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「一体今が西暦何年だと思ってるの? 未だにこんな原始的な方法しか取れないだなんて、信じられないよ。やっぱり旧人類というのは野蛮な奴らばかりなんだ、今ならまだ間に合う、何か違う方法を模索しようじゃないか」
「すいません、もうめんどくさいんで一思いにやって下さい」
「やめて始祖様もう少し心の準備をさせて」

施術台に横になったまま息継ぎも控えめに捲し立てるSARUに、依織は心底面倒臭そうに顔を顰めて戸惑っている医療スタッフに言い放つ。

4日間行われたラグナロク。最終戦から一夜が明け、国民にはラグナロクにエルドラドが勝利したこと、フェーダが超能力を手放し人類との和解が成されたことが改めて報道されたらしい。
ただ、この1年でフェーダが街に実害を及ぼした事実は変わらない。国民の全てがその結果を受け入れるには時間を必要とするだろう。もしかすれば、フェーダが力を失ったことをいいことに報復に走る者も出てくる可能性もある。万が一のことが起こらないように法整備はするので、どうかお前たちも問題を起こさぬように──とは昨晩のフェーダの子供たちを集めて今後の事を説明したトウドウの言葉である。

昨日の内にザン、ギル、ガルのメンバーは無事に抑制ワクチンを打ち終わった。暴れん坊揃いのザンの中には力を失うことに対して難色を示した者もいたらしいが、SARUの説得により事なきを得たそうだ。
SARU曰く、『超能力がなくなればフェーダ内の力関係も変わってしまうかもしれないね』などと溢したのが決め手になったのかもしれない、とのことである。

依織とフェイ、ザナーク、そしてラグーンのメンバーは最終試合で体力を使い果たしてしまったため、体調を鑑みて一日明けてのワクチン投与となったのだが。

「SARU……君が注射嫌いだなんて、知らなかったな……」
「嫌いってわけじゃないよ、ただ未知に対して不安を覚えるのは仕方ないことだと思わないか? あんな太い針を体に刺して体内に薬を入れるだなんて、正気の沙汰じゃないよ」
「よく口が回るなぁ」

呆気に取られた様子でフェイが言うと、SARUは注射器を構えたスタッフから顔を背けたまま口早に言い返す。依織は一周回って関心したように呟いた。勿論、二人は既にワクチンを投与済みである。

「ハッ。仮にもリーダーをやってた奴が、情けねえこった」
「ほんの1時間前まで注射嫌がって逃げようとしてた奴が何か言ってるな……」

後方の長椅子に腰掛けてふんぞり返っているザナークに、依織は呆れた目を向けた。
注射をしなければならないと知った時のザナークの嫌そうな顔と言ったら、それはもう酷いものであった。錦が必死に説得している間に『今こそいつかの恨みを晴らす時』と張り切ったガンマが手持ちのデバイスを総動員してザナークを拘束していなければ、彼は今も街を逃げ回っていたかもしれない。

大介がいれば、あるいは効果覿面の煽り文句であっという間にザナークをその気にさせていたのかもしれなかったが──それも無理な話である。
ラグナロクが終わって間も無く、クロノストーン状態から解放された大介はこの時代から消滅した。
インタラプト修正による、バグの消失。『エルドラドがフェーダに勝った』歴史が紡がれたことで、これまでエルドラドが行ってきた歴史修正の一部に再修正がされたのだ。
すなわち、ベータによる大介の封印未遂がなかったことになり、この時代に存在した大介はバグとして消失、本来の時間の流れへ帰って行ったらしい。
消えるまでのほんの数分の間、円堂が祖父とどんな会話をしていたかは本人たちしか知らない。

「ぐぅ……」
「終わったわよSARU、頑張ったわね!」
「長い戦いだったな……」

針が抜かれ、患部をガーゼで押さえつけられたことにも気付けないほど意識を注射から逸らしていたSARUを、先に投与を終えていたメイアとギリスが励ます。
SARUは落ち着きを取り戻すと、「ま、大した事なかったね」と呟きながら注射を打たなかった方の掌をぐ、ぱ、と軽く開閉した。

