05


予告通り10時に迎えに来た雑渡さんの雰囲気がいつもと異なっていた。初めて会った時は部屋着、それからはスーツ姿しか見ていなかったから、私服は何だか特別な気持ちになった。さらに、髪のセットもいつもと違う。ちゃんと整えてはあるけど、ラフな雰囲気にまとめてあった。率直な感想を言えば、かっこいい。物凄くかっこいい。
私が一人ドキドキしていると雑渡さんは落ち着いた様子で行こうか、と言った。あまりにも平然としているから、一人で浮かれて馬鹿みたいだなぁと少し恥ずかしくなる。
外に出ると一台の黒い車が停まっていた。所謂、高級車だ。


「乗って」

「えっ…これ、雑渡さんの車ですか!?」

「うん」

「ひぇ…っ」


雑渡さんはタソガレドキ社で課長をしていると言っていた。だから、きっとお給料がいいんだろうなぁとは思っていた。だけど、国産メーカーの高級車を買えるほどだとは思っていなかった。私は車に詳しくないけど、この車は一千万はすると耳にしたことがある。
思い返せば、雑渡さんのビジネスバッグはブランド品だ。スーツもかなり上質な物だし、きっとたくさん稼いでいるのだろう。そして、お洒落なのだろう。そう思った。


「今日のワンピース、可愛いね。よく似合っている」

「あ、ありがとうございます…」

「そんな緊張しないでよ。別に取って食ったりしないから」

「別に緊張なんかしていません」

「ふーん?なら、いいけど」


くすくすと雑渡さんは笑いながら車を走らせた。対応の一つ一つが雑渡さんは大人だ。いつも余裕があって、飄々としている。そのスマートな動きにいつも私はドキドキしてしまう。だけど、それと同時に慣れているんだなぁと嫉妬してしまうし、私とは釣り合わないなぁと思ってしまう。雑渡さんにはもっと素敵な大人の女性の方が絶対に似合う。私のような恋も知らない子供では雑渡さんは退屈ではないだろうか。つい、そう思ってしまう。
どうして雑渡さんは私なんかに付き纏うんだろう。物珍しいからなのか、隣に住んでいて都合がいいからなのか、はたまた、雑渡さんの言う前世の記憶があるからなのか。どの理由でも嫌だなぁと思ってしまった。私自身を心から好きでいてくれないと嫌だ。そんな欲張りなことを思ってしまうほど私は雑渡さんのことが好きなのかと思うと、似合わないと自分を卑下しているのに欲張りだなぁと情けなくなる。だけど、初めて付き合うなら雑渡さんがいい。いや、初めてどころか、ずっと雑渡さんとこうして過ごしたい。私はそう思うようになっていた。とても恥ずかしくて言えないけど。
雑渡さんに連れて行かれたのは予約が取れないことで有名なイタリアンだった。地方局とはいえ、テレビでも何度も取り上げられている。予想していたよりもお洒落で、予想していたよりもずっと美味しかった。食後のデザートまで美味しいのだから、予約が取れないというのも納得してしまう。


「よく予約が取れましたね」

「まぁ、仕事で関わりがあるから」

「お仕事で?」

「ここ、うちが出資してるんだよ」

「えっ」

「話を纏めるの、それなりに苦労したんだけどね。だけど、なまえが喜んでくれたならようやくあの苦労が報われた」


雑渡さんはそう言って笑いながら珈琲を口にした。
タソガレドキ社はこんな田舎町とはいえ、かなり大きい会社だ。それこそ、全国区に子会社がある。雑渡さんって私が思うよりもずっと凄い人なのではないだろうか。友達に雑渡さんのことを相談したら羨ましがられた理由が分かった。


「さて。次は映画にでも行こうか」

「まさか、映画館も持ってるんですか?」

「いや、流石にそこまでは。ただ、実は今、社長がショッピングモールを欲しがっていて困ってる。規模が大き過ぎて話を持っていくのは骨が折れるから全力で止めているところ」


