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「ううううん…」


どこにでもある高校の休み時間の風景。昼食を終え、午後の授業が始まるまでの束の間。机を囲んで仲の良いグループで固まって話をしていたり、校庭に出て元気よく遊んでいたり、本を開いて黙々と活字とにらめっこしていたり、机に俯いて寝ていたり。生徒たちは各々の時間を楽しんでいる。
しかし、中には口元をキュッと紡ぎ、静かに唸りをあげる女子生徒もいる。太陽の光が差し込む窓際の席に座っているが正面は向いておらず、制服がスカートであることを構わないのか、椅子に跨る形で後ろを向いている。そして椅子の背もたれをぎゅっと掴み前のめり気味の姿勢で何か一点を見つめている。
そんな彼女の視線の先にはトランプ。


「はーやーくー」


トランプの持ち主である男子生徒は耐えきれなくなったようで、溜め息交じりに彼女を急かした。扇のように広げられたカードは細かい絵柄が施されている面が上になっていて、スペードやらハートやら数字やらが書かれた面を彼女が見ることはできない。どれか適当に一枚選べと言わんばかりに見せつけられているが、適当に見つけることは許されない。これによって彼女は自身の評価が変わってしまうことを恐れている。
彼女はトランプの持ち主の顔をじっと見つめるが、澄み切った青空のような青い瞳がじっと彼女を見つめたままで表情がぴくりとも動かない。女子生徒は意を決したのか、ゆっくりとトランプに手を伸ばした。その間も男子生徒の顔からは視線を外さない。


「これにする」


1枚のトランプを親指と人差し指でつまんだ。彼女は視線を動かさずにいたが、さすがにトランプの柄を確認するのに視線を逸らすことは避けられない。ちらりと盗み見るようにトランプの柄を大きく潤いで煌いた瞳に映した。瞬間、その大きな瞳は哀愁を帯び、彼女は肩を下すまで落胆した。ハートのクイーン。見たくないカードだった。彼女は懐より彼が持っていたトランプの裏面と同じ絵柄を持つカードを1枚取り出した。そこにはダイヤのクイーン。それは先程このトランプの主が宣告した柄で、彼女にとっては深紅を纏った、まるで双子のようなその女王様が憎らしくてたまらなかった。


「25勝達成ー!」

「む。24敗してるくせに」

「ちなみに俺は天音ちゃんのレベルに合った簡単なマジックしかやってないからなー」

「黒羽くんのいけず」


頬をぷくりと膨らませた女子生徒──紫波天音は、自分に手品を見せつけていた男子生徒──黒羽快斗を睨みつけた。勝ち誇りにやにやと余裕綽々な笑みを浮かべる快斗に天音は「ふんっ」とふて腐れたように顔を背けた。
整った顔立ちをしていてクラスのムードメーカーでもある快斗と、同じく整った顔立ちで隔たりなく気さくに人と接する天音の二人揃えば自然と周囲の視線を集めてしまうもので、「おお…」という小さな歓声が僅かに辺りから聞こえた。


「諦めてトリック解くのなんかさっさとやめちまえ」


敗者を鼻で笑ってみせた勝者である黒羽快斗は手品が得意であった。というのも彼の父親は世界的に有名なマジシャンであり、親の背を見て育ってきた彼も手品の腕は若さなど関係ない程なかなかのものであった。
そんな彼に真っ向から挑戦状を紫波天音は叩き付けているのだ。最初は他愛もないもので、席替えにより前の席になった天音が以前より手品が得意と学校内でささやかれていた快斗に手品を見せてほしいと言ったのがきっかけであった。フェミニストでもある彼はその頼みを快諾し、意気揚々と得意である手品を見せつけたが、手品の肝であるトリックをいとも簡単に彼女は解き明かしてしまったのだ。


「普通、マジックは見て楽しむもんなんだけどな」

「えー、それだけじゃつまんない」

「解いたほうがつまんなくね?純粋に楽しめばいいじゃねぇか」


相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべている天音だが、手品は見ているだけで楽しいというのは彼女も理解している。人は不思議な出来事に逢うとわくわくが止まらないものだ。だけども彼女は不思議なことを解き明かした、なにか心に引っかかったものが解ける瞬間に別の面白さを見つけてしまったのだ。その発見は実に偶然で、初めて快斗に手品を見せてもらったときに開花したのだ。


「見つけるのも楽しいもんだよ」


つい先ほどまで不機嫌そうな顔をしていた天音はいつの間にかにこにこと微笑んでいた。
たしか初めて天音のために手品を見せてトリックを明かされてしまったときも、こいつは笑顔だったような。"如何なるときもポーカーフェイスを忘れるな"。そう幼き頃父親に言われたのに、無邪気な笑顔を浮かべる彼女の前では素の感情が表れてしまいポーカーフェイスが崩れてしまったのははっきりと覚えている。今まで手品をしていてポーカーフェイスが崩れることなんてなかったのに。そんな自分の経験の足りなさを我ながら不服に思っていた彼の内心には一切気付かず、彼女はそのあとも手品を見せてとお願いを続けた。


