史の影に消え、依織たちも少しずつ日常を取り戻しつつあった。

「それにしても、急な話だったな」

駅構内へ入り、目的地へ向かう電車を待つ。
電車が近付いてくるアナウンスが響く中、剣城がふと切り出した。

「まだアメリカとの親善試合から2ヶ月も経ってないのに、今度はイタリアと試合だなんて」
「ああ、その件。私も気になって有兄さんに聞いてみたんだけどさ……」

──正直、今回の試合は謎が多くてな。
そんな前置きから始まった鬼道の説明は確かに不可解なものだった。
イタリアとの親善試合は、文字通り突然決まったことだったらしい。組まれた日程の性急さも相まって、不審なものを感じ取った豪炎寺が調べたところ、驚くべきことが分かった。
親善試合を行うにあたり、イタリアとやりとりをした記録や金の動いた様子が全く見当たらなかったのだそうだ。
そこらの草試合ならまだしも、国同士の正式な試合でそんなことはまずあり得ない。何よりもおかしな点は、その件を指摘しても自分以外の協会の誰もがそれを気にする様子がなかったことだ。
まるで不思議な力に操られたかのように、今回の親善試合は開催されたのである。

「……ってことらしいんだけど、どう思う?」
「何か……既視感があるな」
「だよなぁ!?」

依織は思わず大きな声を上げた。丁度電車がホームに入ってきた音で、幸いにもその声はあまり周りの乗客には聞こえなかったようだ。

「つまり、エルドラドが噛んでるってことか?」
「十中八九そうだろうな。あいつらの十八番だろ、マインドコントロール」
「何のために……?」
「さあ……? 一回アメリカとの試合台無しにしたから、そのお詫びとか?」

インタラプト修正の場に居合わせた雷門イレブンには、ベータ率いるプロトコル・オメガによって日米親善試合が潰された記憶が残っている。
ラグナロクにて勝利を収め、未来世界の平和を守った見返りに本来楽しめたはずの試合の代わりを急遽用意した──ということであれば、今回の一件はそれなりに説明がつく。

「豪炎寺さんたち的にも、試合が組まれた流れがおかしいってこと以外は特に問題はないみたいだし? そういうことならありがたく楽しませてもらおうかなーって感じ」
「そういうことなら良いんだが……」

どの道、今の自分たちに真相を究明する術はない。依織の言う通り、細かいところには目を瞑るしかないだろう。
そう締めくくって、2人は試合会場の最寄駅へ向かう電車へ乗り込んだ。




スタジアムは既に大勢の観客で賑わっている。
モニュメントの前で記念撮影をする者、物販の内容を確認する者、試合の結果を予想する者。十人十色な人混みをくぐり抜けて辿り着いたチケットの席は、メインスタンドのド真ん中だった。

「ここ、すごく良い席なんじゃないか?」
「さすが有兄さんたちが貰った席……」

ここからなら選手の動きが俯瞰で見える。かつてイタリアのチームでゲームメイカーをしていた鬼道にはお誂えの席だったのだろう。
鬼道たちが来られなかったとは言え、本当に自分たちが代わりに来て良かったんだろうか。不安を覚えた2人だったが、いざ試合が始まるとあっという間にそんな気持ちは吹き飛んでしまった。

「染岡さんスタメンじゃん! 初手から攻めて来そうだな」
「日本も豪炎寺さんがいたらな。そしたら攻撃力が釣り合ったのに」
「代わりにイタリアは守備が薄いだろ。日本にも勝ちの目はあるって」

周りの歓声が大きすぎて、隣同士なのに会話をするのにも顔を近付けて声を張らないと聞こえない。
自分たちの試合とはまた違う緊迫感、圧倒的な力強いプレー。眼下で繰り広げられる怒涛の攻防に、始まるまでの緊張も忘れて熱狂する。

やがて時間は飛ぶように過ぎて、同点のままアディショナルタイムを迎えた。
時間的にも体力的にも、次の1点が勝負を決める。
ボールを持って攻め込んだのはイタリアチームだ。パスを繋ぎ、次々と日本チームのディフェンダーを突破していく。

「〜〜ッ」

フィールドの緊迫感が伝染し、依織は知らず知らずの内に息を詰めて拳を握り締めていた。
そしてついに迎えたキーパーとの1対1。白く輝く軌跡がゴールの真正面を捉え、キーパーの体から湧き上がった闘気が魔王のような姿になってシュートを押さえ込んだ。

