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そろっとなまえの頬に手を伸ばす。そのままいつものように指を耳に掛け、キスしようとしたら違和感に気が付いた。珍しくイヤリングをしている。いや、これはまさか…


「…なに、これ」

「ピアスを開けてみました」

「は?」

「実は、ずっと憧れだったピアスがあって。ほら、あの有名な映画に出てくるやつ。いつかあれが欲しくて開けました」

「はぁ!?」


何それ、聞いてないんだけど。髪をめくり、まじまじと見ると、本当になまえの耳たぶには貫通したピアスが刺さっていた。ほんのりと赤くなっている。


「これ、痛くないの?」

「案外、平気です」

「どうして…」

「はい?」

「どうして自分を傷付けたりするの!?」


自分でも予想よりも大きな声が出たと思った。だけど、止められない。なまえが自らの意思で自分の身体を傷付けるような真似をしたなんて、到底受け入れられない。ましてや、赤くなっているところを見るとますます胸が痛んだ。痛くない?絶対に嘘だ、少なくともなまえの身体に傷が付いた。その事実だけで許せなくなる。
沸々と怒りが込み上げてくる。どうしてなまえは自分を大切にしてくれないのだろうか。自ら傷付けるなんて信じられない。そして、何も聞かされていなかったことが許せない。


「だって、雑渡さん反対するだろうと思って」

「それはそうでしょ!」

「だから、黙って開けました」

「はぁ!?お前、そんな…っ」


気に入らない。自分の身体に自分の意思で穴を開けたことも、私に隠し事をしたことも。どうしても許せない。
なまえから無言で離れる。なまえは私が怒っていることにようやく気が付いた様子だった。何と弁明しようか考えているようだったが、何と弁明されようとも許せない。
そして、私はどんなに話し掛けられても徹底的に無視した。口を開けばなまえを傷付ける言葉を発することは目に見えていたし、どうして私がこんなにも怒っているのか理解するまでは到底口なんてききたくもなかった。
そして、遂に恐れていた事態が起きた。傷口が膿んだ。慌てて救急病院に車を走らせる。
幸いにも軽傷で、簡単な処置と消毒薬の処方程度で済んだ。


「ほら、だから言ったんですよ?大袈裟だって」

「うるさい」

「大して痛くもないですし」

「だから、うるさい!」

「もう。私は大丈夫ですから」


大丈夫、と言っていたのに私を遺して逝ってしまったのは誰だ。いつもより調子がいいと言って弱っていったのは誰だ。お前だろう。どうして私の不安を煽るようなことをする。
怒りを通り越して悲しくなってきた。なまえにとって私はその程度ということなのかな。だから、こうして私の知らないところで勝手に傷付いていても平然としていられるのか。過去を覚えていないから、なんて小さな事象で片付けてしまうのは、私がどれほどの想いと不安を抱いているのか知らないからなのか。だとすれば、私はどうすればいい。どうすればなまえを失わずに済む。
もやもやとしていると、なまえは明るい声を出した。


「ね、いつか私にピアスを買って下さい」

「お前、よく私にそんなこと言えるね」

「お願い。それまで私はこのピアスで乗り切ります」

「あぁ、そう。じゃ、生涯それは外せないね」

「根比べですね」

「何が根比べだ…馬鹿じゃないの」


私が許せる日なんて当分来ない。いや、もしかしたら一生来ないかもしれない。なまえを傷付けることなんて、例えなまえ自身でも許せない。
だいたい、傷を作っておきながら大した処置もしない病院なんて信じられない。これが原因でなまえが死んだらどう責任を負うつもりか。私の持てる力を全て使ってでもその病院を潰してやる。そう思い、疑問を投げかけてみる。



「そういえば、それ何処で開けたの」

「友達にやってもらいました」

「は?病院すら行ってないの?」

「そんな大袈裟な…たかだかピアスですよ?」

「たかだか!?」

「あぁ、いや、今のは失言でした」

「そうだね。二度と口にしないで」

「…はい」


私が車内で怒鳴ると流石になまえは黙った。
友達に開けてもらった?つまり、素人がなまえを傷付けたということだ。それは感染もするだろうし、膿も出るだろう。


「…ちなみに、女だろうね」

「まぁ」

「どっちなのかはっきりしなさい」

「女の子ですけど?きぃちゃんです」

「あぁ、そう。なら、よかった」


これが男だったら絶対に許しはしない。捕えて耳どころか全身を安全ピンで刺してやる。
怒りが込み上げてきていると、なまえはくすくすと笑った。


「何がおかしいの!?」

「雑渡さんだなぁと思って」

「はぁ!?」

「私、すごーく寂しかったんですよ?無視されて」

「あぁ、そう。誰のせい?」

「私なんですか?」

「他に誰がいるの」

「ふふ。黙って開けてごめんなさい」

「反省してないでしょ」

「まぁ」

「なまえ!」


くすくすと可笑しそうに笑うなまえに駐車場でキスする。もう、二度と耳元に触れることなんて出来ないのかと思うと悔しくて仕方がない。私の大切な一部がもがれた気分だ。
久し振りにベッドで身体を重ねて、頼むから二度と自分を傷付けたりしないでと頼む。お前は私のものだから。いや、自分よりも遥かに大切な存在なのだから。そう言うとなまえはまたくすくすと笑い始めたものだから、頭にきて覆い被さる。やはりなまえは大袈裟だと笑った。だから、そんな生意気なことを言う口を塞いでやる。
どうか、お願いだから私を置いて逝かないで。もう二度とあんな想いはしたくない。だから、どうか傷付かないで。
そっと耳元に口付けると、硬い異物が拒んだ。当分は許さそうにないけど、この悲しみもいつかは浄化されるのだろうか。そんなことを思いながら私はなまえを抱き締めた。


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