06


遂に来てしまった。月に一度の忌まわしき一週間。月末処理の時間が。毎月毎月こんなことをやらされる必要があるのだろうかと新人の頃は思ったが、何年もやっていると意味があることだと分かる。これをやらないと決算期に死ぬ。だから、これは意味のあることなのだと部下を励ましながら必死にパソコンを叩いた。
毎月、月末に売り上げをまとめなければいけない。取り引きをしている会社が月に百をゆうに超えるため、膨大な労力がいる。まず早く家に帰ることはできない。帳簿を持ち出すわけにはいかないからだ。だが、会社で打ち込んだ金額に誤りがないかを会社で調べていては本当に一週間泊まり込みになってしまうため、家でも仕事をしなければいけない。これを通常業務と並行してやれというのだから、無茶にもほどがあると思う。おかげで退職する人間が多い。これでブラック企業だと社内で言われていないのはそれなりの給料が出ているからだろう。私は少ないと思っているけど。いつか過労死するのではないかとすら思っているくらい働いているのだから、もっと貰えてもいいのではないだろうか。まぁ、別に私は大した使い道もないから金よりも休みが欲しいのだけど。
日付が変わってからしか帰宅出来ないから、なまえに会うことが出来ない。会いたいし、声も聞きたい。今すぐにでも抱き締めたい。こうなることは予想出来ていたから、月末までになまえと付き合いたいと思っていた。だが、残念ながら私は未だになまえを落とすことが出来ていない。
それでも、この間のデートは楽しかった。それに、凄く嬉しかった。なまえが肩書きではなく、ちゃんと私の内面を認めてくれたから。本当に本当に嬉しかった。
私は今まで顔や肩書きに惹かれたと言わんばかりの態度の女しか知らなかった。だから、なまえもそうであったとしても仕方がないと思っていた。もう誰に対しても期待なんてしていなかった。私は薄っぺらな人間なのだから。だけど、それを実際突き付けられると寂しいものだと思った。所詮私は見かけしか評価されないと思うと、中身など必要ないと言われているようで辛かった。ましてや、好きな子から。
だけど、なまえは違った。努力した結果が今の私だなんて初めて言われた。仕事を頑張っているから凄いなんて、そんなことを言われるとは思わなかった。この子に好かれたいと心から思った。なまえと出会うことが出来て本当によかったと思った。こうして今、会うことが出来ていなくても、私の心は満たされていた。あの一言だけで私はこの地獄のような激務を乗り切れる気がする。それだけの力を与えてくれた。
今日も家に日付が変わってから帰宅する。外食する時間どころかコンビニに寄る時間さえも惜しくて、ここ最近は夕食を摂っていない。今日中に終わらせないといけないことが山のようにある。どうせあと何時間かしたら出勤しないといけないのだ、今から食事なんて必要がない。こんな生活をしているのだから、当然体調は悪い。独身組は大体月初めは体調を崩す。私も例外ではない。なまえと結婚したいなぁと思いながら鍵を開けると、隣の部屋のドアが勢い良く開いた。あまりにも突然のことで驚いて隣を見ると、なまえがいた。


「お、おかえりなさい…」

「あぁ、ただいま。えっ、こんな時間に出掛けるの?」

「…雑渡さん、顔色悪くないですか?」

「そう?こんなものでしょ」

「悪いですよ!ちゃんとご飯食べていますか?」

「まぁ、そこそこ?」

「嘘。絶対に食べてないでしょ!」


もう…と言ってなまえは紙袋を差し出してきた。


「何これ」

「おにぎりとおかずです。大した物ではありませんが」

「えっ。これ、わざわざ私のために作ってくれたの?」

「雑渡さんが会いに来ないので、きっと仕事が忙しいんだろうなぁと思って。要らないなら捨てて下さい」

「いや、食べるよ。ありがと…」

「頑張り過ぎないで下さいね?」


そう言ってなまえは部屋へと戻っていった。
残された私は自分の部屋で紙袋を開ける。中にはおにぎりが二つと玉子焼き、トマトと唐揚げが入っていた。誰かの手料理なんて生まれて初めて食べるかもしれない。
口にすると、あまりにも美味しくて思わず二度見する。こんな美味しい唐揚げを初めて食べた。玉子焼きも甘い味付けではあったけど、凄く美味しい。そして、おにぎりの中身は二つとも違っていた。鮭と梅干し。おまけに鮭はフレークではなく、身が大きかったから家で焼いてくれた物だと分かる。
あまりの美味しさに一瞬で食べ終わってしまう。名残惜しくて紙袋を覗くとメモが入っていた。お仕事が落ち着いたら家にご飯を食べに来て下さい、と可愛い字で書かれている。
どうして、どうしてなまえはこんなことをするのだろうか。こんなことをされてしまったら、私はますますなまえを好きになってしまうのに。どうしよう、嬉しくて今日は眠れないかもしれない。明日倒れたらなまえのせいだ。
私はメモを手帳に大切に挟んだ。辛くなったらこれを見れば乗り切れる気がする。少なくとも、今月を乗り切れることは確実だ。
締め日まであと二日。土曜はきっと一日泥のように眠ってしまうだろうから、日曜になまえとまた出掛けよう。そして夕飯をなまえに作ってもらって、たくさんお礼を言おう。どれ程私がなまえを愛しているかと共に。


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