「ワーッ! やった、止めた!!」
「今のを止めるのか……!」

サポーターたちから歓声が湧き上がり、つられてテンションの上がった依織も思わず剣城の腕にしがみつく。
依織はすぐさま我に返って、ゴメン、と離れたが、剣城は気にしているのかしていないのか、ああ、と歯切れ悪く返した。
ボールが再びフィールドへ投げ込まれる。日本チームが敵陣に攻め込む前にホイッスルが鳴り響き、日伊親善試合は同点で幕を下ろした。




「めっちゃくちゃ良い試合だったな……」

ベンチに腰掛けて呆然と呟いた依織に、剣城は深々と頷いた。その手には物販で買ったタオルが2枚握り抱えられている。言うまでもなく、自分用と優一への土産用である。

「前半中盤の染岡さんのプレーすごくなかった?」
「あれだろ、スレスレまでキーパー引きつけて味方にパスしたやつ。あれは騙された、凄かった」

興奮冷めやらぬまま語り合う場所は、スタジアム裏手にある大きな自然公園だった。
欲を言えばスタジアム近くにあるカフェかファストフード店のイートインスペースに入ってゆっくり感想を話したかったのだが、皆考えることは同じなのか店内はどこも試合帰りの客で満員だったため、仕方なくこうしてただのベンチに腰を落ち着けているわけである。
しかしここが案外穴場であったのか、公園は時折ジョギングや犬の散歩で人が通りかかる程度で静かなものである。これでまた人混みに入れば余計な体力を使っていただろう。

「その……それで、鷹栖。この後──ん?」

ふと何かを言いかけた剣城が眉を顰めた。彼は自分のポケットを押さえてから依織の方を見る。

「鷹栖、お前の携帯鳴ってないか?」
「え? ……あ、ホントだ。誰だろ」

バッグの中で着信を訴える携帯電話を取り出して、依織は着信元を確認する。そして目を丸くした後、依織は一瞬迷った様子を見せてから電話に出た。

「……はぁい、もしもし」
「Ciao.イオリ!」

途端、電話口と背後から同時に聞こえてきた声に、2人はベンチから飛び上がりそうになった。ベンチの後ろ、大きな木の裏からひょっこりとプラチナブロンドが覗いている。

「ハハッ、驚いた? 久しぶりダネ、イオリ!」
「る、ルカさん! 何してんですか、こんなとこで……!」

思わずベンチから立ち上がった依織は、驚きと呆れの混じった目を彼──ルカに向けた。
ルカさん? と話について行けていない風に首を傾げる剣城に、ああ、と依織はルカを手で指しながら説明する。

「ええと……この人はルカ・パオロさん。イタリアで私にサッカーの特訓つけてくれた人で、さっきのイタリアチームでコーチングスタッフしてるんだ」
「やぁ、よろしく!」
「つ、剣城です。よろしくお願いします」

手を差し伸ばして握手を求めるルカに、剣城は緊張した面持ちで応じた。

「ひょっとして君、イオリのil ragazzo?」
「はい……?」
「る、ルカさん! 試合終わったばっかで疲れてんでしょ、一体何しに来たんですかッ?」

ニンマリと口角を上げたルカに聞き慣れない単語を出され、首を捻った剣城が意味を聞き返す間も無く依織は慌てて声を上げる。

「もう、ご挨拶だなぁ。キドウが君が試合を観に来てるって言うからわざわざ探しに来たのにさ」
「曲がりなりにも仕事で来日してんだから、私に会いに来るなんて思わないでしょ……いつも急なんですよ、あんたは」

相変わらずのマイペースぶりに、依織は頭を押さえて溜め息を吐いた。
その反応を見て、ルカはニヤリとほくそ笑む。

「おやおや……良いのカナ、そんなこと言って。わざわざ特別ゲストを連れてきてあげたのに」
「特別ゲストぉ? 誰です?」
「俺のことかな」

今度は正面から掛かった声に、依織はギョッと振り返った。剣城も同じように驚いている。ベンチの後ろに立っているルカにばかり気を取られて、前から人が近付いてきていることに気が付かなかったのだ。

「ジャーン。サッカー少年少女の憧れ、白い流星だヨ!」
「やぁ! 君は前に一度エドガーのところで会ったよね」

俺のこと覚えてるかい──そんな軽口と共に、彼は変装用であろう眼鏡を取って深く被っていた帽子の鍔を押し上げる。
ダークブラウンの髪に青い瞳、少し日に焼けた整ったかんばせ。その顔は、つい先程フィールドで目にしたばかりだった。