「ワクチンが完全に効くまで少し時間が掛かります。ひとまず、1時間は安静にしておくこと。気分が悪くなったらすぐに申告してください」
「……分かったよ」

機材を片付けながら要項を伝えるスタッフに、SARUは唇を尖らせつつも素直に頷いた。

最後の一人だったSARUが自由になると、ラグーンのメンバーも緊張が解れたのか少しばかり研究室が賑やかになる。
依織はSARUたちから離れて壁に背中を預け、ようやく終わった、と一息吐いた。
自分の血を研究することで完成した抑制ワクチンなのだから、最後まで見届けるのが筋というものだろう。そう思って投与後も医務室に残っていたのは良かったが、まさかこんなに長丁場になるとは思わなかった。

「これで、本当に能力がなくなってしまったんだね」
「ええ……でも、嬉しい。これで私たち、一緒に大人になれるのね」
「僕もさ、メイア。これからもずっと一緒に……未来へ生きていこう」

ギリスとメイアは見つめ合い、幸せそうに体を寄せ合っている。それを横目に仲間たちは、またやってるよと言いたげな苦笑を浮かべていた。
依織は二人のやりとりに何故だか既視感を覚え、熱くなった頬を誤魔化すように手のひらで擦りつつ、ぼんやりとフェーダたちが穏やかに会話しているのを何と無しに眺める。
すると出入り口の扉が開き、革靴の音を響かせながら、研究室にトウドウとサカマキ、それからアルノが入って来た。

「終わったのか」
「お陰様でね」

SARUはトウドウを見上げると、皮肉めいた声で返す。

「でも、ホントに良かったの? スタジアムを元のビルに戻さなくて」
「国民はもうフェーダが超能力を手放したと認識しているんだ。その矢先にまたあんな大掛かりな破壊をされてみろ、暴動が起きるぞ」

顔を顰めて答えたのはサカマキである。確かに、と依織は内心頷いた。武装解除を報道した後でまたスタジアムが破壊されたとなれば、例え同じ力で本部が復活したとてフェーダがエルドラドとの和解を反故にしてまた暴れ出したのではないかと思われかねない。

「今朝の会議で、あのスタジアムは世界平和の記念と戒めのためにも、そのままエルドラド本部を兼ねて運用していく方針で決定した。既に資材の運び込みは始まっている、今週中には本格的に再稼働する予定だ」
「……ふーん。あ、そ」

淡々と報告するトウドウに、SARUは所在なさげに腕を擦って気のない返事をする。

「今日の17時には、お前たちを一度フェーダの拠点に護送する。それまでは自由に行動すると良い。ただし、街へ出る際は念のため監視をつけさせてもらうぞ」
「はいはい、分かったよ」
「しがらみが多くて大変だなァ、お前たちも」

SARUたちは我関せずといった具合に寛いでいるザナークを恨みがましい目で睨んだ。そこで、何を笑っている、とサカマキが冷めた声を上げる。

「お前には明日からムゲン牢獄で1週間の矯正プログラムを受けてもらうぞ、ザナーク」
「ッ何だと!?」
「忘れたのか? お前は脱獄後、『雷門を倒すこと』を条件に自分の罪を帳消しにするように交渉してきた。しかしどうだ、お前は結局一度も雷門を倒せなかったではないか」
「は? 何、その話」

聞き捨てならない話が飛び出してきて、依織は思わず会話に参加した。そもそも、ザナークが脱獄犯だったことすら初耳だ。

「本来ならば懲役10年のところを、ラグナロクに参加しチームに貢献した恩赦で一週間に短縮してやったのだ。異例の扱いだぞ、これは」
「懲役10年って……一体何したんだよ」
「ふっ……聞きたいか? 聞きたいよなぁ?」
「あ。やっぱり良いや、聞きたくない」

また長い話が始まりそうな予感がして、依織は食い気味にザナークの問いかけを拒否する。どうせ碌でもないことに決まっている、と。

「お前がどこぞで集めたごろつきたちも、同じ条件で既に投獄済みだ。彼らとまた空の下へ出たければ、大人しく従うことだな」
「……チッ。仕方ねえな……」

ここまで来ては逆らう方が無駄だと悟ったのだろう、ザナークは不満げに鼻を鳴らして長椅子から降りると、そのまま大股で扉へ向かう。

「おい、どこへ行くザナーク」
「街へ出ても良いんだろう。心配すんな、夕方には戻ってやる」
「待て、外へ行くのならお前にも監視を付けねば……はぁ、全く」

制止にも聞く耳を持たずさっさと医務室を出ていってしまうザナークに、サカマキは大きく溜息を吐いてインカムでどこかと通信を始めた。ザナークに付ける監視役を見繕っているのだろう。

