慢心




次に奴に会ったのは、奴の親戚の飯店に昼食を摂りに行った時のことだった。最後に城で会ってから一年、いや二年経ったことになるだろうか。

「あら、鍾会」

久しぶりと言えるその声に、思わず心が跳ね上がった。不覚にも顔か体にそれが出てしまったのか、奴は私を見て笑っていた。

「久しぶり。相変わらずこのお店に来てくれてたんだ」

「近いからね。そんなことより、お前がここにいるとは…解雇されたのか?」

「まさか」

そう言ってまたくすくす笑う。心なしか、以前より上品になったんじゃないか。
その変化以外、表目上は以前と変わらない。奴が店の手伝いをしている、日常のように見ていた光景。
それなのに、今日の奴の放つ雰囲気に嫌な予感を感じずにはいられなかった。
そして嫌な予感というものは当たってしまうものだ。

「はいどうぞ、鶏肉の汁物」

「…随分楽しそうだな」

「そう見える?」

にこにこして見せるその顔が妙に腹立たしかった。奴の後ろで笑う店主も。

「私、結婚するの」

「…へえ」

「もう分かってそうだけど、私の雇い主。城で会ってるでしょ?あの方と一緒になるのよ」

お前が若くて、それなりに見れた顔だから婚姻を迫られただけだろう。それなのになぜそんな嬉しそうな顔をする。頬を染めたりなどして、お前はあの男に惚れていたとでもいうのか。
なんとか抑えられても、この言葉に出来ない感情は堰を切ってしまいそうだった。

「鍾会も早く見つけた方が良いわよ、相手を」

「ふん、余計なお世話だ」

奴に言われたくない。
婚姻について勝手に向こうから色々と話をして来たが、何ら頭に入ることはなかった。
事実を認めたくなかった。



男の邸宅はそれなりのものだった。合わせて式もそれなりに盛大に行われた。それでも私が婚姻した場合には及ばないだろうが。
喧騒は好きではない。気付けば抜け出して外の川べりで水の流れを見つめていた。

「鍾会」

「…花嫁がこんなところに来るな」

「化粧直しついでに厠にも行って来るって言って来たわ」

本当にこいつはつくづく私の気持ちを察するということを知らないようだ。そんなことを気にして言っているんじゃない。

「人の妻になる上に私の仕事の傾向からして、今後本当に会えなくなりそうだからさ」

「見つかったら新婚初日からヒビが入るぞ」

「そんなことないわよ。あのお方なら大丈夫」

大層仲が良いようだ。あまりの奴の鈍感ぶりにわざとやっているのではないかとすら思える。
ちくりと刺すような胸の痛みは止まらない。生涯止むことはないのではなかろうか。

「両親や親戚一同には言ったけど、鍾会には言ってなかったから今言うね。
ずっと仲良くしてくれてありがとう。婚儀にも来てくれて感謝してる。私の方が身分低いっていうのに」

「…礼を言われるようなことはしていない」

奴にとって私というのは「仲良し」という言葉に収まる存在だったらしい。察する必要のない場だったに違いない。
持っている才能を全て捧げる代わりに、別の才能が欲しいとこれほど思ったのは後にも先にもないだろう。
人から愛されるという才能を。

「お前は早く戻れ。私は後から行く」

「…でも、」

「お前の夫は疑わないだろうが、周りが噂をたてることにでもなれば面倒だ。行け」

ありがとう、と寂しげに笑い、奴は足早に去って行った。謝辞を繰り返し言われると他人のように感じる。
もう奴が私のそばにいられないということを、決定的に知らしめられたようだった。
なぜ私ではなかったのか。あれだけそばに居ながら、才に溢れていながら、私は私と比べ凡庸である女一人を、たった一人を手に入れられなかった。
今まで感じたことのない敗北感だった。

その後、気高い性格の私が新しく女などに興味を持てるはずもなかった。奴が手に入らないのなら、子など要らぬ。私の少ししかない欠けた才を埋められるのは、いちこ以外いなかったのだから。



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