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「頑張って下さい」
「うん。絶対に勝ち取るから」
「はい。いってらっしゃい」
今日の雑渡さんはいつもと一味違った。大きな取り引きがあるらしい。それを纏められれば我が社は更に大きくなれる、と野心に満ちた表情をする雑渡さんを送り出す。
そして、私も友達と出掛けた。行き先はケーキバイキングだ。楽しみで楽しみで仕方がなくて、何日も前から雑渡さんに話をしていた。本当は雑渡さんとも行きたいけど、生憎雑渡さんは甘い物が好きではない。それどころか、匂いを嗅ぐだけで吐き気がするとさえ言っているのだから、本当に苦手なんだろう。そんな雑渡さんを誘うわけにはいかなかったし、一緒に行きたいとも言われたことは一度たりともない。
友達とケーキバイキングに入ると、それはそれは混んでいた。ほとんどが女の子だけど、中には一人で来ている男性もいて、世の中には甘い物が好きな人もいるのになぁと少し残念に思った。
「ねぇ、なまえ。見て」
「なに?」
「あのサラリーマンかっこよくない?」
友達の一人にそう言われて見た先には雑渡さんがいた。貼り付けた、といっても過言ではない笑顔を携えているところを見るときっと仕事中なんだろう。ただ、顔色があまりよくない。それはそうだ。だって、この狭い空間には甘い匂いがたちこめているから。
雑渡さんは私には気付いていなかった。書類を取り出しては話を持ちかけている。うまくいくのかな、とハラハラしながら見ていると、雑渡さんが振り返った。私とバッチリ目が合うなり、困ったような顔をした。助けて、と言わんばかりの表情に思わず笑みが溢れる。助けられないことくらい雑渡さんも私も分かっているから、そのまま席に着く。
私がケーキを頬張っていると、先に取り引き先であろう男性が帰っていった。残された雑渡さんをチラリと見ると、口元を押さえながら鞄に書類をしまっている。よかった、上手くいったのね、と思っていると、私のもとへと怠そうに近寄ってきた。特に何かを言うわけではない。だけど、頭をポンポンと撫でられ、雑渡さんはそのまま会計をして出ていってしまった。
残された私は予想以上に質問攻めに合う。
「ねぇ、今の人って…」
「うん。彼氏」
「えー!めちゃくちゃかっこいいじゃん!」
「確かに雑渡さんはかっこいいわ」
「照代、知り合いなの?」
「まぁね。連絡先も実は知っているのよ」
「何それ。どんな仲なのよ」
「内緒」
「なまえにあんなかっこいい彼氏がいるなんて知らなかったなぁ。羨ましいなぁ、あんなイケメンと付き合えて」
「あは。ありがとう」
「いいなー。大人と付き合えるとかマジで羨ましい」
いいないいなと言われたけど、私はもう雑渡さんが大人の男性だとはあまり意識しなくなっていた。雑渡さんは雑渡さん。ただ、それだけ。
それよりも私は雑渡さんが青白い顔をしていたことの方が気になった。きっと、この空間にいて気分が悪くなっているのだろう。夕飯はふんだんに塩辛い物にしないといけないだろうか。そんなことを考えながらお会計に向かう。既に会計済みで、私は雑渡さんが払っておいてくれたんだなとすぐに分かった。友達は大人だの、スマートだの騒いでいたけど、私は雑渡さんが心配でそれどころではなかった。
家に帰ってから唐揚げを仕込む。雑渡さんのテーブルにはケーキが残されていたけど、どう考えても食べる気はなく、だけど、仕方なく取ったんだろうなぁと分かった。だから、きっと何も口にしていないんだろうなぁと思ったのだ。唐揚げは雑渡さんの好きな食べ物トップ3に入るから、多少気持ち悪くてもきっと喜んでくれるのだろうなと思った。
そして、雑渡さんが帰ってきた。もう顔色は悪くなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい。ご馳走様でした」
「あぁ。うん」
「ご飯食べられそうですか?」
「うん。何?」
「唐揚げです」
「えっ、やった。もうすぐ食べたい」