「──鷹栖」
「!」

ふとトウドウに名前を呼ばれ、依織は視線だけ彼に寄越した。

「君たち雷門イレブンの帰還は、ルートエージェントたちによる歴史修正が完了した後になる。……君も、ご苦労だった」
「……言っとくけど私、あんたが最終戦直前に水差したこと許すつもりないからな」
「ああ。構わない」

顔を顰めた依織に短く答え、「では、私はこれで失礼する」とトウドウはサカマキを連れて医務室を後にする。
何が構わない、だ。依織はより一層不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「まぁそうカッカするな、依織くん。議長にも果たさねばならぬ責任があったのじゃ」
「分かってますけどぉ」

宥めすかす口調で言ってきたアルノに、依織はガシガシと後頭部を掻いて呻く。
トウドウが依織の気持ちを無視してあんな手段を取ったのも、全ては国民の安全のため。それは頭では理解している。
ただそれはそれとして、やはり今まで散々振り回しておいて協力までさせて、よりにもよって依織が一番嫌がる形の不義理で返されたことが許せないのもまた事実。
そんな感情が混ぜこぜになって、依織もああ言った態度でしか彼に接することが出来ないのである。

「じゃが、もう依織くんがそれを気にする必要はない。君を縛るものは、もう何もないのじゃからの」
「……?」

そんな言葉と共に差し出されたアルノの手に、依織はキョトンと彼を見上げた。
一拍開け、依織はその意図を察すると、右手のブレスレットを外して彼に預ける。

「どうじゃ、気分は」
「……右手が軽いなって」
「ほっほ! そりゃそうじゃ」

アルノはブレスレットを懐にしまいながらカラカラと笑った。依織のためだけにカスタマイズされたあのブレスレットが本来の役目を果たす日は、きっともう来ないのだろう。

ふと傍に人の気配を感じ、右手の日焼け痕を撫でていたた依織は顔を上げた。
フェイが真剣な面持ちで、依織の顔をじっと見つめている。

「……良かった、依織。本当に……」
「……うん。ありがと、フェイ」

微かに潤む淡い緑色の瞳に、依織は小さく微笑んだ。
一番最初にあのブレスレットを依織に渡したのはフェイだった。そして彼は、依織が危うく消滅しかけた場面を唯一目の当たりにしている。
これまでの事を思い出して感極まってしまったのだろう、フェイは湿った目元を慌てて拭って、SARUたちを振り返った。

「僕、天馬たちに街を案内する約束をしてるんだ。みんなはこの後どうする……?」
「ううん、どうしようかしら……」
「どうせ僕はまだしばらく安静にしないといけないからね。街の散策は後日改めてさせてもらうよ」

メイアたちはまだ街へ出かけるかどうか決めかねているらしい。
SARUはチラリとフェイに流沔を向けると、すぐに目を逸らして手頃な長椅子に横になって足を組んだ。そのまま瞼を伏せ、フェイの方を見ようとしない。
そっか、と頷きつつも彼らを置いていくことに後ろめたさがあるのか、俯いたフェイの肩を依織が叩く。

「行こうぜ、フェイ」
「でも、SARUが……」
「あれな、拗ねてるだけ。お前が一緒に行こうって誘わなかったから」
「ちょっと始祖様、変なこと言わないでくれるッ?」

パッと目を見開いて、SARUは聞き捨てならないといった様子で起き上がり依織を睨んだ。

「その薄寒い呼び方改めたら真面目に取りあってやるよ、“子孫殿”! じゃあなっ」
「あ、こら……!」
「ま、待ってよ依織!」

目を細め、からかう声音で言った依織は駆け足で医務室を後にする。
フェイが勢いに釣られてその後を追いかけ、取り残されてグウと唸るSARUをメイアとギリスが宥める。そんな一連のやり取りを見て「青春じゃのう」を髭を撫でながら笑ったアルノもまた、ゆったりとした足取りで医務室を出ていった。