「ふぃ……フィディオさんッ!?」

思わずその場で後退りしそうになった依織は座面に膝を引っ掛かけて、すてん、とそのままベンチに尻餅をついた。
大丈夫か、と依織に声を掛ける一方で、剣城は突然現れた有名人に目を白黒させている。

「鷹栖お前、フィディオ・アルデナとまで面識があったのか……?」
「や、この人とはイギリス留学中、先生に会いに来たとこに偶然出会して……」

依織は勢い良く座面にぶつけた臀部を擦りつつ、動揺を隠しきれない剣城とボソボソと小声でやり取りした。
その間、フィディオは「お前が驚かしたいから隠れとけなんて言うから……」とルカに苦笑を向けている。

「フィディオさんまで巻き込んで……っとに悪戯が好きなんだから」
「ふふん、お茶目だロ? ……ところで二人とも、もうお昼は済んだ?」

いえ、と依織は首を振る。そもそも、近場の店はどこも一杯だったからこうして公園で駄弁っていたのだ。

「じゃあ、丁度良かった!」
「はい?」


§


からん、と水に入った氷が音を立てる。
頭上ではシーリングファンが回り、室内の空調を整えている。流れてくるゆったりとした落ち着いたジャズは、店の雰囲気と良く合っていた。

そんな快適な空間の中、全く気持ちが落ち着かないのが依織と剣城である。

「Buono! キドウは良い店を知ってるなぁ。デートで来たのかな? 個室もあるし最高だね」

卵のとろりとしたオムライスに舌鼓を打つルカに、そっすね、と依織はフォークを握り締めたまま細い声を返した。

お昼がまだなら一緒に食べようよ、良い感じのお店を教えてもらったんだ──とあれよあれよと言う間に公園から連れ出され、スタジアムから少し離れた路地の奥まった場所に建つ小洒落たレストランに連れてこられて十数分。
予想外の展開に、依織と剣城はすっかり萎縮してしまっていた。勿論僕らの奢りだよ、とウィンクするルカに勧められるがままそれぞれ料理を注文したのは良いが、緊張で味がよく分からない。
向かいの席に座ったフィディオは、そんな2人の心情を察したのか眉を下げて微笑んだ。

「ごめんな、せっかくのデートを邪魔して。でも、君たちと話したいのは俺もなんだ」
「い、いえ……」

“デート”という単語に依織はギクリと身を竦ませる。そっと隣の剣城を見やると、彼も同じように頬を少し赤くして依織を横目で窺っていた。
ぱち、と目が合ったところで剣城は依織から視線を外し、緊張を無理矢理押さえた声でフィディオに尋ねる。

「話と言っても……申し訳ないんですが、俺たちには特にこれと言って提供出来るような話題は……」
「いや、あるよ」

にこ、と口角を持ち上げて、フィディオは断言した。
目を瞬く2人に、フィディオはチキンドリアをつついていたスプーンを置いて言う。

「『FFI』。日本でも、もうすぐ選抜が始まるんだろう?」
「!!」

その瞬間、依織たちの目の色が変わったことに気付き、ルカがクスクスと小さく笑った。

フットボールフロンティアインターナショナル、通称『FFI』。
この数年、サッカー少年法第5条が広まっていたせいもありしばらく開催されていなかったFFIが、今年ようやく再開される目処が立ったのだ。
かくいう依織たちも、それを知ったのはほんの1週間前のこと。近い内に協会から視察が派遣され、選抜試合に出る選手が各校から選ばれるそうだ。
しかも、今回は女子の参加もライセンスの有無関係なく認められているらしい。
わざわざイタリアに渡りライセンスを取得した依織からすれば少々腑に落ちない話ではあったが、元はと言えば彼女のホーリーロードでの活躍を受けてサッカー協会が新たに条件を定めたというのだから、文句の言いようもなかった。

「俺がオフシーズンに顔を出してる地元のクラブの子たちも、選抜に選ばれようと頑張ってるところでね」
「私たちに聞きたい話っていうのは……要は敵情視察みたいなもんですか?」

依織の瞳に好戦的な光が宿る。
大袈裟に言うとね、とフィディオは軽く笑った。

「FFI出場の先輩として、マモルの教え子に意気込みを聞いてみたかった……ていうのが本音かな?」
「マモル?」
「エンドウのことだよ」

言い添えたルカに、ああ、と2人は納得した。円堂が日本代表から退いてから、彼のフルネームを聞く機会はあまりない。

「意気込みなら、勿論ありまくりですよ。日本一になったんなら、次は世界一を目指さなくっちゃ。なっ」
「ああ。……当然、険しい道だとは分かってます。でも、壁は高いほうが越え甲斐がありますから 」

