練習試合を終え、片付けをしながらそれぞれのポジションの者同士が交流していた時のこと。
開けっ放しの出入り口にやたらと体格のいい男が現れた。
2メートルはあろうかという身長に日向が声を上げたが、慣れきっているのか、一通り体育館を眺めた後に溢すように尋ねた。

「ねぇ、名前ちんは?」

ボリボリと音を立てながらスナック菓子を口に運びつつ、尋ねる。
そんな男の口から飛び出した聞き慣れない名に、首を捻る音駒の面々を余所に烏野勢は戸惑い、互いに顔を見合わせた。
名前。
そう言われて該当するのは、2年生マネージャーの灰崎名前だけだった。

「ねぇ、ってば」

イライラとした声色に、男と目の合った成田の肩はビクリと跳ねた。
澤村は庇うように前に出たものの、その口からは何も出てこない。
すっかり萎縮した生徒たちを見て武田が一言挟もうとした、その時のこと。

「紫原?」

名前が清水と共に体育館へと戻ってきた。
紫原は脇目も振らず名前へと向かい、その身体を軽々と抱き上げた。
いつにも増して喧しく吠える西谷と田中などまるで気にもとめず、それまでの仏頂面が嘘のような柔らかい笑みを浮かべて言う。

「名前ちん、やっと見つけた」

なんとも間延びしたその声に、名前はやや間をあけて答えた。

「紫原、君は私が見ていない間にずいぶん大きくなったみたいだね」
「名前ちんは縮んだ?」

世間話の域を超えないやり取りだったが、名前はぞっとするほど冷たい眼差しで口角を上げた。

「違う」

直ぐさま、悲鳴が上がる。
ギリギリと名前の細い指先が紫原の顔を締め上げている。
見事なアイアンクローだった。

「私が言っているのはお前の態度のことだ。体育館で菓子を食うなと何度も言っただろうに。少し目を離した隙にこの体たらくか」

唖然として、思わず口を開けたまま指を向ける黒尾に、菅原や夜久がもげそうな勢いで首を振る。
触らぬ神に祟りなし。
そう頷き合う周囲を余所に、紫原は痛みから逃れようと名前から手を離した。
なかなかの高さからの落下も、華麗に着地した名前は唸りながら両手で顔を覆う様を見上げ、言い放つ。

「頭が高い」

アンクルブレイク、に見せかけた足払い。
2メートルはあっさりと陥落し、尻餅をついた。
涙目になりながら名前に視線を向ける。
すると今度はモップの柄が顔を直撃した。
一瞬の隙に近くにいた犬岡から奪い取ったものだった。

「名前ちん……」
「片付けろ。話はそれからだ」

ふん、と鼻を鳴らし紫原に背を向ける。
もはや、名前の目にはある一部の者たちしか映っていなかった。
紫色のジャージ。
紫原を迎えに来たであろう、陽泉バスケ部だ。
なんとも手を焼く後輩がいいように転がされる一部始終を目撃し、動揺しているが、そんなことは名前には関係ない。
つかつかと歩み寄り、それまでとは打って変わる柔和な態度で話しかけた。

「お疲れ様です、主将の岡村さんですよね」
「う、あ……その……」
「なに喜んでんだよ…」
「主将のフォローにアレの世話と副主将は大変ですね、福井さん。心中お察しします」
「あ?いや…別に……」

矢面に立たされた岡村は女子に真っ向から見つめられたことや、名前を呼ばれたことで完全に思考停止に陥った。
身動ぎ一つしない巨体を押し退け、口を挟もうとした福井も先手を打たれてたじろいだ。
名前は弟可愛さから強豪校のメンバーはポジションやスタイルだけでなく、その人となりもしっかりと調べ分析し、弟に悪影響を与えそうならば叩いてしまおうと考えていた。
あくまで名前の思考内でのことであったため、むしろ悪影響を与えそうなのは弟の方だという突っ込みは誰からも入らなかった。

「ところで皆さん、こういう言葉はご存知ですか?」

すっかり自分のペースに引き込んだ名前は笑みを浮かべた。
誰とも知らず、ごくりと生唾を飲み込む音がする。

「連帯責に…んむぐ!」
「いい加減にしなさい!」

主将としての矜持か。
もはやすべて言い切ったようなものだが、澤村が名前の口を塞いで事の収束を図った。
部活後、彼は烏養と武田から称賛と労いの言葉を貰うことになる。

「すみませんでした」

新幹線の時間が迫った音駒を慌ただしく見送り、中断していた片付けを再開する。
己の一声で連帯責任を取らされ、見慣れた大男たちが烏野バレー部に混じっているのを体育館の片隅で眺めていた荒木は、向けられた旋毛にくつりと笑った。
紫原が会いたい会いたいと駄々をこね、然程強くもない高校と県を越えて練習試合を組んだ結果としては悪くない。
キセキの世代の手綱を握り、それぞれの才能開花を促したと噂される灰崎名前。
バスケからバレーへと転向した今、彼女の存在は脅威にはならない。
荒木にとって今回の件は、どうも愉快な余興を有難うという程度のことだった。

「…名前ちん」

すっかりしょぼくれた紫原が名前の背後に立つ。
荒木から丸見えの表情は今にも泣き出しそうな情けのないものだった。
片付けている間に僅かばかり仲良くなったのか、後方で烏野勢が応援している。
その声に背を押され、今一度、名前へと呼びかける。

「…名前ちん」
「…灰崎、呼んでいるぞ」
「え?」
「え?」
「いやですねぇ、荒木先生。羽虫の翅音に耳を傾けずともいいんですよ」

こんな大きな羽虫がいるものか。
笑みを崩さない名前に荒木の顔が引き攣る。
紫原の縋るような視線も痛い。

「…すまないが、これ以上はうちのエースの心が折れる。返事だけでもしてやってくれないか」

ため息混じりのそれも響かないのか、名前は返事どころか振り向きもしない。
またしても澤村の出番ではと周囲が視線を送るも、澤村自身はひらひらと手を振り、見ているようにと言うばかり。
そんな妙な緊張感の中、動いたのは紫原だった。
すわ実力行使かと陽泉のメンバーが慌てたが、思わぬ一言にもれなく動きを止めた。

「ごめんなさい!」

紫原が、謝った。
その衝撃は短くも濃い付き合いの陽泉の面々にはとてつもないものだった。
名前はそれまでの頑なさが嘘のように軽やかに振り向き、声をかける。

「皆には謝ったの?」
「……ごめんなさい」

言われるがままではあれ、一度ならず二度までも謝った紫原に不安を煽られる。
帰り道は気を引き締めないと。
荒木やチームメイトがなんとも薄情なことを思っているなど知りもせず、紫原はようやく許された喜びを爆発させて名前を抱えくるくると回ったのだった。


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