「依織、もう人の感情は見えないんじゃないの……?」
「私の目ぇナメんなよ、フェイ。あれくらい力がなくたって分かるって」

廊下の中ごろを進んだ辺りで減速し、尋ねてきたフェイに依織は肩を竦める。

「ま、心配しなくたってこれからあいつらと街に出かける機会なんてごまんとあるんだし、今日くらい天馬の方を優先してやってくれよ」
「……うん。そうだね」

ふ、と柔く笑みを浮かべ、フェイは頷いた。

本来であれば、この時代においてエルドラドのルートエージェント以外の人間は、厳しい審査をクリアしなければ時間遡行することは出来ないらしい。
フェイはアルノの独断と本人の意思のみで200年前の時代へやって来た。結果的に彼もまたラグナロクでの貢献が認められ、それ自体が罪に問われることは無くなった──が、今後は今までのように気軽に時間遡行は出来なくなる。
つまり、天馬たちとも簡単には会えなくなってしまうのだ。

「ところで、アスレイさんとはあの後話せたのか?」
「昨日の夜に……少しだけ」

話を変えて今度は依織が尋ねると、フェイは若干気まずそうな顔になって小さな声で答える。

「ずっと独りにして悪かった、また一緒に暮らそうって……」
「……何て答えたの」

訊くと、フェイはそっと首を横に振った。

「すぐには決められないから、答えは待ってもらってる。だってそうでしょ? 僕ら、10年くらい離れて生きて来たんだよ」
「まぁ……ずっと離れて見守ってたとは言っても、フェイ自身はそれを知らなかったんだから関係のない話だよな」

そう言って、依織は呆れの混じった乾いた笑みを溢す。
フェイのこの迷いこそがアスレイへの答えだ。あの時本人に言われなければ、彼が自分の父親だと思い出すことも出来なかったかもしれない。それほどの長い時間、アスレイはフェイを独りにした。何を言い訳にしようと、それだけは変わらない事実だ。

「仕事人間てのはどうも他人の気持ちに疎いと言うか……その内奥さんにも見捨てられかねないぞ、あれ。奥さんて言うか、未来の黄名子か」
「いや、母さんは──……」

そこまで言って、フェイはハタと言葉を切る。
彼が唐突に喋らなくなったのを不思議に思って依織が顔を覗き込めば、その目には動揺が浮かんでいた。

「フェイ? どうした……」
「──あ、フェ〜イ!」

廊下の先から聞こえてきた声に、二人は驚いて肩を揺らす。天馬がフェイを探しに来たらしい。

「依織もいる! 無事にワクチン接種終わったんだね」
「ん、ああ……まぁな。SARUのやつがゴネて無駄に時間掛かったけど」
「ええ?」

まぁ俺も注射は苦手だけど、と天馬は頬を掻き苦笑いする。

「そうだ、依織も一緒に行こうよ、街の観光! 他のみんなも好きなとこに行ったみたいだよ」
「好きなとこ……って、現地人の案内も無しにか? 大丈夫かよ」
「アルファに相談したら、パーフェクトカスケイドのメンバーが何体か空いてるからって案内に付けてくれたんだ」
「意外と柔軟な対応するな……」

大きな戦争を終えて、プロトコル・オメガの面々もずっと張っていた肩の力がいくらか抜けたのかもしれない。
それでも歴史の再修正という最後の仕事は残っていたため、「完璧に熟してきた仕事が自分の首を絞めるとは思いませんでしたわ」とベータが朝早くに面倒くさそうに呟きながらタイムマシン発着場に向かう姿を依織は見かけていた。

「あ、来た来た。おーい天馬、フェイ!」
「信助!」

外へ出ると、こちらに気付いた信助が大きく手を振った。駆け寄ってから近くでボールを蹴る音が響いている音に気付き、天馬たちは「ん?」と顔をそちらに向ける。

「てやーっ!」

マネージャーに見守られて、黄名子と剣城がボールを奪い合っていた。
黄名子は小柄な体を活かしちょこまかと動き回って剣城を翻弄すると、ボールを奪って大きな看板の二本足の支柱の間へシュートを放つ。

「やったぁ! ウチの勝ち!」
「……くそ」

両手を上げて喜ぶ黄名子に、剣城は小さく悔しがってから仕方がないといった風に微笑んだ。

「おーい、二人とも!」

まだこちらに気が付いていない二人に天馬が声を掛けると、勢い良く振り返った黄名子が笑顔で駆け寄ってくる。

「キャプテン! フェイと依織ちゃんも!」
「……お前たち、ワクチン接種は無事に終わったのか?」
「ん。まぁな」

黄名子よりも少し遅れ、やって来るなり尋ねてきた剣城に依織は短く答えた。
剣城は彼女の右手首から見慣れたブレスレットが無くなっていることに気付き、そうか、と目尻を微かに緩める。
その表情の変化に依織は気恥ずかしそうに口をへの字にして、ところで、と黄名子に目をやった。