雑渡さんは溜め息を吐いた。本当に困ったような顔をして。
凄い。凄すぎる。困っていることの規模が違う。私が想像もつかないような仕事をしているのであろうことが伺えた。だから、雑渡さんはブランド品や高級車を買えるのだろう。それはお金をたくさん持っていることも納得だ。
雑渡さんにご馳走になってしまい、店を出る。幾らだったのかは分からない。既にお会計は済んでいたから。ドラマのような展開に私はますます大人だなぁと思うしかなかった。


「あの、ご馳走様でした…す、すみません」

「いいよ、そんなこと気にしないで」

「雑渡さんて凄い人だったんですね」

「うん?」

「お金持ちなんだなぁ、と」

「さぁ、どうかな」

「そんな謙遜、要りませんよ」


雑渡さんが一流企業に勤めていて、バリバリ仕事をして、お金をたくさん稼いでいる。それは男性からしたらステータスなのではないだろうか。なのに、それを自慢するわけでもなく謙遜するなんて。私なら全面に主張するくらい自慢してしまいそう。車に乗りながらそんなことを考えていると、運転席に座った雑渡さんは少し寂しそうな顔をした。


「なまえにそう言ってもらえるなら、よかった」

「あの…」

「私の経歴や年収でなまえの心が動くのなら、やり甲斐もあるよ。あ、私の年収知りたい?といっても、まぁ、なまえの気を引ける金額ではないかもしれないけど。昨年は確か…」

「いえ!教えて頂かなくて結構です!」

「そ?興味あるんじゃないの?」


ふ、と雑渡さんは笑った。雑渡さんはいつも通り笑っているつもりなのかもしれない。だけど、私には凄く悲しそうな顔に見えた。どうして雑渡さんはこんな自嘲したような言い方をするのだろう。
私は経歴や年収で雑渡さんを好きになったわけではない。凄いとは確かに思う。だけど、私が言いたいのは…


「私は雑渡さんがたくさん努力したことが凄いと言ったんです。今の雑渡さんがあるのは、雑渡さんがたくさん努力したからでしょ?だから、凄いと言ったんですよ」

「…努力?」

「お仕事、頑張ってるんだなぁと思っただけです」


というか、私が経歴や年収で惹かれると思われたのは心外だ。別に雑渡さんがお金を稼いでいようがいなかろうが、雑渡さんそのものの価値は変わらないでしょう。私がそう言うと、雑渡さんは呆然とした後、笑い出した。


「そう。なまえはそう考えるんだ」

「な、何…当たり前の事を言っただけですけど?」

「いや、そうか…うん。ねぇ、なまえ」

「何ですか」

「私のこと、好きになってよ」


穏やかな笑みを浮かべて雑渡さんは言った。そんな風に言うのはずるくはないだろうか。ドキドキしてしまうのに。
雑渡さんは私に向かって腕を伸ばしてきた。そっと髪を撫でられ、優しく抱き寄せられる。こんな風に抱き締められることは初めて会った時ぶりだ。そして、やはり初めて会った時ぶりに耳元で囁かれる。


「お願い。私にはなまえしかいない」

「ざ、雑渡さん…」

「なまえを好きになってよかった。会えて本当によかった」


このまま私も、と本当は言いたかった。そう言って背中に腕を回したかった。言ってもいいだろうか、私もあなたが好きだと、そう言ってもいいだろうか。
私が必死になけなしの勇気を振り絞っていると、雑渡さんはスッと離れていった。抱き締めたりして悪かったね、と言って。もう雑渡さんは寂しそうでも悲しそうでもなかった。本当に嬉しそうで、そして本当に穏やかな顔をしていた。何かから解放されたようにも見える。
それから車で映画を見に行って、晩御飯までご馳走になってしまい、家に帰ってきた。緊張したけど、凄く楽しかった。それに、雑渡さんの色んな表情を見ることができた。
雑渡さんはどうしてあの時寂しそうにしたのだろうか。もしかして、お金目当てで誰かに近寄ってこられ、傷付いてきたことがあるのだろうか。だとすれば、その人は雑渡さんのことが全然分かっていないんだなと思った。雑渡さんの魅力は別のところにある。少なくとも、私はそう思っている。
いつか好きだと言える日が来るのかな。勇気を振り絞って私から告白できる日が来たとするなら、その時は伝えようと思った。私が雑渡さんのどこを好きになったのかを。


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