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小さな田舎町でも、娯楽は必要だと言わんばかりの規模で今日は祭りを開催している。どうやら昼には神輿を担いでいたらしいし、夜には花火が上がる予定になっている。毎年、恒例行事のように執り行われている祭りのポスターを目にしたことがないわけではないが、実は長く住んでいるというのに行くのは今日が初めてだった。誘われたことがないわけではない。学生の頃につるんでいた奴や部下、もう顔も思い出せない女に毎年のように行こうと誘われていた。それほどこの町に住む者は行くことが当たり前なのだろう。ただ、生憎私は祭りには興味がない。人は多いし、夜といえど暑いし、祭りに出向く位なら家で一人で過ごす方が幾らかマシだと思っていた。
なのに、今日こうして祭りに出向いているのはなまえが行きたいと言ったからに他ならなかった。あんなに興味のなかった祭りだというのに、今日は楽しみで仕方がなかった。
長い髪を纏め上げ、可愛らしい浴衣を着ているなまえは下駄を軽快に鳴らしながら楽しそうに歩いていた。こんなに可愛い子の隣を歩けるのなら、祭りも行く価値があるというものだ。とはいえ、私は祭りに関しては何も分からない。何が正解なのかも分からないから、エスコートすることも出来ない。だから、今日はノープランのデートだった。ちなみに、平日だったが故に私はスーツだった。せっかくなら浴衣を着て隣を歩きたかったと思うが、こればかりは仕方がない。


「雑渡さん、何食べますか?」

「そうだねぇ…」

「私は、お祭りといえば焼きそばとりんご飴は欠かさないかな。あと、とうもろこしも。それから、チョコバナナ」

「ふーん…あ、ビール売ってるじゃん。え、どこで飲むの?」

「歩きながら?」

「歩きながら?祭りってそんなことも許されてるの?」

「はい。お祭りですので」


しかも、缶ではなくて樽生のビールが売っていた。
普段、外をビールを飲みながら歩いていたら間違いなく妙な奴だと認定される。なのに、今日は許されるということは、今日は一般的な価値観ではないということか。祭りは浮かれた奴が多いとは知っていたが、まさか暑い夏の夜に外で堂々とビールを飲みながら歩けるとは。最高じゃない。
右手はなまえと手を繋ぎ、左手でビールを飲む。プラスチックのカップは柔らかくて飲みにくく、だけど、よく冷えていて喉を潤してくれた。なまえは右手で子供のようにちまちまと赤い飴を舐めていた。中には小ぶりなりんごが丸々と入っていて、存在は知ってはいたけど美味しそうには到底見えない代物だった。なのに、なまえは凄く美味しそうに舐めているものだから、どんな味なのか興味が湧いた。


「それ、一口ちょうだい」

「えっ。これ、甘いですよ?」

「だろうね。飴だし」

「中にりんごがあるので、齧ってみて下さい」

「うん」


言われなくても、ただの飴なんて舐めたくない。きっと、丸いりんごは酸味がついていて、うまく調和がとれているのだろうと思った。生まれて初めてのりんご飴を差し出された私は齧ってみる。だけど、予想の何倍も飴は硬く、そして丸い形状から齧りにくかった。つまり、齧れなかった。


「甘…」

「硬いんですよねー」

「これ、美味しいの?」

「美味しいですよ?」

「成る程。私にはビールの方がいい」


甘くなった口内をビールで誤魔化しながら歩く。向かうのは花火大会の会場…ではなく、神社。神社の境内にも多くの露店が立ち並び、新しいビールと串に刺さった唐揚げを入手する。なまえは焼きそばを入手したかと思えばチョコバナナはどうしても捨てられないと走っていってしまった。
子供の様で可愛いなぁと思いながら空を見上げる。普段なら灯りの少ない町だから星がよく見えるというのに、今日はあまり見えなかった。いつもなら静かな境内も今日は賑やかで、人で溢れかえっている。その変化が面白くて、こういう非日常もたまには悪くないものだと思っていると、知らない女に声を掛けられた。お一人ですか、と。逆に聞きたいのだが、一人でこんな所に来る奴がいるのだろうか。少なくとも私は一人なら絶対に来ない。