先程までの緊張はどこへやら、目を闘志に輝かせている若き選手にルカとフィディオは顔を見合わせ、そうこなくちゃ、と微笑んだ。




それから緊張も解れた2人は、サッカーの話をしながらの食事を楽しんだ。剣城に至ってはちゃっかり物販で買ったタオルにフィディオのサインを貰い、傍目から見ると少し分かりにくいがホクホクしている。

「俺たちはそろそろ行くよ。夜はキドウたちと会う約束もしてるし、一度ホテルに戻らないと」
「は、はい。ご馳走様でした」

そう言えば、鬼道と織乃は夜は不在だと言っていた。依織は今朝織乃から聞いた話を思い出しながら、2人に頭を下げる。

「それじゃあ、FFIで君たちの活躍が見られるように祈ってるよ。A presto!」
「ええ、また」

ルカは依織にチークキスすると──剣城がギョッとルカの方を見た──軽く手を振って、フィディオと共にタクシーに乗り込んだ。
エンジン音を響かせ走り去るタクシーが曲がり角の向こうへ見えなくなるまで見送って、依織は大きな溜息を吐く。

「っはー……やっと一息吐ける。悪いな剣城、何か巻き込んだみたいな形になって」
「え、……ああ、いや……大丈夫だ」

剣城はどこか不機嫌そうに眉根を寄せて、煮えきらない返事をした。
どうかしたか、と目を瞬く依織に、彼はハッとした様子ですぐに首を横に振る。

「な、何でもない。……まぁ、急ではあったけど貴重な体験が出来たからな。逆に礼を言いたいくらいだ」
「そ? だったら良かったけど」

ふ、と緩やかに微笑んで、依織は歩き出す。剣城も一歩遅れてそれに続いた。

「白い流星から指導を受けてるイタリアの選手か……手強そうだな」
「それ以前に、まずは選抜選手に選ばれないとだけどなー」

路地から出て大通りへと戻る。試合終了直後こそスタジアム周辺は興奮しきった観客でひしめき合っていたが、流石に数時間も経った今はそれも落ち着いていた。

「とりあえず太陽は選ばれるだろ? 帝国の面子もフィフス抜けてから有兄さんたちに扱かれてるし、雷門から選ばれるヤツもいるだろうし……始まる前からライバルが多いな」
「何だ、自信がないのか?」
「まさか!」

目ぼしい選手を指折り数える依織に剣城が口角を上げると、依織はグルッと体ごと彼の方を振り返る。

「こちとら時空最強の1人だぞ? 絶対に選抜選手になってやる。今回は剣城もライバルだからな、お前も全力で来いよ」
「そうだな。……俺も手を抜くつもりはない」

ギラギラと目を輝かせて闘志の漲る笑みを浮かべる依織に、剣城はざわりと武者震いを覚えた。同時に、いちサッカー選手として彼女のこういうところを好ましく思う。手加減などしようものなら、何を言われるか分かったものではない。
突き出された拳に自分のそれをゴツンとぶつけて、剣城は依織の隣へ並ぶ。

「ところで……鷹栖」
「うん?」

一転、剣城がどこか探るような声色になったことを感じ取り、依織は隣を歩く顔を見上げた。

「この後、どうする」
「このあと? ……あ」

そこで依織は、試合を観戦した後の予定を全く立てていなかったことに思い至った。
時刻は15時を回っている。電車で稲妻町に戻る時間を差し引いても、別れるにはまだ早い時間と言っても過言ではない。

「予定がないなら……もう少し一緒にいないか。その、せっかくここまで来たんだから……」
「ぇあ、……う、うん……」

途端、風船から空気が抜けていくように好戦的なサッカー選手の顔は鳴りを潜め、代わりにじわりと赤くなった顔で依織は俯いた。
あまりに分かりやすい変化に噴き出しそうになるのを空咳で誤魔化して、剣城はそっと片手を彼女に差し出した。
ややあって遠慮がちにチョンと置かれた手を軽く握ると、依織は喉の奥から絞り出すような音を漏らす。

「……たっ、楽しみだなFFI!」
「そうだな」

世界への切符は目前だ。けれど、それを奪い合う前に──もうしばらくの間、距離を縮める時間が欲しいとも思う。今の自分たちに、背負うものは何もないのだから。
剣城は今度こそ笑みを隠さず、依織の赤い頬を横目に彼女の手をしっかりと握り直した。
←prev | bkm | next→
表紙 / TOP