「ははっ…なんだよそれ」


そんな自身を不服に思っていた快斗が、いまこうやって嘲笑を浮かべられるのは心に余裕ができたからだ。
最初のマジックは手軽にできる簡単なものを見せ、トリックを暴かれた。その次は彼の中でも難しいと思うものを見せ、それを天音は見破ることはできなかった。素人に対して大人げない行為を見せつけたと快斗は自負していたが、彼女が見破れなかったことに何故か安心感を覚え、自然と頬が緩んだ。そして「黒羽くん?」と不思議そうに小首を傾げた天音を視界に入れたとき彼は再び思い出した。父親の言葉を。点と点が結ばれるように彼はハッとした。"手品に於いて自分のポーカーフェイスをいとも簡単に崩す彼女とこの勝負を続けたら…"と。
そうしてこの謎めいた"トリック解読勝負"はもうすぐ50戦目を迎えようとしていたのだ。


「まあ…天音は馬鹿なくせしてそういうところは勘良いからなぁ」

「ねえ、馬鹿って」


そんな謎めいた勝負を経て、快斗は天音のことを、天音は快斗のことを、ただのクラスメイトではないと思うような仲へとなったのだ。黒羽快斗と紫波天音がお互いに気兼ねなく話せるようになったのは昔と言えるほど過去のことではない。ただのクラスメイトでしかなかったのが、席替えというきっかけでトリック解読勝負が始まりしばらくしてからだ。
もちろん手品とはトリッキーな技術も大事だが、それ以上にメンタリズムが重要となってくる。相手の感情や性質を察知し、その心を読み取る技法。手品をする側である快斗がそれを意識をするのは当たり前だが、実はされる側の天音も知らず知らずのうちにメンタルリズムを活用していたのだ。
彼女は勘が冴え、頭の回転も速く、変化に敏感だ。


「馬鹿って失礼だと思いますが…!」

「実際俺より馬鹿じゃん」

「素行は黒羽くんみたいに馬鹿じゃないもん」

「オツムの話だっつーの」


快斗も天音のように頭の回転は速いが、それだけではなく勉学的な意味でもとても良い。ついでに運動神経も良く、外見の良さも相まってとても恵まれたステータスを保持している。しかし誰しも欠点はある。彼に至っては素行が不真面目なのだ。遅刻や早退はけろっとした顔で行い、授業中にも関わらず手品でちょっとした騒ぎを起こしてしまうのもしばしば。加えて女子生徒のスカートを捲ったり、更衣室を覗き見したり、"オメーは小学生か!"と突っ込みたくなるような幼稚な行動も見られる。
対して天音は、暇という気まぐれな理由で敢えて授業を受けないでサボりを犯すこともあるが、それ以外はだいたい真面目だ。クラスで困っている人がいれば助けるし、誰から声を掛けられればいつでも笑顔で優しく接する。年相応の女の子らしい性格はとても好感度が高い。が。誰しも欠点はある。


「そんな天音はこの前の試験は赤点いくつあったんだよ」


ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら快斗は天音に尋ねた。きょとんとした彼女は右上の方向に視線を移し、「えーと…」と思い出すように指を折った。そして思い当たる節をすべて潰した後、少し困りながらも嫌気のない笑みで舌をぺろりと出し「10分の6?」と両手を使って答えた。
彼女はある意味天才だったのだ。
しかし、親しき中にも礼儀ありとは言えど、こんなこともにやけながら声を大にして訊けてしまう仲は良好と言って良いのだろうか。それは相対する人物の受け取り方にもよるが、性格が良いと言われる彼女は全く気に病む範囲ではなかった。


「オメーよく高校受かったよなぁ…」


天音が赤点常習犯なのは快斗にとって、否、クラスメイトにとって正直意外だった。あんなにも勘が冴えわたり頭の回転も速いのに勉強に於いては馬鹿なのかと。よくクラスに何人かいる"見た目や素行からして何となく頭が良さそうに見える人"の部類に彼女は含まれていた。だけどもこの有り様だ。惨劇と言ってもいい。
そんな当の本人曰く、"興味ないんだもん"。試験などはこの一言に尽きる。そう、天音は興味があること以外は触ろうとしない。授業中では頭の回転の速さから問われたことをすぐ答えることはできるが、それを脳に定着させるつもりが一切ないのだ。逆を言えば彼女が興味のある分野にドはまりさえすれば、ほかの人にはないような知識量を展開できるのだ。


「運が良かったんだよー」

「本当にな」


一方で自ら学ぶとは別の才能。勘の良さだ。先程までのトリック解読勝負でもそうだが、彼女の勘はとかく良い。自分の知らない分野でも苦手な分野でも、なんとなく見切れるものは見切ってしまうのだ。どれくらい凄いのかというと、たこ焼きなどで遊ぶロシアンルーレットでは辛子入りを食べたことはないと彼女自身が誇らしげに豪語するほど。
少しばかり感覚がずれているせいか、その勘の良さを持って乗り越えてきたことがあっても彼女自身無自覚なためひけらかすことはしない。そしていまこのときであっても「あ、そうそう」と江古田高校の入学試験について何かを語ろうとしていた。


「これおかげです」

「!?」


そんな天音が取り出したのは1本の鉛筆。学問の神様と言われる菅原道真を奉った京都にある北野天満宮の文字が刻まれたものであった。その鉛筆のお尻のほうには1から始まる数字やアからはじまる文字が手書きで書かれていた。
これってまさか…。
呆れというよりも驚きの感情が心の大半を占めていた快斗は呆気に取られて口が開いたままであった。


「よ、よく高校受かったよな…」


ポーカーフェイスを極めようとしている彼は、再び同じ言葉を口にすることしかできなかった。


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