「何でこんなとこで勝負なんかしてたんだよ。そんなに暇だった?」
「ううん、違うの。それもこれもウチに残された最後のチャンスを勝ち取るため……」

拳をギュッと握り締め、黄名子はやけに演技がった口調で言うと、やにわに依織へ向けて片手を真っ直ぐ差し出した。

「依織ちゃん! ウチとデートして下さいっ!」
「……あ?」

たっぷりと一拍空け、依織は間の抜けた声を口から漏らす。
そうして一瞬考え込んだ後、一つ思い当たることがあるのに気付いた。黄名子と剣城は、一度『依織とデートする権利』を賭けた勝負を時間切れで引き分けている。

「え? 何で黄名子と剣城が勝負することが依織とデートすることに繋がるの?」
「まぁまぁ天馬、細かいことは良いから……」

不可解そうに首を捻って疑問を口にする天馬に、いつの間にか近くに来ていた葵がその背中をぐいぐいと押して遠ざけていく。

「もしかしてあれって、勝った方が依織とデートって話だったんですか? あれ、でもそれって……」
「まぁまぁ信助くん、まぁまぁまぁ……」
「剣城も行くぞ、負けたんだから潔くしろよ」
「分かってますよ」

まだ引っ掛かりを覚えている信助を茜が流れるようにその場から引き離し、続けざまに水鳥が剣城に声を掛けながら葵とされるがままの天馬を追いかけていく。
剣城は肩を竦めると、じゃあまた後で、と依織の肩を軽く叩いてそれを追いかけて行った。
向かう先には小型のワゴン車のようなものが停まっている。運転席の窓が開くと、中からワンダバがひょっこり顔を出した。

「おおいフェイ、行くぞ!」
「う、うん! えと、それじゃあ……」

フェイは依織と黄名子を交互に見ると、少し名残惜しそうにしながらワンダバの運転するワゴン車へ乗り込んでいく。
ぶぅん、と軽く起動音を鳴らし、滑るように走り去っていった車を見送って──依織は頬を指先で掻いてから、未だピンと伸びている黄名子の手を取った。

「えーと……んじゃまぁ、行くか?」
「! うんっ」


§


ビルに掛かったブルーシートが剥がされていく。傷一つ無いガラスの壁は近付くと鏡のようになって、並んで歩く二人の姿を映した。

「黄名子ってこの街のこと分かんの? お前、ここよりもちょっと前の時代から来たんだろ」
「出掛ける前に街の地図を見たんよ。流石にウチの知ってる街並みからは大分変わっちゃったけど、道自体は変わってないみたいだから多分大丈夫!」
「不安だなぁ……」

黄名子は跳ねるような軽い足取りで依織の前を歩く。一緒に出かけられるのが嬉しくて仕方がないといった様子だ。

「見て見て依織ちゃん、おしゃれなジェラート屋さん! 寄ってこ!」
「お、良いじゃん。……手持ちの金、この時代で使えるのか?」
「電子マネーならいけるやんね!」

現金はウチの時代にはもうほとんど化石扱いだったけど、と付け加えられ、依織は改めて彼女が未来の人間なのだと実感する。
ジェラート片手に歩く二人を、街の人々がチラチラと見てくる。最初こそ学校ジャージでうろついているせいかと思ったが、どうやら彼らは先日のラグナロクに来ていた観客らしい。

「それよか、本当に私で良かったのか? フェイとだって話したかったろ」
「うん……良いの。フェイとはきっと、これからも時間があるはずだから」

整備された川、整えられた並木道。作られた自然の隙間からビル群が見えて、空を縫うようにチューブ状の高架道路があちこちに伸びている。
試合すごかったよ、勝ってくれてありがとう、と時折声を掛けてくる通行人に、二人は軽く手を振って応えた。

「……あ!! ここ、ウチが好きなスポーツブランドのお店!! この時代にもあるんだ〜嬉し〜〜!」
「うん? ……へぇ、良い感じのデザインじゃん」

ふと黄名子が通りがかったショーウィンドウの一つにビッタリ張り付いた。中にはスポーツウェアとシューズが丁寧に飾られている。
ワンポイントにはブランドのロゴマークがあしらわれ、縦に連なった花の下にブランド名らしいアルファベットが添えられていた。

