野球部や、その他諸々の運動部が参加する大会。その応援に駆り出されるのは、決まって吹奏楽部だ。

「─あれっ風丸!」
「名字?」

後ろから聞こえた聞き慣れた声に振り返れば、そこにいたのはクラスメートの名字で。
名前はしらないが何やら重たそうな楽器を持ってそこに立っていた。

「名字も大変だな。大会の度に…」
「まぁね。でも、楽器やりたくて入ったんだから、文句は言えないでしょ」

カラカラと笑った名字は、楽器を大事そうに抱えなおしながら「風丸は何でここに?」と首を傾げる。

「宮坂に呼ばれたんだ」

言いながら、下の方に見えるグラウンドに目を向ければ陸上部時代から見知った先輩や同級生たちの姿。宮坂は今回、一年で唯一選ばれた選手だったらしい。
「俺、前よりタイムが良くなったんです!風丸先輩、観に来て下さいね!」─と、放課後突然やって来た宮坂に力強く言われたのは記憶に新しい。
そんなことだろうと思った、と名字は面白そうに言う。

彼女とこうやってまともに会話をするようになったの時も、こんな状況だった。
まだ陸上部のユニフォームに身を包んでいて、走ることだけが好きだった頃。今日の宮坂と同じように代表に選ばれた俺が控え室に向かっている最中、彼女は現れたのだ。

『あのー、すいません。観客席に行く階段ってどっちですかね?』

そんな風に苦笑いを浮かべながら、今みたいに楽器を抱えて言った名字は、大層インパクトがあった。
その翌日からだ。彼女が俺にちょこちょこ絡んでくるようになったのは。

「サッカー部の試合でもこうやって応援したいんだけどねー」
「良いんじゃないか?円堂も喜ぶよ」

答えれば、名字は「そっか」と顔を綻ばせる。血液の流れが、少し速くなったのを感じた。
その後続けられた「でも、残念だなぁ」という言葉に首を傾げる。

「私、風丸がコース走ってるとこ見るの好きだったんだけどな」
「…そ、か」

心なしか、どくどくと心臓の音が大きくなった気がして、聞こえるはずはないと分かってはいるが服の上からさりげなく心臓を押さえる。
名字はそれを見て、ふと温柔な微笑みを浮かべた。

「─今度、サッカー部の試合も観に行くよ。流石に、楽器は持っていけないけど」
「…ああ。ありがとう」

言えば名字は満足そうに頷いて、「じゃ、先行くね」と俺の隣をすり抜ける。
腕を見れば、丁度長針がカチリと動いたところで。もうそろそろ、開会式が始まる時間だ。

「あ、そうだ」

立ち去る寸前。名字がふいに振り向く。

『風丸って、すごく綺麗に走るんだね!』

あの時、教室で初めて話しかけてきた時の顔と、よく似た表情を浮かべたあいつに、少しドキリとした。

「サッカーしてる風丸も、ちゃんと好きだからね!」
「…は」

言うだけ言って、彼女は階段を上がって既に控えていた吹奏楽部たちの中に紛れ込む。
俺はというと、急激に上がってしまった体温と暴れ出した心臓の対処に困って、フラリと壁に背中を預けた。
名字は、元々ああいう性格なんだ。だから、あの言葉に他意がないなんてことも分かっている。分かっているけど。

「…次の練習試合までに、もっと速くなれるかな」

呟いて、片手で顔を覆う。強くなることに不謹慎な理由だ。
さて、と体を壁から離す。せっかく頼まれてまで来たんだ。後輩の勇姿を目に収めなければ。

仕事だとしても、名字に応援される宮坂たちが少し羨ましい。

そう思うこの気持ちが、所謂恋だと気付いたのは、一体いつのことだっただろうか。
それを思い出すことも、最早恥ずかしくて無理な相談だった。


アリアドネの糸