拝啓、お父さんお母さん──そしてついでにお兄ちゃんと弟たち。
織乃は今、胃に穴が空きそうな仕打ちを受けております……。
「──というわけで、既に何人か知ってはいるだろうが、今日から俺たち一軍のマネージャーをしてもらうことになった御鏡だ」
「い、いいい1年C組の御鏡です、よっよろしくお願いします……」
影山総帥から理不尽な命令を強制されたその日の放課後。連れてこられたサッカー部の部室で、私は鬼道さんの半歩後ろに並んで体を縮めていた。
だって、だってこれ。
「……ふぅん」
だってこれ超コワい!!
何か知らないけど物凄い睨まれてる!あれ、私、何か悪いことしたっけ!してないよね!?
中でも、目の前にいるあの長髪眼帯さんも唯一見えてる目でこれでもかと言うほどこちらを睨んでいる。
その明らかに「こいつにマネージャーが務まるのか」と訝しむ視線にガクガク震える私を知ってか知らずか、鬼道さんは私を訝しげに見る数人に溜息を吐いた。
「──総帥の命令は絶対だ。こいつがマネージャーになることに反対すると言うことは、総帥に反抗するということだが?」
「……いや」
「待て、ひとつ聞きたいんだが」
ピクリと眉を上げた、背の高い人。フェイスペイントの施された顔を若干の険しさに固くしながら、彼はすっと私を見下ろす。
「御鏡、だったな。お前は──俺たちの試合を、観たことはあるのか」
「え?あ……い、いいえ」
ありません、と自分でも消え入りそうな声と思うほど小さく答える。
──編入して約半年。スタジアムに足を運ぶ機会も理由も特にない私に時折風の噂で届くサッカー部に関しての情報は、軍隊のような統率力と強さを誇るとか、フットボールフロンティアとか言う全国大会で40年間優勝し続けていること、その2点ほど。あとはカッコイい人が多いだとか、彼らに取り入ったら総帥にも認めて貰えるだとかなんだとか、小耳に挟む程度。
とにもかくにも、試合を観たことは一度もない。フェイスペイントの人は私の答えに満足したのか、目を細めてそうか、と小さく頷く。
「まぁ、男所帯で大変だろうが……とりあえず、頑張ってくれ」
「あ、はい……」
ああ、この人は何だか良い人っぽい。少しだけ肩を竦めたその人は、「先にスタジアムに行ってるぞ」と他の人の背中を叩いて踵を返した。
「さて……お前たちも、早く行け」
「はい」
渋々といった風に頷いた部員たちは、ちらちらとこちらに訝しむような視線を向けながら部員を後にする。
全く、と呆れた様子で小さく呟いた鬼道さんはと言うと、一拍空けて私に向き直った。
「それで……お前の仕事だが」
「へぁ、あっ、は、はい」
つん、と顎の先を摘み、少し思案する様子を見せる鬼道さん。少しおいて彼は、棚から取り出した1冊の冊子と、それの半分くらいの量の紙の束を私に手渡した。
「こっちがマネージャー用のマニュアル。こっちが、一軍選手のデータのまとめだ」
どさり、と手の上に重ねられたそれ。
「まにゅある……」小さく反復した私は瞬きして、鬼道さんに視線を戻す。相変わらず、その表情は読みとることが出来ない。
「必要なことは全てそれに書いてある。これがあれば誰かに質問する必要もないだろう」
「……はぁ……わ、分かりました」
言外に、それを読めば粗方のことは分かるから自分たちに手間を掛けさせるな──なんて言われたような感じがして、やや気分が落ち込む。まだ始まってもいないのに、こんな調子でこれからやって行けるんだろうか。
ふと鬼道さんが、それから、と言葉を続ける。
「念の為に言っておくが、俺たちがやっているのは勝利を得るためのサッカーであり──決して、馴れ合いのお遊びではない」
そこを十分念頭に置くように、と言い残して、彼は一人ロッカールームの方へ去って行った。
「……馴れ合い、って」
何だか重たいなぁ。別に、サッカー部の人とお近づきになりたくてここに来たわけではないんだけど。
「(まぁ、不満ばっかり言っててもしょうがない…か)」
私は溜め息をひとつ吐いて、マネージャーマニュアルとロゴの印刷された冊子を開いた。
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:
「──で、どうなんだ」
織乃が部室でマニュアルを熟読している間。
スタジアムのピッチでは、ボールを操る部員たち──中でも、最も新しいマネージャーが来たことに懸念を抱いている佐久間が、マントを翻しやって来た鬼道に問いかけた。
「どうもこうも」肩を竦めた鬼道は、呆れたように佐久間と目を合わす。
「言っただろう、総帥の命令は絶対。不満なんて、言うだけ無駄というものだ」
「それは、そうたが……」
ぼん、と胸でトラップしたボールをそのまま芝の上に転がして、佐久間は唇を尖らせる。
源田がグローブの具合を確かめながら、口を開いた。
「そう不安がるな、佐久間。あの子は俺たちの試合を見たことがないと言っていたろ。──それに、指名したのは総帥だぞ?」
あの人は有益になることはしても、意味のないことはしない──そう言いながら、彼はバンと大きな音を立てて拳と掌を合わせる。
「別にミーハーでもなさそうだしな」半ばからかうように続けて言うのは、辺見である。
「佐久間たちにキャイキャイ言ってるような女子とはまた違う種類だし、大丈夫なんじゃねーの?」
「隙見てお近付きに、なんて下心も見えなかったしな。どっちかってーと、鈍臭そうな感じはあったけどよ」
マスクの下で口を動かす咲山が言う。部室の方で、小さなくしゃみが聞こえた気がした。
「まぁ……御鏡がどんな人間であれ、──最終的に行き着く結果は同じだろう」
小さく、本当に小さな声で、鬼道が呟く。
帝国のマネージャーは、基本的に男子を採用している。しかしそれを分かっていても尚、何度か女子生徒がマネージャーに志願したことはあった。しかしその誰もが、彼らの試合を観るとそれを辞めてしまう。
人でなし、と顔を青くしながら、恐ろしいものを見る目を向けて罵倒を言い残して。
「──あいつだって、どうせ」
ボールと一緒に宙に投げ出された佐久間の言葉に、答える者は誰もいない。
皆、その言葉の続きは容易に想像がついたのだ。
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:
──えっ。何、この状況。
「(空気が重たい…!?)」
マニュアルに書いてあった要点を急いで覚えて、人数分のジャグに特注品だというドリンクの粉末を溶かして、ちょっぴり時間が余ったので選手のデータと言われた書類にざっと目を通して。
気付いたら休憩時間1分前だったので、マニュアル通りタオルとジャグを籠に入れて恐る恐るスタジアムに出てみたら──この様子。
みんな一様に少し肩が落ちていて、どことなく私を見る表情も暗い。え、私、何かした……?
