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あろうことか、授業中にマジックの案をまとめていたノートを机の中に入れっぱなしにしてしまった。 快斗にとってあまりにも暇すぎた古文の時間。たまたま今夜は怪盗キッドとして数日後に控えたヤマの下見に行く予定だったため、暇な時間を睡眠時間に充てて有効活用しようと考えていた。だけどふと、自分の席の前に座る不思議な女の子とよく行う"トリック解読勝負"のことが頭を過ぎり、彼女が不服申し立てをしないような、かつ、自分が勝てるようなトリックはなんだろうとリストアップしていたのだ。 だけども思考というものはなかなかに脱線を喫するもので、彼の別の顔である怪盗キッドの仕事の折に使えそうなイリュージョンはないのかと考え始めてしまった。ちょこちょこと書かれたメモは明らかに犯罪の匂い漂うようなものもあり、万が一誰かに見られたりしたら非常に宜しくない。彼はそのノートを回収するためだけに、一度は後にした学校に再び戻って来たのだ。あと5分も歩けば家に着くというような状況から。 面倒くさいと思いながらも少しの不安や懸念があれば解消せねばならない。部活動に取り組む生徒の声は聞こえるものの、やたら静かな校舎内を一人歩く快斗は溜め息をつきながら自分のクラスのドアを開けた。 「……天音?」 誰もいない教室。かと思いきや、教室にただ一人。しかも快斗の席の前に座る人影が目に入った。天音だ。だけども彼女は快斗が教室に入って来たことを微量も悟っていなかった。何故なら彼女は夢の中にいたから。ゆっくりと近づく快斗に気付く様子も全くなく、無事ノートを回収した快斗は安堵しつつ、天音の顔を覗き込んだ。 すーすーと規則正しく呼吸をする彼女は幸せそうだ。 「おーい。風邪ひくぞ」 声を掛けても天音の呼吸のリズムは崩れなかった。呑気で緊張感のないその寝顔に何故か視線を外せないまま、快斗は彼女の隣の席に腰掛けた。机に肘を置きながら頬杖をついて天音のことをじっと見ていた。 「あの日、怪盗キッドを追い詰めたのはオメーなのか…?」 近頃の快斗が天音のことを考えるとき、すぐに頭に浮かぶのはこのことばかりであった。先日の時計台の件。いつも追いかけっこをしている中森とも探とも違う緊張感をはじめて味わった一件だった。いつもあの場には居ない第三者が警察側にいたのではないかと密かに疑っていた彼は翌日それを確信へと変えた。天音が警察のヘリコプターに乗り、この事件に関わっていたからだ。 トリック解読勝負という遊びをやっている自分だからこそ分かる。彼女は勘が良く、些細な事にも気が付く。クラスメイトはきっと気付いていない。普段へらへらとしている様子からは想像もつかないような、閃きが彼女にあることを。 「……天音にはそっち側にもこっち側にもいてほしくねぇんだよ…」 彼女が舞台に上がってくるなんて、欠片も思っていなかった。否、誰も思わないだろう。ただのクラスメイトとして、ただの黒羽快斗とただの紫波天音として、時間を共にしていることが幸せであったのに。ポーカーフェイスを貫くことはできても、自分の心に偽りはない。 自然に伸ばした手は天音の絹のような髪を絡めとった。 「んん…」 そのとき小さく唸り声が聞こえた。天音のものだ。起こしてしまったかと思い少し焦った快斗は彼女が目を覚ましてしまったのか確認するために「天音?」と名前を口にした。 絹の柔らかさを味わうように撫でられた優しい手つきに心地よさを覚えたものの、その触感でまどろみから解放されつつあった天音はゆっくりと目を開けた。 「……くろ…ば…くん…?」 「眉間に皺寄せすぎだろ」 「痛っ」 天音の視界にはぼんやりと快斗の姿が映し出され、ふわふわとした感覚の中、彼の名前を呼んだ。深く刻み込まれた眉間の皺に思わず息を吹き出してしまった快斗は、どことなく湧き出る気恥ずかしさを誤魔化すためにケケケと笑いながら彼女の額を指でピンッと弾いた。 突然の衝撃に驚き、たいして痛くもないのに天音は反射的に額を両手で覆った。 「こんな時間になにしてるの?」 「忘れ物取りに来ただけだよ。オメーこそなにやってんの?」 帰宅部である快斗がこのような時間に教室にいるのが不思議だった天音は素直に快斗に尋ねた。しかも終礼が終わったあと、彼はクラスの座席も住む家も隣の青子と共に家へと帰ったはず。なのに何故いま彼はこの場に一人でいるのだろう。 だけど不思議に思っているのはもちろん天音だけではない。快斗も同じことを思っていた。 「友達待ってるの。本当はもう少し早く来てくれる予定だったんだけどね、待ってたら寝ちゃった」 「──……?」 ふにゃりと笑った天音の笑顔に心臓が跳ねた。それはドキドキとした高揚感ではなく、底知れぬ不安感。天音のいつもとどこか違うその笑顔に快斗の左胸辺りはギュッと悲鳴を上げた。味わったことのない感覚に快斗自身戸惑いながらも、"ああ、これはきっと仲の良い友人の知らない一面がちらついたことに対する寂しさなのかもしれない"。そうすぐに察することができた。 天音は自分のことを多く語らない。大半の人はそのことに気付くことはない。だけど、快斗は天音と仲が深まるにつれて、その距離を徐々に感じていた。表情は豊かではあるが本質を隠すのが上手く、彼女こそポーカーフェイスが上手なのではと思うほどに。だけどこのいま、彼女の本質を少し垣間見た。天音が本質を曝け出す相手はこの学校生活の中では知る限り存在しない。では、こんなにも"喜"の感情を滲みださせる相手は誰なのか。 「黒羽くん?」 動揺が顔に現れていたのか、天音は心配そうに快斗の顔を覗き込んだ。顔を覗き込まれた快斗はガタリと音を立てて椅子ごと体を引いた。こんなにもわかりやすい反応をしてしまったのを誤魔化すのはなかなか難しい話ではあるが、快斗は「ああー」「うーん」などと唸り声をただただ上げていた。 「どうかしたの?」 「あ、い…いや!その友達って誰なんだろうなーって思ってよ、ハハハ…」 変なことを訊いてしまったと思う快斗の気持ちなど露知らず、天音はまんまるの大きな瞳を更に大きくしたが、すぐに先ほどと同じいつもと違う笑みを浮かべた。また快斗の心臓は跳ねた。だけど今度は不安感ではなく、ドキドキとした高揚感に近かった。改めて目にしたその微笑みはとても目が離せないものであったから。 「私の大切な幼馴染だよ」 ピリリと鳴る電子音と共に天音はそう言った。 電子音の音源は天音のスマートフォンからであり、彼女は微笑みかけた快斗から目を離し、画面を見つめた。誰からの連絡かなんて分かってしまう。 "幼馴染"。天音にそんな存在がいたことを初めて知った快斗であったが、彼女は元々江古田周辺が地元ではないため、自然とこの学校にはいない人間であることは察しがついた。 「迎えに来てくれたみたいだから私帰るね」 ぴょこんと跳ね上がるように立ち上がった天音は、すでに整えてあった鞄を手に取った。「また明日ね」と手をひらひらと振る天音に「おう」と応えた快斗はもうこの教室でやることはなかったはずなのに、共に下駄箱まででも帰ろうという考えには至らなかった。教室から出て行く天音の背中を見送る快斗は彼女の背中が見えなくなった途端、大きな溜め息をついた。 「知らない顔があるってのは複雑だな。…ま、人のこと言えやしねぇけど」 |