習慣とは恐ろしいもので


「雑渡さん。いらしてたんですね」

「やぁ。久し振りだね」

「好きです。お慕いしています」

「あぁ。ありがとう」

「では、失礼します」

「うん」


ひら、と手を振ると相手は一礼して走っていってしまった。若いなぁ、あんなにも頬を赤く染めて。ただ、相手が私というのが解せないのだけど。私などにあのようなことを言ったところで何の意味もないというのに。
初めこそ、律儀にも断っていた。だけど、忍術学園に行く度に何事もなかったように好きだ好きだと言われ続けているうちに、あれは特別な意味もない、ただの挨拶なのだと気付いた。というか、そうでなければ意味が分からない。若く、相手もより取り緑の彼女があえて私などを選ぶ必要はない。そして、別に私は彼女に好かれるようなことなどした覚えは一度たりともない。要は特別な理由もなく「好きだ」と言ってみたり、相手の反応を楽しんだりしているだけなのだろう。


「組頭。そろそろ応えて差し上げては?」

「誰に何を?」

「なまえさんに好きだ、と」

「はっ。私がなまえを好き?まさか」


あんな、初潮が来たばかりのような女をこの私が好きなはずはないだろう。ただの気まぐれで好きだの何だのと言うような女を愛するくらいならば、後腐れのない女の方がずっと楽だ。ほら、例えばあそこにいるくノ一の先生とかね。ああいう一時だけの女の方が扱いが楽だし、互いに割り切れるからいい。子供というのは可能性の塊だ。なまえも今は事務員の見習いとして忍術学園に従事しているが、そのうちどこかの男に身染められて家庭を持つことだろう。それで、何人か子供を産み、幸せに暮らし、私のことなど思い出しもしない。
まぁ、それでも相手から好意を寄せられるというのは悪い気はしない。子供は好きだし、懐かれやすい。きっと今日もまた性懲りも無く私の前に現れて、好きだと言って走り去っていくのだろう。そう思っていた。そう、私は愚かにもこの奇妙な関係がずっと続くと思っていた。そこに心が含まれていようがいなかろうが、なまえは私に好きだと言い、私はなまえを可愛がる。そう思っていた。なのに、なまえは今日は私に好きだとは言ってこなかった。それどころか、会釈をした後は目も合わせてこない。本当にただの来客者のように扱われた。思わず私が見えていないのかと思って近付いたほど。


「…ねぇ」

「はい」

「なに。今日は言わないの?」

「何をですか?」

「ほら、いつもみたく…」

「あぁ。もうやめました」

「やめた?」

「はい。私、好きな人がいるので」


そう言ってなまえは笑った。そしてまた、箒へと意識を向ける。落ち葉が丁寧に集められていった。その動作は事務員としてはごく自然なことなのだろう。いつもならば「精が出るね」と言ったことだろう。ただ、つい先日まで好きだと言われ続けていた私としては「はぁ?」と思った。好きな人がいる?私以外に?
所謂、結婚適齢期にあるなまえは私から見たら幼く、まるで近所の子供が親しみを込めて「好きだ」と言っている程度のものだと思っていた。だから別に私のことなど好きではなくなったとしても何ら不思議ではない。初めからただの気まぐれだ。そう思っていた。ちゃんと判別は持っているつもりだった。だけど、何だろう。この釈然としない気持ちは。お前は私のことが好きだったのではないのか。お前の口から他の男を好きだという言葉を発してもいいと私は言った覚えはない。ふざけるな。散々惑わせておき、離れるなど許さない。


「こっちを見なさい」

「仕事中なので」

「いいから見るんだ」


なまえの顎を掴み、じっと見下ろしてやる。私が見つめても頬を赤く染めることはなく、つい先日までのなまえの様子を知っているから別人なのではないかとさえ思った。
これは誰だ。私の知っているなまえではない。誰だ、なまえをたぶらかしたのは。これは私のだ。私が先に目を付けた。