「何て読むんだこれ。ぐら……?」
「あああ、あっち! あっちのお店も見てみよう依織ちゃん!」

途端、黄名子は慌てふためいて依織を別の店にグイグイと押していく。

「このワンピースすっごいフリフリ付いてるやんね! 依織ちゃんはこういうの好き?」
「あんまり可愛いのは似合わねえからなぁ……もう少しシンプルなのが好みかな」
「んふ。依織ちゃんぽい」

黄名子は依織が思った通りの反応をする度、嬉しそうにニコニコしている。それが何だか妙にむず痒くて、依織は意味もなく唇を尖らせた。

「そう言えば依織ちゃん、剣城とはどんな感じ?」
「どっ……んなって言われても。べ、別に? 普通だけど?」
「え〜、ほんとぉ?」

気の向くままに街を歩いて、取り止めのない会話は途切れない。
やがて喋り疲れてきたタイミングで、開けた場所に出た。目的もなく歩いている内に、いつの間にか高い所まで歩いて来ていたようだ。
展望台になったそこへ進むと、発展した街が眼下に広がる。依織は長髪を風に靡かせながら街を見下ろす黄名子を見やると、ふと呟いた。

「──何だかんだでさ、多分今回一番すごかったのはきっと黄名子なんだよな」
「ん? どしたの、急に」

試合はみんなで頑張ったやんね、と不思議そうに目を瞬いた黄名子に、依織は苦笑して首を横に振る。

「そうじゃなくてさ。黄名子って、アスレイさんにフェイのことを託されて私たちの時代に来たわけだろ。自称未来の旦那の話を信じるってだけでも難しいのに、会ったこともない子供のためにここまで頑張るなんて、そうそう出来ることじゃないなーって」
「ウチだって、会っていきなりアスレイさんのこと信じたわけじゃないよ? 初めて会った時、防犯ブザー鳴らしたもん」
「はは。……そりゃそうなるか」

それはどう考えてもアスレイが悪い。防犯ブザーを鳴らされるアスレイを想像して依織は小さく笑った後で、確かに、と頷いた。

「でも……アスレイさん、すごい必死だったやんね。三回目に会った時にはもう、すっかりやつれちゃってて。流石に可哀想になってきて、一度話だけ聞いてみることにしたの」
「(さりげなく二回目をすっ飛ばしたな……)」

目を伏せ、黄名子はその時のことを思い出す。
公園のベンチに腰掛け、項垂れたアスレイの横顔を。フェイがフェーダとして活動を始めたことで、心配で眠れない日が増えたのだろう。隈の目立つ疲れた顔をしていた。

「小さかったフェイを置いていったのは許されることじゃないけど……それでもあの人は、フェイのことを一番に考えていた。未来のウチが選んだ旦那さん。そんな人がこんなに大切に思うウチらの子供は、どんな子なんだろうなって」
「……それが、話に乗った理由?」
「勿論それもあるけど、……実はね?」

黄名子は不意に辺りをキョロキョロと見回す。そして周辺にいるのが縁もゆかりもない見知らぬ通行人であることを確認すると、彼女はちょいちょいと依織を手招きして耳元に口を寄せた。

「……その三回目の後、ウチ、自分の時代のアスレイさんと知り会ったの」
「え? ……えっ、それって」

驚く依織に、黄名子は微かに桃色になった頬を両手で押さえてクフクフと笑う。

「いかにも真面目そうで、気難しそうで……でも、笑うとカワイイの。ああ、きっと未来のウチもこの笑顔に惹かれたんだって……そう考えたら、フェイにも会ってみたくなったんよ」
「そ、それで……」
「ふふ。フェイや他のみんなには内緒ね?」

実際に対面したフェイは、黄名子の考えていたより『普通』の少年だった。
彼と同じ色合いをした、自分と同じくサッカーが大好きで、きっと母に似たのだろう明るい男の子。時たま見せる憂いを帯びた表情が、彼の暗い過去を彷彿とさせるようで。
──いつしか、『助けられたら』という淡い願いは、『助けなくては』という強い思いへと変わった。

