いたって変わり映えのない自己紹介。
どこかで聞いたことのある名前の中学校名が続くなかで、1つ、聞き慣れないものが混じった。
「帝光中学校出身、灰崎名前です。バスケ部のマネージャーをしていました。高校ではそれなりに放課後を満喫したいと思っています。宜しくお願いします」
出身校、名前、所属していた部活動、高校生活への抱負。
担任から示されたテンプレートを活用しただけの名前のそれは、縁下には出身校と名前しか告げなかった者よりも素っ気なく聞こえた。
「帝光バスケ部ってことは『フヨ』の灰崎だよな」
「…言っておくけど、バスケ部には入らないからね」
「マジで!?」
「え、なんで!?」
「放課後を満喫したいから」
意図せず会話が耳に入り、視線を向けたのは縁下だけではなかった。
同性の気心の知れた者同士で固まり合う教室内で、男子2人と女子1人の3人組はひどく目立った。
「さっきも言ってたね、それ」
「具体的に何すんの?」
「買い食いとか」
「「…いやいやいや!」」
声を揃えて否定する2人に眉を寄せる名前。
何が悪いのだと言わんばかりだが、2人も、縁下たち周囲の者も同じことを思った。
放課後を満喫するのが買い食いとはこれ如何に。
しかし、チャイムに阻まれて名前に伝えることは叶わなかった。
縁下が名前と気安い関係になったのは、それから2週間が経ち、クラスとして纏まり始めた頃のこと。
教室に忘れ物を取りに行くと名前が男子と2人きりで話をしていた。
やや気まずい思いをしている縁下をよそに、名前は面倒くさいという本音を隠しもせず出し、ぱっと片手を開いた。
「5人目の男になりに来たの?」
あんぐりと口を開けた縁下を笑ったのは名前ではなく、その横にいた男子だった。
「……前から思ってたけど、灰崎は言葉が足りない」
「明確に伝えてるつもりなんだけど」
「誤解を招く表現は明確とは言わない」
足取り重く進みながら深く深く息をつく。
つい5分程前にふらりと体育館にやって来た名前は、真っ黒な烏野排球部のジャージをまじまじと見つめたかと思えば、笑みを溢して裾を引いた。
「縁下、カッコいいね」
「は?」
「付き合ってくれる?」
2度目の「は?」は主に同輩により響いた叫び声で掻き消えた。
いちゃつくなら余所でやれと先輩からも邪険に扱われ、体育館を追い出された縁下は渋々といった風然で向き合った。
名前の申し出が交際しての意でないことが直ぐさま察せるくらいには会話を重ねてきた。
ゆえに縁下はよくよく理解していた。
これから自分に待っているのは厄介事だ、と。
「灰崎!待ってたぞ!」
隣に立っている縁下には目もくれず、遅かったじゃないかと捲し立てるバスケ部顧問。
名前に付き合わされたのは、女子バレー部とバスケ部が半々で使用しているもう一方の体育館だった。
ちょうど練習試合の最中だったが、87 - 09 という圧倒的な負け試合を演じていた。
「……人の名前を勝手に使っておいてこの体たらくか」
ちっ、という行儀の悪い舌打ちが聞こえ、スコアボードから名前へと視線を向ける。
名前は忙しなく動く選手を目で追いながら、近くに居た生徒にタイムアウトは取ったのかを確認する。
顧問は早くしろと追い立てていたが、素知らぬ顔で無視をし、交代はしたか、自陣の8点の得点源は誰か、内外の決定率は等々、矢継ぎ早に質問を重ねる。
ベンチが慌ただしく答えている間もゲームは動き続け、点差が開いていく。
選手の表情が陰り、生気が失われていく姿にぞっとしたのは縁下だけではなかった。
心が折れるとは、こういうことなのか。
呆然としていた周囲の意識を引き戻したのは、他でもない名前の声だった。
「負けるのは嫌よね?」
ただひたすらにコートを注視する名前と誰も目が合わない。
しかし、ともすれば独り言と流されてしまいそうな、その小さな囁きを拾ってしまった。
縋り付くのは当然のことだった。
「──条件がある」
すっかり黙り込んでいた顧問を横目に指を一本立て、告げられた内容の意味はバスケ部でない縁下には分からなかった。
とはいえ、眉をひそめ、他を提示する顧問の様に出来ることなら避けたいものなのだろうと推測できた。