「彼女と来てるから」

「彼女さんは?」

「買い出し中」

「お兄さん、私たちと一緒に花火大会の会場に行こうよ」

「こんなおじさんよりも他をあたりなさい」

「彼女なんて放っておいて行こうよ。ね、名前教えて?」


そう言って浴衣を着た女に腕を掴まれた。ゾッとする。全身が拒否するのがはっきりと分かる。気持ちが悪い。私の何を見てそんなに惹かれるのだろうか。私のことなど何一つ知りもしないくせに。私を受け入れるだけの度量もないくせに。昔、言われたことがある。一緒にいると自慢できる、と。私はアクセサリーではない。飾りの様に扱われるのはごめんだ。私自身を見ようともしない女なんて、嫌悪感しか感じない。存在が気持ち悪い。


「…失せろ」

「えっ」

「失せろと言っているんだ。お前の様な女、私はこの世で一番軽蔑している。気色悪いから二度と話しかけてくるな」


吐き捨てる様に言うと女は私を罵倒して離れていった。その姿の醜さにうんざりしながらも、後悔する。またやってしまった、と。なまえに知られたらどんな反応をされるんだろう。少なくとも好意的には捉えられないだろう。
諸泉に顔が整っていて羨ましいと言われたことがある。羨ましい、と言われるほど私は自分の顔が好きではない。少なくとも、女が喜ぶだけの材料になり得ているとは思っていない。それで昔から女に言い寄られ、それを羨ましいと言われはしたが、自分自身は何一つ嬉しいと思ったことはない。
嫌な気持ちになっていると、なまえが戻ってきた。手に持ちきれない程の食材を持って。その姿があまりにも可笑しくて、思わず笑ってしまう。


「随分と買ったね」

「だって、雑渡さん唐揚げしか食べてないから」

「本当はなまえが食べたかったくせに」

「あ、バレました?」


えへへ、と笑うなまえは私の手を取って、走り出した。同じ行為をされているというのに、嬉しく思うのは何故なのだろうか。なまえに掴まれた手が熱い。じわりと胸が熱くなる。愛おしいと思ってしまう。
境内の奥に連れて行かれ、疑問に思っていると空が一気に明るくなった。空一面に花火が上がっている。木の陰になることもなく花火はよく見えた。


「凄いね、特等席じゃない」

「でしょ?昔から昔から家族で来たらここだったんです」

「へぇ」

「さ、食べましょう?」


そう言ってなまえは焼きそばを差し出してきた。小さな石の上に座って箸を割る。こんな経験はしたことがない。
焼きそばの味は特別美味しい物ではない。何なら、なまえが作ってくれた物の方が好みだ。だけど、外でビールを飲みながら口にする焼きそばは何ともいえない価値があるものだと思った。
なまえはというと、リスのようにとうもろこしを齧っている。口の周りをベタベタにしていて、本当に子供の様だと思わず笑ってしまう。指で口周りを拭うと、なまえは嬉しそうに微笑み掛けてきてくれた。あどけない笑顔が何とも可愛くて、そっと唇を重ねる。いつもなら人前で、とか文句を言うのに今日は何も言わなかった。何なら、もっとしたいとせがんできてくれた。
なまえが差し出してきたとうもろこしを口に含むと予想よりも塩気があって美味しく感じた。二人でチープな夕食を摂りながら見る花火は綺麗で、そして、光に照らされたなまえがとても可愛かった。なまえと出会って私は初めて経験することが増えた。初めて目にするもの、初めて知る感情。どれも私の小さく、退屈だった世界に色を差してくれる。
別に私は祭りなんて興味はない。だけど、これはこれで楽しい行事なのだと知った。来年は平日でも有給を申請して私も浴衣を着ようかと思うほどに。もうすぐ夏も終わる。秋にはまた新しいことを経験できるのだろう。なまえと一緒に季節を巡ることができる。これ以上嬉しいことなどないと思いながら、空を彩る花に私は想いを馳せた。


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