零・空談


 丹後の深奏海岸にほど近い波止場に、男が立っている。質素な着物姿に菅笠を被った彼は、見た目こそ船頭そのものに違いなかったが、実際は真庭忍軍十二頭領が一、真庭蝙蝠が忍法で化けた姿だった。かつて奇策士とがめに四季崎記紀の刀集めを依頼され、その途上で里ごと幕府を裏切った者たちである。こたびは船頭としてとがめの旅に同行し、刀集めに関する情報を盗んでやろうという魂胆で、とがめが現れるのを待っていた。
 しかしあの女、丹後くんだりまで来て何をする気なのやら。向こうから場所を指定しておいて、未だ当人の姿は見えない。朝日の頂きはまだ見えないが、それでも極浦はうっすらと明るくなりつつある。相変わらず傲慢で尊大、唯我独尊も甚だしい女だ──などという思いはおくびにも出さずに突っ立つこと四半時、背後から蝙蝠に声をかける者があった。

「おはようございまーす」

 女の声だ。しかし蝙蝠の待ち人のものではないとすぐに分かる。いくら自分勝手が服を着て歩いているみたいなものだからといって、こんな脳天気な声を出す女ではないからだ。むしろ夜明けだろうが夜更けだろうが、人の目のある限りいつだって気を抜かないのが蝙蝠にとってのとがめの印象である。いったい何者かと思い振り向くと、見覚えのない人物がいる。
 きわめて普通の女だった。それは女の造形に対する感想ではない。別嬪には違いないのだが、ここいらを一人でうろつくには、まったく相応しくないという意味である。太刀を佩いているとはいえ、それも護身のお守りと言われたほうが納得できる。どこかの大名の姫がお忍びで旅をしているというような印象の女だった。

「どなたでしょうか」
「えっ、あれっ? 奇策士さんから聞いていませんか」
「さあ。こちらは何とも……」
「それじゃあ今のわたしって、急に声をかけてきたおかしな人──みたいになっちゃってるの?」

 女は「そんなのってないよう」と困った顔で斜め下を見た。なにからなにまで人畜無害で覇気のない娘である。蝙蝠は正直、拍子抜けだった。幕府の鬼女との待ち合わせでこんな人間がやって来ようとは、まさか思うまい。聞くだにとがめとは知った仲のようだが、いったいどんな段取りなのだろうか。

「ええと、わたし、護衛役の者です。一応、奇策士さんから依頼を受けました。本人がいないので、ちょっと証明の手立てがないんですけど」
「その奇策士さまと一緒にいらしたんでは?」
「いえ、おそらく護衛は何人かいて、道中で交代していると思うんですよね。わたしはここからです」

 得心した。護衛には落ち合う場所だけを伝えて、交代しながら旅路を進む。そうすれば事前に行き先を知られることもなく、尾行されても次の護衛が気がついてくれるというわけだ。あの女、さすがに二度も失敗すれば用心深くなっているらしい。今回、蝙蝠はその用心を掻い潜って、堂々と同行させていただくわけだが──。

「へえ、そうですかい。幕府のお偉いさんがそこまでして、いったいどんなご用事ですかねえ。ああ、いいえ。わたしのような一介の廻船問屋がお考えを推し量るなんて、できっこねえですがね……」
「想像だけなら自由ですよ。だけどすみません。実はわたしも、旅の護衛としか聞かされてないんです」
「それはお互い、気の毒ってもんですねえ」

 この女も、本来依頼を受けたはずの船頭も。とがめの目的は一貫して四季崎の刀の蒐集にある。先の大乱の首謀者──飛騨鷹比等の娘という身の上を鑑みれば、おそらく幕府への復讐のために。その野心はほとんど常軌を逸していると言ってもよく、悲願を達成できるならばどんな手だろうが躊躇なく使う。そういった個人的な復讐を知らずして巻き込まれているのだから、気の毒だ。

「あのう、おだんご食べます?」
「……はい?」
「さっきから『一介の問屋が』とか『気の毒』とか自虐が多かったので、心が荒んでいるのかしらと思って。偶然、棒手振りから買っていたんです。甘いものを食べて、気分を入れ替えてください」
「そんな、そんな。お気づかいなく」
「遠慮しないでください。どうせこのあとも重労働ですよ。しかも奇策士さんって、信じられないくらいわがままじゃないですか。とにかくほら、一本どうぞ!」