「離して下さい」

「嫌だね。私に好きだと言いなさい」

「思ってもいないことは言えません」

「強情な口だな」

「強情ではありません。私の本音です」

「強情な上に生意気な口だ。許せない」

「あなたの許しを得る必要などありませんので」

「ほぉ?言うじゃないか」


生意気な口だ。もう黙れ。こんな不快な言葉は耳障りだ。お前はいつもみたく馬鹿の一つ覚えのように私に好きだと言っていればいいんだ。私が手を振れば嬉しそうに笑い、私が帰る時には門まで見送りながら「また来て下さい」と言って笑いながら私に手を振らなければならないんだ。私に近付くというのは、そういうことなんだよ。
壁になまえを押しやり、腕を押さえつけながら唇を重ねる。


「覚えておけ。そう簡単に私から逃げられると思うな」

「…雑渡さんは私のことが好きなんですか」

「そんなことも分からないのならば、他の男など見るんじゃない。いいか、他の男が好きだとは二度と口にするな。忘れるな、お前の好意は私にだけ向けていれば、それでいい」

「き…」

「き?」

「きゃぁー。雑渡さんに好かれちゃったぁ」

「…あ?」

「やったー。やったよぉ、ユキちゃーん、トモミちゃーん」

「おめでとー。押しても駄目なら引いてみろ作戦、大成功」

「やだー。雑渡さんってば、好きな女の子に好きって言えないんだー。男としての器が小さーい。みっともなーい」

「……この、クソくノ一が!」

「きゃー」

「こわーい。さいてー」

「待て!ひん剥いてやる!」

「雑渡さん」


なまえに袖を掴まれた。頬を赤く染めて。いや、待て。私はなまえに何を言った?何を言った!?まぁ、待て。まだ取り返しがつくのではないだろうか。そうだ、私はまだなまえに好きだなんて一言たりとも言っていない。まだ間に合う。
くノ一ごときに仕組まれた罠にかかってしまい、忍者の三禁と先人はよく言ったものだと思った。心から同意する。女など関わるべきではない。女などに惑わされるべきではない。


「雑渡さん、好きです」

「あぁ、そう」

「好き。雑渡さんが大好き」

「どうも」

「ねぇ。雑渡さんも好きって言って下さいよ」

「調子に乗るな。誰がなまえなど」

「あー。そんなこと言うなら、他の子に言っちゃおうかな」

「言えば?」

「潮江くんは男らしいし、立花くんは綺麗だし、中在家くんは寡黙で落ち着いているし、七松くんは物凄く元気だし…」

「…あぁ、そう。そうだね」

「善法寺くんは優しいし、食満くんは頼り甲斐があるから素敵なんだよなぁ。うーん、私は誰を好きになろうかなぁ」

「誰でも好きになさい。私は関係ない」

「間を取って鉢屋くんにしよう。色んな顔が見れるし、一緒にいて楽しいし。鉢屋くんのこと、本当に好きだし」

「…そう」

「そうだ。鉢屋くんに会いに行こう」

「まぁ、待ちなさい。分かった、分かったから…」


お前、なかなかいい性格をしているじゃないか。この私を翻弄しようとするとは。これもくノ一の入れ知恵か。
優しげもなくなまえの頭巾を掴んで「一年だ」と告げる。一年以内に覚悟を決めて忍術学園を辞め、タソガレドキ城に来たならば私も覚悟を決めて嫁に貰ってやろう。ただし一年経っても会いにこないようなら金輪際関わらない。お前の覚悟を私に見せてみろ。出来るものなら私の心を動かしてみろ。
そう言った翌月には祝言を挙げることとなった。だって、なまえは荷物をまとめて翌日には嫁ぎに来たのだから。馬鹿な女だ。お前、私の妻となるのならば子を何人も望まれるんだぞ?おまけに私は別に優しくも何ともない。好きだなんて絶対に口になどしてやらない。それでもいいのか、となまえに聞けば、即答で二つ返事が返ってきてしまった。私の覚悟は定まっていなかったが、向こうが覚悟を決めた以上、夫婦となるのは避けられなかった。だから私たちは祝言を挙げた。
で。何年か経ってから子供を連れて忍術学園に行く機会があった。別に入学させるつもりなど毛頭ない。わざわざ入学させなくとも里の教育で事足りているからだ。ただ、あの生意気なくノ一どもが卒業するというのだから、礼を兼ねて祝わなければなるまい。まったくもって生意気な女どもだった。
なまえから息子を取り上げて抱く。指先で卒業生の元へ行ってこいと指さすと、なまえは走って行こうとした。背後から私が「おい」と口にすると、ようやく自分が身重であることを思い出したのか、ゆっくりと近付いていった。
女というのは煩い生き物だ。これだけ離れていても、ここまで声が聞こえるのだから。嫌だねぇ、と息子に頬を寄せると、喃語を幾つか並べてはなまえに向かって手を伸ばした。


