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映画の試写会のチケットを貰った、と見せられた物は今話題の映画だった。ホラーだけど、最後は泣けると評判のもの。だけど、指定日は平日だった。
そんなわけで、私は駅で雑渡さんと待ち合わせをしている。ちなみに、絶対にタクシーを使えと念を押された。
駅に行くと、人がいつもより多かった。といっても、サラリーマンが多く、帰宅ラッシュなのだなと思った。雑渡さんがそうであるように、この時間に帰る人が多いのだろう。学生の私には分からないけど、こんな時間まで朝から働いているのだから大人は大変だ。もちろん、雑渡さんも含めて。
ロータリーでタクシーを降りて駅に向かって歩いていると、黒いスーツを着ている男性が目に入った。背が高くて、細身で、かっこいい男性。雑渡さんだ。腕を組んで、片手には珈琲を持っている。たったそれだけのことなのに、絵になっていた。凄くかっこいい。
私が見惚れていると二人組の女性が雑渡さんに声を掛けた。話の内容までは分からない。だけど、途端に雑渡さんの表情が曇っていく。嫌そうな顔で何か話をしているかと思えば、冷たい目をして何かを言った。すると女性たちは雑渡さんから離れていって、私とすれ違った。文句を言っている。当の雑渡さんはというと、心底嫌そうに珈琲を口に含んでいた。
雑渡さんは顔がいい。モテると本人から聞いたことはないけど、まぁモテるだろう。そして、かなりの人数の女性とそれなりの関係を持っていたことも何となく察しがつく。雑渡さんは女の人が好きなのか嫌いなのか、よく分からない人だ。
そんなことを考えていると、雑渡さんが私に気付いて笑いかけてきた。その笑顔は柔らかく、本当に嬉しそうなもので、私にだけ向けてくれている特別なもの。私が、私だけが知っている雑渡さん。そう思うと、さっきの女性たちには悪いけど、優越感で思わず笑顔になってしまう。


「お疲れ様です」

「ん。とりあえず、行こうか」

「はい」


手を繋いで会場まで歩く。ショッピングセンターの中にある映画館だったから、とりあえず夕飯はそこで済ませることに決まっていた。
お互いに何を食べたいか話しながら地図を見る。飲食店だけで数十種類の店舗があるから、選び放題だ。


「あ、このハンバーガー屋さん行ってみたかったんですよ」

「えぇ…夕飯にファーストフード?」

「じゃあ、雑渡さんは何がいいんですか?」

「とりあえず、米」

「成る程、和食ですか。じゃあ、ここは?」

「いいの?和食で」

「はい。その代わり、今度のお休みの昼にはハンバーガー食べに連れていってくださいね?」

「はいはい」


次の約束を取り付けて映画館に入る。寒いといけないから、とブランケットを手渡してきてくれた。こういう細やかな気遣いが大切にされていると実感できて嬉しい。
映画は確かにホラーだった。怖くて、思わず雑渡さんの腕にしがみつくと、雑渡さんはよしよしと頭を撫でてくれた。だけど、終盤は聞いていた通り、感動したとしか言いようのないもので、特にヒロインが死んでしまうなんて微塵も思っていなかったから涙が止まらなかった。
会場が明るくなって、みんな席を立ち始めた。私も立ち上がったけど、雑渡さんは立とうとなかなかしない。疑問に思って顔を覗き込むと、雑渡さんは目を赤くして泣いていた。私が見ていると気付いて、慌てて目を擦っていたけど、涙が止まらず、顔を手で覆って隠した。


「くそ…泣くつもりなかったのに…」

「雑渡さんでも泣くんですね」

「あのね。私にだって人並みの感情くらいあるよ」

「意外ですね」

「はぁ…あー…来なきゃよかった」


本当に後悔しているのであろう雑渡さんは乱暴に目を擦ってから立ち上がった。そのまま映画館を出る。本当はこの後カフェで珈琲とケーキでも、と思っていたけどそんなことを言い出せるような雰囲気ではなかった。雑渡さんがすごく落ち込んでいたからだ。泣いたことを後悔しているからなのか、それとも、映画を引きずっているからなのか。雑渡さんは元気がない。
思わず心配になって話し掛けると、雑渡さんは笑顔を作った。だけど、その笑顔は作られたものだとはっきりと分かって、そんな表情を無理に作らなくてもいいのにと思った。


「面白かった?」

「私は好きでした」

「そう。よかった」

「雑渡さんは?」

「そうだね…ちょっと、嫌なことを思い出したかな」

「嫌なこと?」

「まぁ、ね。それより、どこかでお茶でもしようか」

「大丈夫ですか?」

「何が?」

「だって…」


雑渡さん、凄く帰りたそう。そう言うと、雑渡さんは驚いたような顔をした後、少し考え込んで、いい?と聞いてきた。だから、私は短く返事をして、二人で家に帰った。
家でいつもの珈琲を淹れると、雑渡さんは静かに口に含んで、溜め息を吐いた。


「なまえは私より先に死なないで」

「はい?」

「お願い、私を一人にしないで…」


ぎゅっと抱き締められた。雑渡さんは震えていた。過去のことを思い出しているのだろうか。私が覚えていない過去。
私は雑渡さんの頭を撫でた。どちらが先に死ぬのかなんて私には分からない。だけど、この人を遺して死んではいけない。そう思った。ただの映画の話なのに、雑渡さんはそんなことを心配しているのだろうか。少なくとも、私は今現在元気なのに。病気らしい病気なんてないのに。


「大丈夫、私はどこにも行きませんから」

「…うん」

「だから、雑渡さんもどこにも行かないで」

「行かないよ。私はなまえがいないと生きていけないから」


そう言った雑渡さんは弱々しく笑った。雑渡さんの目はまた涙で濡れていた。
もしかして、雑渡さんって泣き虫なのだろうか。こんな姿は私にだけ見せて欲しい。雑渡さんのことを理解してくれる人はたくさんいて欲しいけど、それでもこんなに弱った姿は誰にでも見せないで欲しい。私だけが知っていたいと思った。
もっと雑渡さんのことを知りたい。そして、受け止めてあげたい。私に出来る限り、雑渡さんを支えてあげたい。そんな風に思いながら私は雑渡さんを優しく抱き締めた。


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