「……ウチ、アスレイさんの話を信じて良かった! フェイを助けることが出来たし、それに依織ちゃんにも会えたもん!」

照れくさそうに微笑んで、黄名子はその場でくるりと回って依織に向き直る。
その表情は不思議と随分大人びて見えて、依織は一瞬面食らった後、緩く口角を上げた。

「そうだな。……私も、黄名子と会えて良かったよ」


§


そうして時間は飛ぶように過ぎて、辺りは夕焼けの光に包まれる。
ルートエージェントたちとフェーダの面々に見送られてワームホールへ入ったタイムマシンは、別れの余韻を惜しむ間もなく現代へと帰ってきた。
時刻も同じく夕方である。グラウンドに生徒の姿はなく、タイムマシンは人目を気にせずそこに降り立つことが出来た。

「──じゃあ、これから黄名子を元の時代に送り届けるよ」

雷門イレブンが全員外に出たことを確認して、心なしか声に寂しさを滲ませてフェイが言う。

「うん。みんなと旅をして、サッカーが出来て本当に楽しかったよ!」
「ふん、そう言うと思ったぜ。……ま、同感だがな」

頷く天馬に同調したのは、意外なことにここまで見送りに付いてきたザナークだった。アンタ敵だった期間の方が長いじゃん、と思わず突っ込むのは狩屋である。

「でもこれでお別れって、……寂しいやんね……」

鼻の詰まった涙声で呟く黄名子の手には、サッカーボールが抱えられている。マネージャーの提案で、チーム全員で寄せ書きを書いたボールだ。
自分一人が貰って良いものかとフェイを横目に躊躇する黄名子に、大丈夫だよ、と言ったのは天馬だった。二人が親子なら、いずれフェイの物にもなるはずだから、と。それを聞いたフェイは、一瞬何とも言えない複雑そうな顔をしていたが。

「お前たちと出会ったこと、忘れないよ」
「ありがとう……僕も、忘れない」

神童に小さく頭を下げて、フェイは雷門の校舎を振り仰ぐ。
──忘れるはずがない。彼らと体験してきた、素晴らしい思い出を。

これ以上は別れが惜しくなるぞ、と自身も気が乗っていないだろうに保護者らしく声を掛けてくるワンダバに、フェイは頷いて黄名子とザナークを先に促してタイムマシンに乗り込んだ。

「それじゃあ──みんな、元気でね!」
「うん!! フェイたちも……!」

エネルギー駆動が動き出し、高らかなカウントダウンと共にタイムマシンが浮かび上がる。
雷門イレブンたちに見守られながらタイムマシンは光の中へと消えていき、辺りには何事もなかったかのような静けさが戻ったのだった。




「──どうした。何を躊躇ってるんだ、依織」
「う。わ、分かってますよ」

それから少し時間が経ち、空に星が輝く頃。
依織は鬼道と共に、織乃の待つ家に辿り着いた。しかし依織は扉の前に立ち竦んだまま、中々チャイムを押そうとしない。
鬼道はそんな彼女を見兼ね、と小さく鼻を鳴らすと横からスッと腕を伸ばした。

「あっ」

ピンポン、と軽いチャイムの音。忌々しそうな顔を向けてくる依織に、「家主が家に帰らない理由もないだろう?」と鬼道はどこ吹く風だ。
パタパタと足音が近付いてきて、勢いよく扉が開く。

「──おかえりなさい!」
「ただいま、織乃」

鬼道とまず目が合うと、織乃はどこかホッとした様子で表情を緩めた。
そして気まずそうに俯いている依織を見て、にこりと優しく微笑む。

「依織ちゃん」
「……た、ただいま、姉さ……うっ?」

唐突に腕を引かれ、言葉を言い終えぬ内に依織は織乃に抱き寄せられた。
背中に温かい腕が回り、訳もわからないまま動けなくなる。肩口に顔が埋まってモゴモゴしていると、穏やかな声が降ってきた。

「たくさん辛いことがあったんでしょう。ずーっと、いっぱい頑張ったんだね。えらかったね、依織ちゃん」

柔らかな掌が後頭部を撫でる感覚。背後で鬼道が自分を見守っている気配がある。
結局、織乃は今回の件をどこまで把握していたのだろう。──今となっては、何だかそれもどうでも良いことに思えた。

「……うん……私、がんばった、よ」

すん、と小さく鼻を鳴らして。
依織はようやっと、全ての重荷を降ろして、家族の元へと帰ったのだった。