自惚れんな
正題「昔と雰囲気変わって遠い存在になっちゃったとか勝手に嘆いてるそこのお前、アイドルは元々お前の近くにいないから自惚れんな」
イチマルキューのデカい屋外ビジョン。
巨大なモニターにはアイドル寺門通の新曲の広告が映し出されており、ビルの下にオタクっぽい男衆がモソモソ集まっては、携帯で画面を撮影していた。そこを通りかかると、なんとなく曲が聴こえてくる。しな乃はフと「寺門通って、なんか雰囲気変わったな」と思った。そしてすぐに「当たり前か」と思い直した。
江戸を超え、国を超え、星全体を巻き込んだ大戦争が終結したのが一年前だ。龍脈の生んだウツロという化け物は消息を絶ち、この国はとりあえず平和となった。見廻組と組んでひと悶着もふた悶着も起こしたからにはタダでは済まぬと思ったが、どういうわけか。元長官・松平公の采配によって、しな乃は以前と変わらず警察庁・監察所司代補佐の地位にある。多くの犠牲の上に作られた平和な日々を、のうのう生きているわけだ。
そういえば戦の後、警察庁で死没者のリストを整理した。あまりに膨大な数だったので、一般職員だけでなく真選組や所司代、果ては現長官の今井信女までかき集められ、地道で気の遠くなるような作業に明け暮れた。その中の紙ペラ一枚。たった一枚が、急速にしな乃の脳裡へ蘇った──河上万斉だ。国家転覆を目論むテロ組織・鬼兵隊の実質二番手。そして寺門通の専属作曲家。アルタナ解放軍の母艦である天鳥船にて死亡した。そう書かれた紙を、ごく簡単に/事務的に処理したと思う。そのときの記憶はあまりないけれど。とにかく彼が死んだのだから、寺門通の雰囲気も変わろうものだ。河上万斉は死んだのだった。
「万斉くん、そういや死んだんだっけ」
「またそれ? 何度同じことを言うつもりよ」
気づいたら、横にお嬢が立っていた。お嬢というのは、しな乃の主君にして所司代の酒井五十鈴だ。今日はオフのはずだが、なぜだか出くわしたので、護衛ついでに一緒に歩いている。
「書類整理で確認したでしょう。やつはアルタナ解放軍との戦いで死亡したのよ」
「いや、それはしなのも知ってるけど、改めて実感したっていうか」
別に、万斉とは何ら特別な関係でもない。五十鈴が見廻組局長と組んで、旧将軍の茂茂を裏切る陣営に付いたので、しな乃も追従した。そしたらオマケでついてきた一見チャラそうな鬼兵隊の色男だ。気に入り気に入られ、時にアレな展開もあったが、結局それ以上のことはなかった。お互い優先すべきものがあったのだ。それは、しな乃にとっての五十鈴であり、万斉にとっての高杉である。
「死体もないし、お墓もない。書類でしか見てないから、頭で理解しても、実感が湧かないの」
「それも聞き飽きたわ」
「マジか」
マジかと思ったが、言われてみればそうだった。楽器屋で三味線の象牙バチを見たとき「あの人もこんなん持ってたな」と思ったら持ち主は死んでいたし、酒屋で「二人でこのお酒よく飲んだな」と思ったら飲む相手は死んでいたし、なにでもなく「最近平和だな」と思ったらテロリストが一人死んでいた。つまり全員万斉のことだ。とっくに死んだと知っているのに、そのたび新鮮で奇妙な感覚が押し寄せる。悲しみでも怒りでもなく、しかし放ってもおけない。知らぬうち、生ぬるい泥濘に魂が溶け出していくようだった。平和に淘汰されて、ボケている。
「なンだかなぁ」
「ちょっと、しな乃」
「なに?」
「宇宙行くわよ。宇宙旅行。今から」
ハイ? と聞き返したかったが、その前に五十鈴が手を掴んで歩き出した。そこからは早かった。タクシーを呼びつけてターミナルへ走り、格安の旅券を買う。あっという間に手続きを済ませて、気がついたら二人は搭乗口に立っていた。天人と地球人の混ざる雑踏を抜け、宇宙船の指定席へ辿り着いたのだ。
「え何。今から宇宙。展開早くね」
「私は、言ったら即行動よ」
「そういう話じゃないよね! 理由!」
「あなた、いつまでその調子でいるつもり」
ゴウンと音を立てて宇宙船が飛び立った。五十鈴の目つきが、鋭くしな乃を射すくめる。
「その腑抜けた面で隣に立たれる私の身にもなって」
「いやいやいや、だからってこんな……」
「時間をあげると言ってるの。あの戦争で溢れるほどの人が死んだ。その中の一つを、あなたが受け入れるだけの時間をね」
ハッとした。この船の行先など、五十鈴はどうでもよかったのだ。ただどこか知れない星へ向かって、飽きるほどの暗闇を往く。宇宙は暗かった。音がなく、それを伝える空気もなく、ただ際限なく広がっている。地球人のしな乃にとっては、無機質で虚しいゼロの世界だ。
あの戦争で溢れるほどの人が死んだ。万斉はその中のたった一つ。あの人は、こんなに寂しい場所で死んだのかと思った。死体も残らず、音楽も流れない。魂の還り道も分からぬような、この無限の暗闇で。それは果たして、地獄と何の違いがあろうか……。
「ああ。やっぱ、いなくなっちゃったんだ」
「フン、自己表現の下手なやつね」
五十鈴が呆れたように言った。涙は出ない。代わりに、宇宙のように膨大な物寂しさが来た。軽薄に振る舞ううち、なんだか自分が悲しみに喘ぐことなどないような気がしていた。彼はしな乃の恋人でもなく、大切な人でもない。互いに互いより優先すべき大義があった。しかし、神出鬼没で不敵なあの指名手配犯を、自分の思うより好きだったのかもしれないと思った。
「なんか、泣けないよ。薄情かな」
「さあ。河上万斉に聞けば」
「会えないよ。失恋だよ、これは」
あの世に行ってしまった人に失恋とは、馬鹿げた話だ。しかし、この寂しさはそういう類のものだった。五十鈴はツンと横を向いたまま、どうでもよさげに「そう」と言った。
その後、宇宙船は名前も知らない惑星に着陸したが、降りることなく二人で地球へ戻った。帰りがけに、オタクの波をかき分けて、寺門通の一年前のアルバムを買う。気が向いたら聴いて、飽きたら捨てよう。バキバキに割って、宇宙に捨てたなら、あの暗闇も少しは寂しくなくなるか知らん。その頃には、あの人のために泣けるようになっていればいいなと思うばかりだ。