09
「えっ、何これ。美味しい」
「よかったです」
「料理学校でも行っているの?」
「まさか」
「凄いね。本当に美味しい」
ドライブ後、あらかじめ仕込んでおいたハンバーグを焼いただけなのに。付け合わせは本を参考にさせてもらったけど。
雑渡さんは美味しい美味しいと言って食べてくれた。それがお世辞ではないことは表情を見たら分かる。嬉しくて、だけど、くすぐったくなる表情。思わず目を逸らしてしまう。
「そういえば、金曜は寝ちゃってごめん」
「いえ。それより、ちゃんとベッドで寝ました?」
「寝たよ。寒くて目が覚めてからだけど」
「やっぱり。風邪ひいてませんか?」
「今のところ大丈夫。今後は分からないけど」
「どうしてです?」
「何ヶ月かに一度体調が悪くなるんだよね」
食後に淹れた珈琲を口にしながら雑渡さんは言った。体調はそれは悪くなるだろう。あまり寝れていなかったようだし、食事も食べていなさそうだったから。雑渡さんが倒れてしまったら嫌だ。そんな気持ちから私は提案してみた。
月末は私がご飯を作りましょうか、と。そう言うと雑渡さんは驚いたような顔をした後、嬉しそうに笑った。
「それなら、毎日作ってよ」
「ま、毎日ですか?」
「なまえのご飯なら毎日食べたいもの」
雑渡さんは嬉しそうに笑いながら言った。確かに、月末以外は毎日会っていた。だから、毎日コンビニのお弁当を食べるくらいなら、こうして私が作った方が健康にはよさそう。
だけど、毎日私がご飯を作って一緒に食べるなんて、まるで付き合っているみたい。そんな彼女のようなことを雑渡さんにしてもいいのだろうか。だとすれば、私が好きだと伝える方が先の方がいい気がした。その方が自然だ。
どう伝えたらいいのか私がうんうんと悩んでいると、雑渡さんがテレビボードの上の花に気が付いたようで尋ねてきた。
「あれ、どうしたの?」
「友達に誕生日に貰ったんです」
「へぇ…あれ、誕生日っていつ?」
「先週の火曜日です」
「えっ。もう過ぎているじゃない」
「はい。19歳になりました」
私が笑うと雑渡さんはごめん、と謝ってきた。別に謝られるようなことじゃない。雑渡さんに誕生日なんて伝えていなかったし、雑渡さんは仕事が凄く忙しかったのだから。
だけど、もしも仕事が忙しくなかったとしても私は雑渡さんに誕生日のお祝いをしてもらいたい、とはとても言えなかっただろう。そんな我が儘を言う子だと雑渡さんに思われなくなかったから。好きな人には良く思われたい。少なくとも、子供っぽいことを言って困らせたくはなかったし、大人の雑渡さんに子供だとは思われたくなかった。
「じゃあ、来年は一緒に過ごそうか」
「雑渡さん、来年の月末も忙しいんでしょ?」
「それに合わせて動くから平気だよ」
「別にいいですよ、そんな無理をしなくても」
仕事の忙しい雑渡さんの手を煩わせたくはなかった。来年の誕生日も雑渡さんは月末で忙しいことは確実なのだから。朝早くから仕事に行き、夜遅くに帰ってくる。帰ってからも仕事をしなければいけない。食事を摂る時間や寝る時間を削ってまで必死に仕事を頑張っている雑渡さんの時間をこれ以上私のために割かせるわけにはいかない。そう思った。
それに、誕生日なら友達に祝ってもらえたから寂しくはなかった。大学に入ってから出来た友達なのに、わざわざ花束まで買いに行ってくれるような人。ぶっきらぼうな渡され方だったけど、赤い顔をしていて、ちょっと可愛かったなぁ。
私が思い出してくすくすと笑っていると、隣に座っていた雑渡さんの雰囲気が急に変わった気がした。疑問に思い、雑渡さんの顔を見ると、とても冷たい目をしている。
「あの、雑渡さん…?」
「一つ聞いてもいいかな」
「はい。何ですか?」
「これ、男から贈られた物だね?」
「えっ。そうですけど…」
どうして分かったんだろう。別に私からは花束を貰ったことしか言っていないのに。疑問が顔に出ていたのだろうか、雑渡さんはまるで私を嘲笑うかのような顔をして言った。
「なまえの話し方を見ていれば分かるよ」
「…そんなに私、分かりやすいですか?」
「どうかな。少なくとも、その男になまえが好意を抱いていることは伝わってきた。そう、私よりもその男を求めるの」
「ち、違います。それに私は文次郎に好意なんて…」
「…文次郎?まさか、潮江文次郎のこと?」
「えっ。雑渡さん、文次郎のことを知っているんですか?」
「あぁ、そうか。また彼なのか…」
断ち切れないものだね、と言って雑渡さんは溜め息を吐いた。雑渡さんは文次郎のことを知っているってことなのかな。というか、またって何だろう。そして、別に私は文次郎に好意なんて抱いていない。文次郎は友達だ。仲のいい友達の一人で、私が恋をしている人ではない。
どうしよう。雑渡さん、誤解している。訂正しないといけない。私の好きな人は雑渡さんだって、そう言わないと。
「あの、雑渡さん。私は…」
「なまえ」
「な、何ですか?」
「もう、疲れた。私にはもう無理だ」
「む、無理って…」
どうせ私は何ら魅力のある男ではない、と雑渡さんは吐き捨てるように言った。どうして。どうして雑渡さんは自分のことをそんな風に思うのだろう。この前のデートの時も思ったけど、雑渡さんは自分自身にまるで価値がないかのような言い方をする。そんなことないのに。こんなにも素敵な人は他にはいないと、そう思っているのに。
雑渡さんの腕を掴むと、雑渡さんはそれを払い除けた。
「私には恋愛なんて、初めから無理な話だった」
「そんなこと…」
「初めからこうしておけばよかったんだ」
「なに、ん…っ」
雑渡さんは私の唇を塞いできた。頭を押さえられ、逃げ場をなくした私は抵抗しようと必死になる。だけど、もう片方の手で抱き締められ、そのまま唇を喰まれ続ける。次第にキスはどんどん深くなっていく。舌を絡められ、じわりと煙草の匂いが口の中に広がった。
酷い。こんなの、酷過ぎる。初めてのキスは彼氏としたかったのに。優しくされたかったのに。なのに、こんな冷たい顔をした人に奪われてしまった。例えそれが好きな人だったとしても、私はこんなキスを望んでいたわけではない。こんな一方的なキスではなくて、もっと愛情を感じる優しいキスを雑渡さんとしたかった。悲しかったし、やっぱり私は雑渡さんに遊ばれていたのかと思うと悔しくて涙が出た。
「ふ…そう。泣くほど私のことが嫌いなの」
「ひ、酷い…っ」
「そうだね。私は昔からそういう男だ。だから、なまえに好きになんてなってもらえなくたって、もう、それでいい」
「私は、私は雑渡さんのことが…」
「だけど、なまえは私のものだ。誰にも渡しはしない」
そう言って冷たく笑った雑渡さんはまたキスしてきた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。ついさっきまで楽しく過ごしていたはずなのに。雑渡さんのされるがままにしかなることの出来ない私は悲しみに呑まれていった。
[*前] | [次#]
小説一覧 | 3103へもどる