「はい。ご飯よそいますね」
予想通り雑渡さんは喜んで唐揚げを食べてくれた。幸せそうに口にする姿を見て、少しホッとする。
「あの後、大丈夫でした?」
「あぁ、まぁねぇ…」
「お仕事って大変ですね」
「いや、今日のは特に酷かった。死ぬかと思った」
「そういう顔をしてました」
「えっ。私、ちゃんと、笑えてなかった?」
「笑ってましたよ」
青い顔をして、貼り付けた笑顔でね。
雑渡さんと一緒にいるようになって早半年弱。私が想像していたような人ではないことがだんだんと分かってきた。子供っぽいし、案外涙脆いし、仕事に真剣に打ち込むけど、その顔は作られたものだ。
だけど、私といる時の雑渡さんは自然な笑顔を向けてくれる。柔らかくて、本当に幸せだと表情で伝えてくれる。
「そうだ。今度、ホテルでご飯食べようよ」
「ホテルで?」
「何かね、取り引き先の社長が言うには季節のスイーツも充実してるんだって。主にケーキに力を入れてるらしい」
「え、行きたい…けど、雑渡さん大丈夫ですか?」
「メインは料理らしいから、多分平気だよ」
味噌汁を飲みながら雑渡さんは次のデートの提案をしてきてくれた。私たちはスイーツバイキングなんて行けない。だけど、雑渡さんはこうして私の好みに寄り添ってくれる。私の喜ぶことを提案してくれる。
土曜日、私たちは大きなホテルの一階で開催されているバイキングに出向いた。確かに雑渡さんの言う通り、尋常ではない数のケーキが並んでいた。
「わぁ…っ」
「嬉しいのは分かるけど、先にご飯を食べなよ」
「メインはケーキです」
「信じられない。私はパス」
雑渡さんはローストビーフを切りながら信じられないと言わんばかりに溜め息を吐いた。周りは賑やかで、みんな美味しそうに食事を摂っている。私はというと、焼きたてのクレープシュゼットを頬張りながら、次は何を食べようかとそわそわしていた。楽しい。楽しすぎる。
そんな私を見て、雑渡さんはくすくすと笑った。
「本当に好きだね」
「はい。楽しいです」
「なら、よかった」
「雑渡さんも食べればいいのに」
「私にこの場で死ね、と?」
「そこまでですか」
「そこまでですよ」
オムレツを口にしながら雑渡さんは溜め息を吐いた。なまえの作る方が美味しいと言いながら。
好みが私は雑渡さんと違う。だけど、雑渡さんは私が作るご飯はどれも美味しいと言ってくれた。それは嘘ではないと顔を見ていれば分かる。
幸せだなぁ、と思いながらケーキを頬張ると、雑渡さんはふと上を見上げた。吹き抜けになっているホテルの天井はとても高い。この町で一番高さのあるホテルなのだ。きっと、ホテルの部屋からの景色もいいんだろう。
「ねぇ、ここ泊まっていこうか」
「はい?わざわざ?」
「だって、なまえとしたくなったし」
「はい!?」
「そんな可愛い顔を見ていたら、ね」
ね、の後はあえて聞かないことにした。ここは地元だ。家から特別遠いわけではない。なのに、わざわざ泊まるなんて気が引けた。なのに、雑渡さんの中では宿泊はもう確定のようだった。
チン、とエレベータを降りると尋常ではない景色が広がっていた。部屋に入ると、VIPルームなのかと思うほどの景色。
「高そう…」
「まぁ、たまにはいいじゃない」
「もう。また無駄遣いして…」
「だって、なまえを食べたくなっちゃったから」
そう言って雑渡さんはキスをしてきた。そのままベッドに倒れる。指先がそろりといやらしく脚を撫でてきて、思わず声が出た。
雑渡さんは嬉しそうに、ケーキよりもなまえの方がずっと甘くて美味しいと言って私の服を脱がせた。首筋に唇を這わせられ、びくりと身体が震える。それを好機ととった雑渡さんはいつものように私と身体を重ねた。
甘いケーキは私を満たしてくれる。私はケーキみたく甘い存在ではないけど、雑渡さんを満たす存在になることが出来たらいいな。そう思いながらしたキスはとても甘かった。
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