03


雑渡さん、というお隣さんに付きまとわれるようになって早いもので一ヶ月が経とうとしている。平日はコンビニでお弁当を買って来て私の部屋で食べるし、土日はどこかに行こう行こうと誘われた。その誘いに乗ることは出会いが最悪だったが故に非常に怖く、私は断り続けていた。だけど、それ以上の拒否は特にはせず、今日もこうして雑渡さんは一人で唐揚げ弁当を口にしていた。
雑渡さん、という響きは不思議と懐かしく感じ、胸がきゅうっと苦しくなる。会って間もない人なのに、おかしな話だと自分でも思った。だけど、雑渡さんと過ごす時間は嫌な気分にはならない。むしろ、心地よく感じた。一緒にいると楽しくて、たくさん話がしたくなってしまう。雑渡さんはいつも笑顔で聞いてくれたし、時々私を馬鹿にするように笑った。私が怒ると雑渡さんは本当に嬉しそうに笑うものだから、どうしても雑渡さんのペースに乗せられてしまう。
そうだ、と言って雑渡さんはコンビニの袋を漁った。


「こんな物を今日は買ってみた」

「わぁっ」

「今は甘いもの、好きなんでしょ?私は不思議と今は嫌いなんだけどね。可笑しなもので、立場が逆転してしまったね」

「何の話だかよく分かりませんが、いただきます」

「どうぞ」


雑渡さんがコンビニでスイーツを買ってきてくれた。嬉しくて思わず笑顔で受け取り、もくもくと新発売のプリンを食べる。トロトロのプリンは一口食べると甘くて、口の中でとろけた。あまりの美味しさに一瞬で食べ終わり、改めてお礼を言おうとしたら雑渡さんが穏やかな顔で私をじっと見ていた。まるで可愛い、愛しいと言わんばかりの笑顔を携えて。
雑渡さんは私を好きだと言った。そして、それを表情や態度で現してきてくれる。決して抱き締めたりだとか、キスしてきたりだとか、そんな行動は取らず、ただただ微笑みかけてきてくれた。それが凄く嬉しかったし、凄くドキドキした。


「な、何…っ」

「いや、相変わらず美味しそうに食べるなと思って」

「だって美味しいもの」

「そう。それは、よかったね」

「むぅ…」


雑渡さんがあまりにも嬉しそうに笑うものだから思わず顔を反らした。この人は私をどうしようというのだろうか。こんな風にいつも誰かを甘やかして、身体を許した途端に捨てていたのだろうか。何人にも同じように笑い掛け、優しく接していたのだろうか。そう思うと、ズキッと胸が痛んだ。
私みたいな子供が考えていることなんて雑渡さんのような大人は読み取ってしまうかもしれない。だとすれば、私の気持ちは筒抜けなのだろうか。雑渡さんのことが気になっていると、そう読み取られることが嫌で、慌てて両手を合わせた。


「お、美味しかったです」

「そう」

「あの、雑渡さんはいつまで私に付き纏うつもりですか?」

「随分と棘のある言い方だねぇ」

「だって、毎日…」

「迷惑?」

「当たり前です」

「じゃあ、私なんか部屋に入れなきゃいいのに」

「そ、それは…っ」

「世の中物騒なんだから。ましてや、男を。そう簡単に男を部屋に入れたりなんかしたら駄目だからね?」

「いや、あなたが一番危険なんですけど?」

「あぁ、確かに」


特に否定もせず雑渡さんは平然としていた。この人は本当に頭がおかしいのかもしれないと思った。自分が危険なんだと言われて、肯定することなんてあるのだろうか。いや、普通はないような気がする。少なくとも、私なら怒るもの。
ぐびぐびとビールを飲み干し、雑渡さんはベランダへと向かった。煙草を吸うつもりなのだろう。雑渡さんは自分の部屋では灰皿を使って煙草を吸っていたけど、私の部屋では携帯灰皿を使ってベランダで吸っていた。春だとはいえ、まだ4月だ。こんな田舎町では4月はまだ寒い。私は雑渡さんがこうも毎日煙草を吸うのなら、と用意した灰皿を差し出した。


「…まさか、わざわざ買ったの?」

「まぁ、はい」

「そう。優しいね、相変わらず」

「ふ、深い意味は…」

「うん。ありがとう」

「うー…」


恥ずかしくて、雑渡さんの顔を見ることができなかった。きっと、笑っている。それも、凄く嬉しそうに。
実は私は雑渡さんが来ることを心待ちにしている。本当は迷惑じゃない。だって、私は雑渡のことを好きになってしまったから。だけど、決して口にしてはいけない気がした。私が好きなんて言ったら雑渡さんは離れていってしまう。そんな気がしたからだ。だけど、いつまでもこんな関係を続けるわけにはいかない。
八方塞がりとはこういう時のためにある言葉なのかもしれない。そんな、どうでもいいことを考えていると雑渡さんは静かな声で言った。その声色は少し緊張している気がした。


「なまえ」

「はい?」

「明日、出掛けようか」

「いや、明日もちょっと…」

「何か予定でもあるの?」

「いえ、そういうわけではないんですけど…」

「そう。じゃあ、決まり」

「え、いや、ちょっと。勝手に決めないで下さいよ」

「だって、もう予約してしまったし?」

「はい?」

「いいじゃない。たまには付き合ってよ」


もう、本当に強引な人。そうやって私の心をかき乱しているくせに、あなたは大人な態度をあくまでも崩さないんですよね。雑渡さんに踊らされているようで、凄く悔しい。
煙草を消して、10時に迎えに行くよ、なんて言って雑渡さんは帰っていった。私は鏡の前で何時間も服を選んだ。悔しいけど、明日が楽しみで仕方がない。窓を開けると、夜空には星が出ていた。きっと、明日はいい天気になるだろう。


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