名前は一切を譲らなかった。
帰る、の一言まで飛び出した。
そうしてやっと、顧問は頷いた。
「…ふざけんなよ。1年の、しかも女子なんぞお呼びじゃねぇ」
引っ込んでろ、と低い声で凄む先輩におののくどころか、名前はついと目を細めて笑った。
適宜、アドバイスをした上で1人、また1人と交代でコートに送る。
そのすべてが1年で、うち2人は同じクラスの豊村と橋田だった。
オーバー、アンダーそれぞれのレイアップ、フック、スリーポイント。
多様な動きでそれまでのリズムが崩れ、一挙に9点を得た烏野を調子づかせないためか、相手校がタイムアウトを取った。
このとき、最初からプレーしていたのはセンターで主将の飯綱だけになっていた。
「20分で取ったなけなしの9点、3分で取ってしまってすみません」
ケアをしたいのか挑発をしたいのか。
名前はボトルを差し出しながら告げた。
「貴方を外すつもりはありません」
「それは俺が主将だからか」
「まさか。最初の9点のうち、6点がリバウンドを制した貴方の得点だからですよ」
大体、こんなひょろっちい1年だけでゴール下を戦い抜ける訳がないじゃないですか。
やれやれとオーバーなリアクションで息をつき、いつまでも受け取られないボトルを飯綱の胸に押し付けた。
「負けたくないなら、四の五の言わずに私に従ってください」
名前の示したメンバー構成はポイントガードが2人という変則的なものだった。
とはいえ、縁下にはその意味が分からない。
スモールフォワード、パワーフォワード、センターとポジションの名が連ねられたところで、役割など知る由もない。
よって結論を言おう。
試合には勝てなかった。
──しかし、負けもしなかった。
100 - 100 のスコアを愕然と見つめたのは相手校の方だった。
圧倒的優位だったはずの試合が引き分けにまで持ち込まれた。
その衝撃はさることながら、名前が指揮してから4本のショットしか許されなかったとなれば、抜け殻のようになったとしても不思議ではない。
「これが『フヨ』の灰崎の力……」
誰かが喘ぐように言った。
付与──与えること。
不予──楽しまないこと。思いかげないこと。
賦与──優れた才を生まれつき与えられていること。
物事を切り拓くような、思いがけない力を他者へと与えられる才の持ち主。
しかしながら、自身が楽しむことはない。
優れているからこそ、退屈している。
それが中高のバスケ部で知られている名前の姿だった。
「…なぁ」
「何?」
本当は勝たせることもできたんじゃないのか。
そう訊こうと思ったが、ぐっと口を噤んだ。
今後一切、気安いやり取りができなくなるような、そんな予感がした。
「やっぱり部活の邪魔したの怒ってる?」
ごめんなさい。
でも私、あっちの体育館の場所分からなかったし、縁下以外には頼めないし…。
嫌なら途中で戻ってくれれば良かったのに。
ちらちらと様子を窺いながら話す名前に思わず苦笑がもれる。
そんな縁下に気づいた名前の口が閉じたのを見計らって、やや嫌みったらしく告げてみた。
「…放課後は満喫できてる?」
すると名前もまた、同じように嫌みったらしく返した。
「やっぱり5人目の男だね」
「やっぱりとか言うなよ」
「あ、でも二度も訊いてきたのは縁下が初めてだから、1人目かな」
「いや、俺、あのときは訊かなかったし」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「まぁ、いいや。放課後はね、これから満喫するよ。バスケ部にも二度と私の名前を出して他校とやり取りしないように言えたし」
そもそも、名前の目的はこれだった。
外堀を埋めてしまえば入部するだろうと、『フヨ』の灰崎の名で他校にコンタクトを取っていた顧問に名前の堪忍袋の緒が切れたのだ。
顧問が自ら申し込んだ練習試合で負けるなど恥だと感じるような器の小さい人間だと分かった上で、わざと試合途中に顔を出し、どうあっても頼らざるをえない状況を作り上げた。
灰崎名前とは、なかなかに策士であった。
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