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成る程ね、と書類を机に置くと小さな音でコンコンと扉が叩かれた。特に返答はしない。しなくても入ってくるだろうし、入ってこなければどうなるかなどもう分かっているだろう。応接間に入ってきた女は青い顔をしていた。
座るように目線で促す。金曜の覇気はどこへいったんだか。


「さて。随分と面白い真似をしてくれたね」

「わ、私ではございません…」

「へぇ?」

「私は何もしていません。課長の彼女に怪文書など出すような真似、私はしていません。本当です。信じて下さい!」

「ならば不思議だね。私はまだ何をしたか言ってもいないのに、よく怪文書を出したことで呼び出したと知っていたね」

「あ、あ…」


ガタガタと震えてる女に封筒を投げ付ける。こんな物のせいであやうくなまえに振られるところだった。おまけに、なまえは刃で指を切った。これは万死に値する愚行だ。


「弁明くらいさせてあげるよ。何か言うことはある?」

「わ、私…課長が本当に好きだったんです!」

「へぇ」

「なので振り向いて欲しかっただけなんです!」

「そう。随分と面白い嘘を吐くね」

「課長、本当です!信じて下さい!」

「経理部部長」


ビクッと女は震えた。私が何の情報を握っているのか分かったのだろう。自分に分が悪いことを知ったのか、黙った。


「人事部係長、開発管理部部長、総務部課長…」

「ち、違う…」

「情報システム部次長なんてのもあったね」

「違います。違うんです!」

「そして営業部課長。私だ」

「課長、違うんです。私はそのような方とは…」

「困ったことに私以外全員、既婚者だ」


揃いも揃って役職が付いた男ばかり狙っては関係を持つ。実に何が目当てなのか分かりやすくていい。お陰で予想していたよりも随分と早く調べがついた。
今挙げた面々の中にはこの女に多額の金を落としていた者もいたが、私から言わせてもらえれば気が知れない。こんな性格の悪い女を買うくらいなら、せめて店で買えばいいのに。


「私にも金を貢がせようとした。だけど、上手くいかなかった。だから粘ろうとした。なのに相手にはされなかった」

「…そうです。私には何も買い与えてはくれなかったのに、あの女には与えていた!女嫌いの課長の心さえも!」

「あの女ねぇ…」

「許せなかった!私では落とせなかった課長をあっさりと落としたあの女が!あの女には若さしか取り柄がないのに!」

「自分にそこまでの自信がある、と。凄いね、お前。自分がそんなにいい女だとでも思っているんだ?その程度で?」

「な…っ、少なくともあの女よりは綺麗です!」

「それとさ。さっきからあの女呼ばわりしている子のことを私が溺愛しているって知らないわけじゃない…よねぇ?」


薄く笑って見せると、女は赤い顔をまた青くした。こういう顔は仕事柄よく買収相手先で見るけど、まさか社内でも見ることになるとは。嬉しくない驚きだよ。
さて、と一通の封筒を内ポケットから取り出して机に置く。


「本来であれば、これは私から渡す物ではない。ただ、人事部も係長を失ったばかりで忙しいようでね。開けなさい」

「…っ、課長に何の権限があるというんです!?」

「ん?」

「私を解雇するおつもりですよね?」

「そうだよ。よく分かっているじゃない」

「あなたは営業部の一職員にしか過ぎません。課長の一存で社員の首を切るような真似が出来ないことくらい私だって…」

「そう。じゃあ、社長をここに呼ぼうか?かなり怒っていたから手を挙げられるくらいのことは覚悟した方がいいと思うよ。あの人、ああ見えて愛妻家だから。不倫とかいう単語も聞きたくないって言っていたけど…ま、別に私はお前が社長に殴られようが蹴られようが何ら困らないからいいんだけど。じゃあ、少し待っていてくれる?社長を呼んでくるから」

「け、結構です!」


封筒を握り締めて女は悔しそうに涙を流した。喧嘩を売る相手を間違えさえしなければ、こんなことにはならなかったのに、本当に愚かな女。そして、こんな女のせいで私のなまえは傷付き、そして、泣いたのかと思うと心の底から腹立たしい。退職程度で済むと思うな。お前が不倫した家庭全てに内容証明を今日付で照星に送らせた。人数を考えると自己破産することになる可能性が高いだろう。
女が泣きながら出て行った後、押都が入ってきた。


「写真を提供した奴ら、誰だか分かった?」

「はい。こちらはどう処分されますか?」

「この程度では流石に首は切れないからね…全員の弱みを調べておいてくれる?もう二度と出社出来なくなる程度のやつ」

「分かりました。まったく…この馬鹿な女たちは全員、あなたがどんな方なのか知りもせず声を掛けてきたんでしょうか」

「愚かだねぇ、本当」

「ええ、全くですね」


優秀な部下と共に応接間を出る。昔から私に言い寄ってくる女はどいつもこいつも人を見た目と肩書きで判断していた。だから、知らなかったんだろう。私を怒らせたらどうなるのかを。この件もどうせあっという間に噂話として広まることになる。これで言い寄る女がいなくなってくれれば私にとっては好都合でしかない。
とはいえ、我が社は重役を何人も失うことになった。ただでさえ忙しいのに、急な人事異動が生じて更に忙しくなったと恨みを買うことになるのだろうことは簡単に予想できる。いくら退屈凌ぎだったとはいえ、女遊びなんてしなければよかったと私は心から反省し、重い溜め息を吐いた。


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