人為淘汰


「死によったか! 源馬!」

 近江、百足山の山麓にその神社は坐している。境内は静まり返り、だからこそ、このような男の声はよく通った。この場で聞こえるはずもない生きた人間の声に、少女は驚く。見れば、その男は鳥居の上に座っていた。一応、寺社仏閣における鳥居とは外界との境目に置かれる神聖な門であり、一般的な日本人であれば「鳥居の上に座る」などという罰当たりなことはしない。しかし彼はそんなことはまったく気にしたようすもなく、膝を折ってしゃがむように、粗野な感じで座っているのである。
 はじめ、少女は彼を天狗かなにかだと思った。もちろんあやかしの実在は今や疑わしいものだが、少なくともそのような風貌をしている男だった。年は二十を少し下回るくらいで、真っ黒い袴姿に兜巾を被り、一本歯の高下駄を履いている。きわめて動きにくそうな格好だが、天狗男はそんなそぶりも見せずに軽々と少女の前に飛び降りてみせる。

「お前みたいな食えんやつがどうやって逝くんか、おれはつねづね疑問やったんよ。そやけど、こーんなちっこい子にやられるとは、案外あっけないもんやなあ」
「……誰?」
「おう。お前、源馬の娘の瀬音やな」

 天狗男の言葉遣いは限りなく京言葉に近かった。というか出自そのものは間違いなく京なのだろう。しかしその粗野な佇まいが、京の雅やかな雰囲気に似つかわしくない。だから少女──瀬音は「限りなく近い」とだけ思ったのだ。

「腹立つくらい素材が似てはるわ。歳はいくつなん」
「十二です。それより、あなたは誰かって聞いたと思うんだけど、もしかして忘れちゃったんですか」
「おや。五つも下の子に叱られた!」

 天狗男がおどける。まるで街中で交わす世間話だった。境内のそこいらに死体が転がっているという状況を、天狗男も瀬音も気にしていないのである。

「おれは烏丸焦土っちゅう、しがない弓使いや。そこに寝てはるお前の父君の同胞みたいなもんやな。いうても、見てのとおり若輩やけど」
「弓使い?」

 妙な肩書きだった。言葉のとおり、天狗男あらため烏丸は弓矢らしきものを背負っている。それのなにが妙かというと、彼が弓使いであることがだ。この尾張の世では飛び道具といえばもっぱら鉄砲であって、弓術なんてものは上流階級の趣味程度が関の山である。
 烏丸が瀬音の父である源馬の同胞だというならば、それは彼が数にものを言わせた弓兵部隊の一員などではなく、単体で弓使いの戦士ということになる。今の時代にそんなこと、ありえるのだろうか? しかし瀬音にとって、その疑問は今すぐ解き明かすべき優先事項ではなかった。

「弓使いがなんの用ですか」
「うーん、特にこれといった用はあらへんな。そやけど今決めてええんなら、こいつらの供養ってとこや」

 と言って、烏丸は死体をちらっと見る。父、そして兄たち。とにかく源馬を当主とする不断神道流の一門は、瀬音を除く全員がこの神社の境内で血も流さずに絶命していた──と言っても、瀬音がただ一人殺戮を逃れた幸運で可哀想な子というわけではない。

「お前がやったんやろう」
「……なるべくして、なったことだと思う」
「そうか。にしても、えろう生臭うてかなんわ」
「わたし、罪に問われちゃうのかな?」

 瀬音は現実を悲観したふうでもなく、しかし小指の甘皮くらいは不安げに首を傾げた。不安げとはいえ、それは齢十二の子の反応ではない。ふつうこれだけの死体に囲まれ、まして一族を殺したとなれば単に取り乱すだけではすまない。瀬音という少女は、家族はおろか自分自身のことにさえ、大した関心がないのだろう。少なくとも、烏丸はそう思った。それに苦言を呈するでもなく、ただ充満する血の臭いに顔を顰めている。

「さあな。少なくとも八年前の戦乱じゃあ、こんな規模の殺人、神社だろうがどこだろうが飽きるほど起こったことや。それこそ出雲なんかは酷すぎて、一面が肉の絨毯とまで言われたらしいわ。まあ今はあんときとは違うからなあ。出頭すりゃあ、とっ捕まるかもな」
「じゃあ、これからどうしよう」
「おいおい……考えてへんのかい」

 堪忍してえな──と言って、烏丸は肩を竦める。実はこの展開、予想していないでもなかった。というより、予想していたのは瀬音の父である源馬のほうで、烏丸はそれを本人から伝え聞いたに過ぎない。源馬は特別に賢いわけではないが、ときおり妙に勘の鋭い男だった。
 部外者の烏丸に経緯や理由を汲み取ることはできないが、源馬が感じ取った予感が現実となったことだけは分かる。そして、彼にはそれだけで十分だった。

「ほんなら、おれの用事にひとつ付け足さしてもらうわ。おれはお前を勧誘しに来た」
「それはつまり、幕府にってこと?」
「正確には尾張幕府臨時御用掛やな。いうても今の平和な世の中じゃあ、大した仕事はあらへんけど」
「じゃあ、そのごようがかり=H に入ります」
「即答かい」

 即答だった。烏丸が瀬音を罪人として幕府に突き出そうとしているのではないかとか、そもそもここまでの自己紹介はすべて嘘で単なる誘拐犯なのではないかとか、そういうことをまったく考えていない。考えていないというか、思いつきはしてもあまり気にしていないのである。人畜無害な顔して、こりゃあ困ったやつだ。

「まあ、それはそれでええけど。尾張に向かう前に、せめてこいつらに墓でも作ってやり。生臭いわ」
「天狗さん、さっきからそればっかですね」
「何度でも言うたるわ。おれは鼻が人よりええんや。あと、天狗なんてたいそうな呼び名はいらへん」
「じゃあ焦土で」
「意外と馴れ馴れしいなお前」

 面食らう烏丸をよそに、瀬音ははにかんだ。なんの翳りもない、人なつこく若々しい笑みだった。
 二人は裏手の開けた場所に、えっちらおっちら死体を埋めて、比較的大きな石を立てた。それは墓というにはきわめて粗末で素朴なものだったが、花を添えれば多少はそれらしく見えた。

「お前、源馬は好きやったんか」
「大好きな父さまです」
「ほんなら、たまには墓参りしたれよ」
「うん!」

 近江は霊峰百足山、その山裾に鎮座する神社は尾張の世より宮司不在の社だ。末代宮司の瀬音が生きているあいだには、たまの手入れに向かっていたそうだが、そんな些末で無意味なことは、のちの歴史になど残ろうはずもないのである。