「あ、の……どうかしたんでしょうか……?」
「…………いや」
控えめに尋ねた私に長い間を空けた後、鬼道さんは何でもないと首を振る(いや絶対嘘でしょう)。
そして私が抱えた籠いっぱいのタオルとドリンクを見るなり、ちょっぴり眉を上げた。
「……仕事は、ちゃんとしてくれたようだな」
「そりゃあ……」
やらないと後々恐ろしい目に遭いそうなので。
……という本音は喉の奥に押し込めて、マニュアルがあったので、と引きつり気味な下手な愛想笑いで誤魔化した。
とりあえずそれ以上つっこまれない内に、とせかせか籠をベンチに置いて、タオルとドリンクを配り始める。
スタジアムの屋根が閉まっているせいで薄暗いからイマイチ締まらないんだけど、こういうことをやってみると、ああ運動部っぽいなぁなんて漠然と思った。
「えーっと……このタオルが、佐久間、さん?ので合ってますか……?」
「ん、ああ──……って、待て」
小さくペンギンの刺繍が施されたタオルをその人に渡して踵を返した瞬間、突然肩を掴まれて「ひょえっ」と情けない声が出る。
ばっくんばっくんうるさい心臓にむち打ち、急いで振り返ってみると、……うわぁ美人が怒ると怖いって迷信じゃなかったんだー、なんて形相な佐久間さんがいた。
「ななななな何でしょうか」
「どもり過ぎだろう落ち着け、……ってそうじゃなくて……何で、このタオルが俺のだって分かった?」
自己紹介すらまともにしていないのに。
険しい──というより、心底不思議がっているような表情に気圧されながら、私はおっかなびっくり佐久間さんに向き直る。
「え、えっと、鬼道さんにお借りした書類、に……色々書いてあったので」
「書類……あれにか?」
少し驚いた風に聞き返すのは鬼道さんだ。
俯きがちに頷いた私に、フェイスペイントの──源田さんが、問いかける。
「書いてあったのを、全部覚えたのか?」
「あ、いや全部というか……覚えた方が良いところだけと言うか」
鬼道さんから預けられたのは、名前とかポジショニング?とか、あと備考として生年月日と趣味が記された、選手のデータと言うより、少し前まで流行っていたプロフィールシートのようなものだった。
暗記は割と得意な方だし、みんな特徴ある人ばっかりだから名前と顔を合致させるのは案外簡単である。佐久間さんのタオルの件は、ちらりと趣味の欄にあったペンギンの四文字のインパクトが強かったせいで、何となく覚えてしまったのだろう。
「じゃあ、こいつは?」唐突に、オールバッ……辺見さんが、隣の腕を引っ付かんで私の前に突き出した。目の前の不機嫌そうな三白眼にたじろぎながら、私は急いで記憶の引き出しを開ける。
「えと、み、みっどふぃるだーの咲山さん……」
「せーかい。つか急に引っ張ってんじゃねーぞ、デコ見」
「危うく転ぶところだ」と文句を言いつつ大きく足を上げて辺見さんを蹴り上げる咲山さん。怖い。
ふと、首筋にじりじりと視線を感じた私は、ゆっくりと振り返った。
「……」
「……」
何だかものっスゴい機嫌の悪そうな佐久間さんと目が合いました……。
「……分かったよ」
「え」
何が?と問う前に、佐久間さんは勢いよくジャグの中身を口に流し込んで、ボール片手にフィールドへ走り去ってしまう。
分かったって、ほんとに一体何のことやら。首を傾げる私に、鬼道さんが言った。
「お前の仕事振りは分かった。──やはり、総帥の考えは最良だったようだな」
「は、はぁ……」
ニタリ、と何だか悪役チックに笑う鬼道さんに表情が引きつる。
「まぁとりあえず、これからもこの調子で頼むってことだよ。ところで、下の名前なんてーの?」
「ぅあ、織乃……です」
そっかそっか、とニッカリ笑ったのは、濃いメンバーの中でも比較的まともそうに見える土門さん。
そのまま彼は、ポンと私の肩に日に焼けた手を置く。
「それじゃ、何はともあれよろしくなー、織乃ちゃん!」
「……は、はい……」
まともそうに見えたその人は、何だかノリが軽い人だった。
とにかく、よく分からないことは多いけども。胃に穴が空く前に、第一関門らしきものは突破出来た気がします。