 ──毒か? こちらの正体を見破って、反応を試しているのか。蝙蝠は差し出された三色団子を前にしばし身構えたが、身体の構造から作りかえる忍法『骨肉細工』は、たとえ同じ真庭の頭領であっても看破することは難しい。ついさっき出会ったばかりの人間ともなれば、不可能と断言していい。つまりこのお気楽そうな護衛は、本心からこれを言ったのだ。まぐれで胸の内を言い当てられた身としては、心中穏やかでいられなかった。
 そりゃあ荒んでいないわけがない。先の大乱では組織の大黒柱ともいえる毒組四人衆に離反され、さらに太平の世でろくな仕事にもありつけない真庭忍軍は、もはや瀕死の状態だ。財政も先行きも切羽詰まっている。この悲惨な現状を打開する起死回生の一手を、四季崎記紀の刀に見出したのだ。幕府との交渉の切り札にする、あるいはどこぞの金持ちに売り払って大金を得る。金が手に入るならどちらだっていいが、今の真庭にはこれくらいしか手立てがない。

「……へえ、そんなら、ありがたく」

 のろくさい動きで団子を受け取ると、女は満足そうに頷いて、そばの段差に座った。促されたので、蝙蝠も気乗りしないまま隣に腰掛ける。団子は簡素で味気なく、うまいともまずいとも言えない。しかし困窮した今の真庭にとっては、飢えた身を癒し、体の糧となるだけでも別格なのである。

「護衛さまは──」
「水上と申します」
「水上さまは、いったいどこのお人で?」

 とがめはまだ来ない。さしあたって、水上何某に軽く探りをいれることにした。

「どこ? わたしみたいなふつうの人間は、どこにでもいますよ。だけど、わたし個人の身分という意味なら、幕府の下っ端かな」

 さもありなんという返答だった。観察すればするほど、護衛はどこにでもいる器量よしという感じだ。体躯はなよやかに細く、刀を振るうための暴力性は一瞬も垣間見えない。それでも今の言葉に嘘がないのなら、一応はあの奇策士とがめの部下である。最低限の信頼に足る既知の人間で、とがめの野望にはつゆほども関わりのない立場。つまりもっとも都合のよい相手がこの女なのだろう。少なくとも蝙蝠は、今の会話からそういう予想を立てた。

「奇策士さんって意外と人を見る目がないんです。さっきの自虐じゃないですけど、わたしも期待どおりに働けるかどうかは微妙なところなんですよね」
「ならどうして、依頼を受けたんです」
「朝日が見えてきた」

 水上が脈絡なくつぶやいた。蝙蝠の質問をはぐらかしたのではなく、ただ思いついたままに話したのだ。見ればたしかに、金色の光が海の果てを一直線に切り裂いている。睦月の寒空、熱源が昇りはじめ、かえって寒さを思い出したかのように水上が肩をすくめた。

「船頭さん、今年の初日の出は見ましたか?」
「え? いやあ。うちは寝正月でしたよ」
「わたしも同じです。そう考えると、わたしたちにとってはこれが初日の出みたいなものですね。あけましておめでとうございます」

 そんな挨拶、蝙蝠はもう何年も口にした覚えがない。なぜかというと、真庭の人間は基本的に常識がなく、また団結力があるわけでもないからだ。しかし面と向かって言われたからには、そして今の自分が船頭の姿をしているからには、何か言わなくてはいけない。蝙蝠は結局、同様に返すことにした。

「……おめでとうございます」
「それで、さっきのご質問ですけど」
「あ、はい」

 とがめの唯我独尊ぶりの前に霞んでいたが、この女もたいがい自由かもしれない。初日の出理論もかなり飛躍していたが、さらにいきなり話題が戻って、蝙蝠はふとそのようなことを考えた。水上はまったく気にせず、ただ人畜無害にはにかんでいる。毒気もなく、悪意もなく、脈絡もなく、そして「意味はありません」とだけ言った。それはあまりに質問にそぐわぬ答えだったが、蝙蝠はなにも言わないことにした。船頭の身分で追求しすぎるのは、不自然だからだ。

 いい加減に水上との会話も尽きてきたころ、ようやく絢爛豪華な着物姿が波止場に見える。くだんの尾張幕府軍所総監督──奇策士とがめだ。既に同行の護衛とは別れたあとらしく、ひとりであった。悠々とした足取りでやってきて、

「うんうん。揃っておるな」

 と言う。いちばん遅く到着したのに、形式的な謝罪をしようという気もない。これには常識を持ち合わせていない蝙蝠ですら、さすがと思うほかなかった。

「しかしそなたたちが二人で並んでおるというのは、異様な光景だな……いったい何を話しておったのだ?」
「意味のないことですよ」

 水上が答えた。とがめはこれをどうとも思わずに、さっさと舟に乗り込んで船頭を急かすだけだった。