「やだー。もう二人目なの?」

「雑渡さんって破廉恥そう」

「分かる分かる。嗜好が偏ってそう」

「私、そういう人はむりー」

「私もー。粘着質そうな人は嫌よね」

「煩い。誰がお前らなど抱くか」

「あら、昆奈門さん。どうされました?」

「これがお前を求めた」

「あらあら。父上に似て甘えん坊ね」

「要らんことは言うな。もう行くぞ」

「はい。ユキちゃん、トモミちゃん、元気でね」

「なまえちゃんも元気でね」

「雑渡さん。ちゃんと幸せにして下さいよ?」


分かっている、と二人に手を上げてから学園を出る。歩きながらなまえは「二人はどんなくノ一になるのだろう」と言ったから、私は「今以上にとんでもなく性悪なくノ一になることだろう」と返した。これには確信がある。
途中、茶屋に寄って団子を口にしていると店主に「仲がいいんだね」と言われた。なまえは例に漏れず、頬を染めながら「ええ」と言っていたが、果たしてそうだろうか。私は特別優しい男ではない。「好きだ」なんて言葉にはあえてしないし、態度や口調だって他の男から比べたら冷たい方だろう。


「そういえば、先日鉢屋くんから祝いの品が届きました」

「ほぉ?」

「フリーとして不破くんと頑張っているみたいですよ。私、あの謎に包まれた感じの雰囲気が好きだったんですよね」

「へぇ」

「勿論、鉢屋くんだけではなく、他の子も好きですけどね」

「ふむ」

「みんな可愛らしかったなぁ…」

「ねぇ」


なまえの顎を掴む。この口が私以外の男への愛を紡ぐことは許さないと何度言えば分かる。お前も、お前から発せられる言葉も全て私のものだ。まだ分からないか。
そう言って凄むと、なまえは微笑みながら私に「好き」と言ってきた。違う、そうじゃない。お前が私を好いていることなど分かっている。別にそんなことを今更疑ったりはしない。私が言いたいのは、例え心が篭っていなかろうとも誰彼構わず「好き」などと口にするなということだ。お前の口は私と私の子にだけ愛を紡いでいればいい。他は許さない。


「ねぇ、昆奈門さん」

「なに」

「好きです」

「知ってる」

「本当に大好きなんですよ」

「あぁ。分かっているとも」

「昆奈門さんは?」

「私は好きでもない女を嫁にはしない」

「あらー」

「何があらー、だ。馬鹿が。食い終わったなら帰るよ」


息子を抱え、空いた手でなまえの手を握って家路に着いた。
腹が大きいなまえにとって出掛けるのも一苦労であり、あまり外に出したくはなかったのだが今回はどうしても行きたいと駄々をこねられた。土間を一人で跨ぐことさえ難儀なくせに、と小言を言いながらなまえの小さな手を引く。
疲れて寝てしまった息子を布団に寝かせ、頭を撫でると、寝ているくせに嬉しそうに笑った。教えてもいないのに、あまりにもなまえと同じ仕草なものだから、つい笑ってしまう。


