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よし、やるぞ。指定された時間まで余裕を持って起きることが出来たし、朝ごはんの準備もバッチリだ。だけど、どうか雑渡さんがスムーズに起きてくれますように。
意を決して寝室を開ける。相変わらずすやすやと眠っている。私が起きた時にカーテンを開けたのに、微塵も目を覚ます雰囲気がない。爽やかな目覚めというものとは無縁の人なんだろうなぁと思いながら雑渡さんの髪を撫でる。整った顔立ちの人って寝顔も綺麗なんだな、いいな、羨ましいなと思いながらじっと見つめる。この人はどうして人から離れたがるんだろうかと不思議に思う。昨日会った照星さんという人はどう見ても雑渡さんのことを心配している風だった。なのに、雑渡さんはもう関わりたくないと言った。だけど、雑渡さんは照星さんから離れる時、つらそうに見えた。どこか寂しそうで、だけど意地を張っているように見えた。本当はまた昔みたく友達に戻りたいんじゃないかな。昨日の雑渡さんを見ていると、そんな気がした。
いつまでも雑渡さんの寝顔を見ていたいけど、そういうわけにもいかない。雑渡さんが遅刻してしまう。私は雑渡さんを昨日のように揺さぶったり叩いたりした。昨日よりも早い時間だからだろうか、目覚めが悪い。だけど、これは予想通りのことだ。時間に余裕を持っておいてよかった。


「雑渡さん。雑渡さーん」

「んー…」

「頑張って!ほら、月曜ですよ!」

「あぁー…今、何時ぃ?」

「7時です。ご飯食べますよ」

「んー…わかっ…た…」


しっかりと会話したというのに、また雑渡さんはすやすやと眠り始めた。寝息が規則正しい。どうしよう、全然起きてない。困ったなぁ…部下の人がモーニングコールしてくれるみたいだし、今日はお任せしようかな。私が困っていると、携帯が鳴った。雑渡さんのではなくて、私の。


「もしもし?おはよう」

「おはよ。あのさ、今日の1限代返しといてよ」

「えー」

「お願い。ちょっと彼氏とカフェ寄ってから行くんだ」

「もう。何か奢ってよね…と言いたいところなんだけどさ…何か私も遅刻しそう。彼氏が全然起きない」

「あらま。そういう時はさ…」


友達から受けた助言はあまり実行したいものではなかった。だけど、確実に目は覚めるだろう。というか、物理的に覚めないと死んでしまうのだ、起きてもらわないと困る。
意を決して私は雑渡さんにキスした。鼻を摘んで。


「ん…っ、んんー……っ、ぷはっ」

「…起きました?」

「起きたけど…えっ、今なにしたの?」

「内緒です。ご飯食べますよ」

「あー…今、何時?」

「7時5分です」

「そっか…はぁー…怠…」


先にリビングに戻って、あらかじめ沸かしておいたお湯を昨日買ったばかりの珈琲カップに注ぐ。珈琲のいい匂いが部屋に広がったけど、残念ながらそれはすぐに煙草の匂いで掻き消されてしまった。
ニュースをソファに座ってぼんやりと眺めている雑渡さんは怠そうに煙を吐いていた。まだ眠そうに目を伏せている。


「そういえば、部下の方に連絡したんですか?」

「連絡?何の?」

「いや、起きてるよって」

「あー…まだ」

「早くしないとかかってきちゃいますよ」


雑渡さんが返答する前に電話が鳴った。もう遅かったねとのんびり言う雑渡さんを促して、電話に出させる。


「はいはい。おはよー」

「えっ!おはようございます…」

「もう起きてるよー」

「珍しいですね…昨夜はあまり眠れませんでしたか?」

「いーや?彼女に起こしてもらったから」

「成る程…では、会社でお待ちしています」

「はいはい。また後で」


ピッと通話を終わらせて、雑渡さんは携帯をソファに置いた。そのまま大きく伸びてから、手を合わせた。珈琲を置いてから私も慌てて手を合わせる。


「いただきます」

「い、いただきます…」


雑渡さんは育ちがいいのか、必ず「いただきます」と「ごちそうさま」を言う人だった。加えて、私に毎回「美味しかった」「ありがとう」を言ってくれるのだから、きっといい家の出なんだろうなぁと思った。
私が関心しているうちに雑渡さんは食べ終わってしまった。慌てて私も食べて手を合わせる。それを見て雑渡さんは落ち着いて食べなよ、と笑いながら珈琲を飲んだ。


「今日はね、多分早く帰れると思う」

「夕飯、何がいいですか?」

「カレー」

「分かりました。鶏肉ですよね」

「うん。その方が好き」


微笑み掛けてきてくれた雑渡さんに私も微笑み返す。穏やかな時間が一瞬流れたけど、今は朝だ。のんびりしている時間なんて一秒たりともない。
雑渡さんがバスルームに行ってから食器を洗う。8時20分には家を出たい。というか、本当はもっと早く出たい。雑渡さんに至っては8時には絶対に出たいと言っていた。ちょっとのんびりし過ぎたなと反省していると、バスタオルを巻いた雑渡さんがペタペタと歩いてきた。そのまま寝室でごそごそと音が聞こえてくるところをみると、スーツを着ているんだろう。スーツを着込んでいる時こそちゃんとした大人の男性って感じがするけど、普段は案外だらしないというか、子供っぽいというか、駄目な感じの人だ。だけど、そっちの雑渡さんの方が好きだったりする。寝室から出てきた雑渡さんはソファにポイっとジャケットとネクタイを投げて、洗面所で髪をセットしてリビングに戻ってきた。煙草を咥えながらネクタイを締め、いつもの社会人の雑渡さんになった。


「7時55分。いいね、5分余った」

「明日からどう起こそうか悩んでます…」

「今朝みたくキスして起こしてよ」

「え!?わ、分かりました!?」

「そりゃあ分かるよ。唇になまえのリップが付いてたから」

「あー…」

「明日からもよろしく」

「あれは最終手段ですからね!?普段はしませんよ!?」

「またまた」

「もう。雑渡さん!」


おいでおいでと手招きされて、8時までの5分間はくっついて過ごした。たくさんキスをして、まだ離れたくないとお互い言いながら抱き合い、私たちは名残り惜しそうに各々の行くべき所へ向かった。
まだ同棲はしていないけど、きっとこれから毎日こんな風に過ごすことになるんだろう。きっと、これから素敵な毎日が始まる。そんな予感がした。


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