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「何をしたらいいの?」

「手を合わせてもらえれば」

「で?」

「それだけです」

「何かお願い事でもするの?」

「神社じゃないんだから…というか、雑渡さん、本当に今までお墓参りをしたことがないんですか?ただの一度も?」

「親どころか親族すらいない私が誰を参るの」


お花を挿すと雑渡さんは困ったように言った。そういえば雑渡さんは孤児院で育ったと言っていた。確かにお墓参りなんてする機会はないかもしれない。そっか、初めてか…
今日はお母さんの命日だ。平日だったから私一人で行くつもりだったのに、雑渡さんはわざわざ半休を取ってくれてこうして一緒に来た。既にお墓にはお母さんが好きだった花が挿してあって、父が既に来ていたことが分かった。


「お墓はそうですね…亡くなった人と話をする所でしょうか」

「ふーん…」

「手を合わせて、心の中で亡くなった人と会話をする場所的な…?ごめんなさい、私もうまく説明できません」

「いや、分かったよ」


雑渡さんはライターで線香に火をつけて、香炉に入れてくれた。風が線香の煙を攫っていく。
雑渡さんは墓石に指先で触れ、ふぅん…と言ってから手を合わせた。私も雑渡さんにならって一緒に手を合わせる。
お母さん、なかなか来れなくてごめんなさい。私は元気にやっています。そうだ、雑渡さんていう人と今、お付き合いをしているの。私の隣にいる人。かっこいいでしょ?私、彼が好きなの。人を好きになるって、好きになられるって凄いことなんだね。私は彼と一緒にいると幸せなの。年上で初めは大人の男性だなぁって思っていたけど、実は案外子供っぽいんだよ?だけどね、私とお父さんの仲を取り持ってくれたの。もう絶対に仲直りなんて出来ないと思っていたけど、どうにかこの間も三人でご飯を食べれたんだ。雑渡さんが提案してくれたんだよ?忙しい人なのに、こんな風に気に掛けてくれるの。これって、凄いことだよね。私、こんな風に誰かに愛される日がくるなんて思わなかった。お母さんに雑渡さんを会わせてあげたかった。それで、お母さんと一緒に雑渡さんのことをたくさん話したかった。いっぱい雑渡さんのことを聞いて欲しかった。お母さん、会いたいよ…
そっと頬を撫でられて目を開ける。雑渡さんが私の涙を指先で優しく拭ってくれた。とても心配そうな顔をしている。


「ごめんなさい。もう、平気なの」

「…そう」

「だって、もう二年経つので。だから、もう…」


泣かないと、私は前に進むんだと決めたんだ。だけど、どうしても今日は耐えられない。どうしても泣いてしまう。
学校から帰ってきたらお母さんは倒れていた。救急車を呼んだけど、お母さんは何日か眠った後亡くなってしまった。何が起きたのか何も分からなくて、お父さんと一緒に大泣きした。お葬式の日は火葬しないで欲しいと泣いてみんなを困らせたし、納骨の時は寂し過ぎてお墓からなかなか離れられなかった。だけど、もう平気にならないといけない。


「雑渡さん、そろそろ帰りましょうか」

「…なまえ」

「今日の夜ご飯何にしましょうか。スーパーに寄って…」

「なまえ、いいんだよ、泣いても。そんな無理をしなくてもいいんだ。大切な人が亡くなって平気なはずがない。それは普通のことだ。年数の経過で癒えるほど人の心は単純じゃないし、そう簡単に割り切れるものでもない」


だから、泣いてもいいんだよ。そう言って雑渡さんは私を優しく抱き締めてくれた。
だって、お母さんがいなくなってもう二年も経った。お母さんのことを思い出す時間はどんどん減っていったし、もう私は大丈夫のはずだった。なのに、こんなことをされたら泣いてしまう。お母さんが恋しくなってしまう…


「う…ぅ、お、おかあさ…会いた…っ、寂しいよ…」

「…うん。そうだね、私も会ってみたかった」


雑渡さんはずっと優しく抱き締めてくれていた。9月も終わりに差し掛かっているとはいえ、まだ、暑い。セミだって遠くでまだ鳴いている。雑渡さんはスーツを着込んでいるから私をずっと外で抱き締めていたら暑かっただろう。だけど、何も言わずにずっと私を抱き締めてくれた。
一通り泣いて雑渡さんから離れる。たくさん泣いたら少し心が軽くなった。こんなに泣いたのはお葬式の日以来だ。だけど、本当はずっと泣くことを我慢していた。早く立ち直って遺された私は前に進まないといけないと思っていたから。


「雑渡さん、ありがとう。もう、平気」

「…もういいの?」

「はい。私は今を生きないといけないから」


私が水桶を持って帰ろうと促すと、雑渡さんは水桶を私の手から取り、空いた方の手で私の手を握ってくれた。


「また二人でお母さんに会いに来よう」

「そうですね…そういえば、雑渡さんは何を話したんです?」

「なまえはいい子だ、とか?」

「いい子…」

「なまえの作るご飯は美味しい、とか」

「保護者みたいな目線の報告ですね」

「お母さんがいてくれたから私はなまえと出会うことが出来た。なまえを産み育ててくれてありがとう、とか」

「…それ、ちょっと狡いです」


そんなことを言われたらまた泣いてしまうじゃない。
ねぇ、お母さん。雑渡さんは素敵な人でしょ。私が子供の頃から運命の人がいるって言っていたじゃない?それがこの人だったの。お母さんは私が夢の話をしても決して笑わなかったね。いつか会えるといいねって、そう言ってくれたね。会えたんだよ、そして、私のことをこんなにも愛してくれているんだよ。だから、安心して眠って下さい。私は雑渡さんと生きていくから。雑渡さんと幸せになるから。まだたったの半年しか付き合っていないの。喧嘩だって最近、多くなってきたし。だけど、日に日に私たちの絆は強くなっていると私は思っているんだ。雑渡さんのことがどんどん好きになっているの。不思議でしょ、恋なんてしたことがなかったのにね。また雑渡さんの話を聞いてね。お母さん、大好きだよ。


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