「どこも悪くはない?」

「ええ」

「子も問題ないな?」

「はい。元気に動いていますよ」

「どれ」


なまえの膝の上に頭を乗せて腹に耳を当ててみると確かに動いていた。これだけ元気ならば次も男児か。女児だったならば、とんだジャジャ馬になりそうだ。
いつものようになまえは私の頭を撫でた。大人しくされるがままになろうとしたが、心地よくて眠くなってしまうから上に向き直し、なまえの顔に手をやる。親指で唇をなぞると嬉しそうに笑い、いつものように私への愛を口にした。飽きもせずによく毎日毎日同じことを言えるものだと思ったが、聞く分には嫌な気はしないから、あえて咎めたりはしない。ただ、こうも毎日言われ続けていると、たまに言われない日があった時には酷く狼狽してしまう。何かなまえに嫌われることをしたのだろうかと焦り、心を掻き乱されてしまうのだ。女の言葉一つにこうも忍びが翻弄されることなどあってはならないことだし、私自身も想定外のことだった。あぁ、だから女は三禁なんだ。狡賢く、いとも簡単に男の心を攫っていく。それでも、もう戻れない。仕掛けてきたのはなまえからだが、それに応えたのは私なのだから。
四人目の子が生まれ、しばらくするとなまえは遂に私に「好き」と言わなくなった。一日、また一日と日が過ぎていき、気が付けばどんな声色で言っていたのかさえ思い出せなくなってしまう。あんなにも毎日欠かさずに言われていたのに。


「ねぇ」

「はい」

「何故、ここ最近私に好きと言わない」

「あら。言われたいのですか?」

「毎日言われていたのだ。言われなければ逆に気になる」

「ふふ。そうですか」

「どうした。何かあったか」


子を寝かしつけ終わったなまえの頬を撫でる。女というのは子を産めば母の顔になるものだと思っていた。そして、女としてではなく我が子の母としてしか見られなくなる、と。しかし、実際はそんなことはなかった。確かになまえは母の顔を持つようになった。だが、私に向けてくれる笑みは未だに出会った頃のようなあどけなさを残し、母としてどころか女としてしか見られない。
抱き寄せると、なまえは私に身体を預けてきてくれた。


「あなたから言う日があってもいいと思いまして」

「…は?私が言うのか」

「ええ。良いではありませんか、たまには」

「私は結婚する前に言うつもりはないと言った」

「でしたね。覚えています」

「だから言うつもりはない」

「そうですか。では、私ももう言いません」


離れていこうとするなまえの手を掴み、じっと見つめる。私はさぞ情けない顔をしていたのだろう、なまえは眉を下げて困ったように笑っていた。
両手でなまえの小さな手を包み、向かい合う形で座る。


「悲しそうなお顔をしていますね」

「…頼む。言って欲しい」

「ですから、昆奈門さんが言えば私も言いますよ」

「………き、だ」

「はい?よく聞こえませんでした」

「す……き…だ」

「わぁ、真っ赤」

「う、煩い!私は言ったからな!?また今日から毎日言え」

「ふ、ふふふ…」


なまえにくすくすと可笑しそうに笑われて、気恥ずかしくなった私は慌てて立ち上がった。慣れないことなどするものではない。脈が狂ったように速く聞こえる。
恥ずかしさのあまりなまえから離れたくなり、子供達が眠る部屋へ顔を見に行こうとすると、風の音と共に「愛しています」という言葉が聞こえた。これまで以上に直接的な表現に思わず驚いて振り返る。なまえは布団の上で両手を広げ、微笑んでいた。何だ、誘っているのか。お前、子を産んで一月余りしか経っていないが、もう身体はいいのか。誘われた以上、私は途中で止まったりなどはしないからな。
久方ぶりに妻の肌を味わう。なまえは何度も苦しそうに私に「好き」と言った。情事の最中にはそのようなことは言ってはいけないと私は教えたはずだったが。熱に浮かされた色気を含む声色でその言葉を紡げば、私は加減など一切してやれなくなるだろう、と。にも関わらず同じ言葉を繰り返すということは、激しく求められるのがお望みか。これはこれは、何と愛らしいことか…と何度もなまえを求めた。夫婦になってもう何年も経つのだ、分かっているだろう?私がどうしようもないくらいなまえに惚れ込んでいることなど。
なまえが五人目の子を宿すのも、そう遠くないことだろう。


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