10


私は変わりたかった。もう二度となまえを失いたくなくて、変わりたいと思った。今度こそ大切にしたかった。今度こそ幸せにしたかった。今度こそ、二人で生きていきたかった。
なまえのことが本当に好きだった。優しくて、純粋で、私なんかのことを気遣ってくれるなまえに好きになってもらいたいと、本気で思った。過去のことなんて全て忘れて、今を生きていきたいと思うほど、なまえといる時間は楽しくて、嬉しくて、幸せだった。この子と一緒にいたら私は変われる。きっと、幸せになれる。そう思った。
だけど、それは間違いだった。好意を見せてくれたかと思えば離れていく。なのに、決して突き放すことはされない。なまえが何を考えているのか私には分からなかった。分かることは、私がなまえを心から愛しいと感じていること。ただそれだけだった。焦りだけが積もっていった。だけど、こうして少しずつ時間を共有すれば私のことをいつか好きになってくれるのではないか。そんな淡い期待を持っていた。
残念ながら現実はそう甘くはなかったようだ。私がこうしてなまえと出会ったように、潮江くんもなまえと出会ってしまった。そして、残酷なことに潮江くんはやはりなまえに惹かれているのだろう。また君となまえを巡って争わなければならない。もし潮江くんと一戦交えることになったらなまえはまた私の前からいなくなってしまうのだろうか。ならば、もうなまえを監禁するしかない。昔みたく。だけど、もう昔のように逃げられることはないよう厳重に管理しなければいけない。何か弱みを握らないといけないだろう。そうだ、子供をもうけよう。何人も作って、私から逃げられないようにしよう。あぁ、そうだ、そうしよう。初めからこうしておけばよかったんだ。心を得ようとしたこと自体が間違いだった。女からどころか、親からすら愛情を向けられなかった人間がなまえから愛してもらえるなんて、そんな都合のいいことを望んだことが間違いだった。どうせ私は誰からも愛されはしない。私のような人間を好きになる女なんていないんだ。
なまえのブラウスに手を掛ける。当然、なまえは悲鳴をあげた。涙で濡れた顔が何とも痛々しく、だけど、この表情すら誰にも拝ませたくなくて首筋に喰らいつく。大丈夫、なまえが私をどう思おうが、私は生涯なまえだけしか見ないから。お前はこれからずっと私という籠の中で生きるんだ。これでいい。これ以外に方法はない。そう思っていると、背後から凄まじい殺気を感じた。やめろ、と声が聞こえた気がして振り返る。当然、誰もいなかった。思わず手を緩めたら、なまえは慌てたように離れていこうとした。


「や、やだ…っ」

「悪いね、逃しはしないから」

「こんなの嫌だ、雑渡さん…」

「愚かだね。お前、まだ私に期待しているの?」

「私は遊びなんて嫌…」

「遊び?私のこの想いを遊びだと、そう言いたいんだ?」


だとしたら、どれほどよかっただろうか。なまえの甲斐甲斐しいほどの行為や言葉、何気ない笑顔で一喜一憂し、こうして傷付けて罪悪感に苛まれることがどれほど苦しいか分からないのだろうか。何も感じない女遊びでは決して得られなかった幸せの代償に、私がこんなにも苦しんでいることをなまえは微塵も理解できないのだろうか。嫌われることを恐れ、それでも側にいたくて必死になっているというのに、それを遊びという言葉で片付けてしまうのか。
だとすれば、何て愚かなのだろうか。何て残酷な子なのだろうか。それでも、この一ヶ月で積もりに積もった想いはそう簡単には消えてはいってくれない。この焦がれる想いを打ち消してはくれない。本当になまえは恐ろしい女だ。


「まぁ、いい。これから時間を掛けてゆっくりと教えてあげよう。いや、例え理解されなくても、もういい。だけど、これだけは忘れるな。なまえは私の女だ。生涯、私のものだ」

「…こんなことをしても、誰も幸せにはなれませんよ!?」

「そうだね、知っている」

「雑渡さんって案外、馬鹿なんですね…」

「へぇ。随分と生意気な口だね」


そんなことをよくこの状況で言えたものだ。褒めてやろう。
無理矢理キスをして、黙らせる。こんな生意気な口なんて要らない。もう、どうでもいい。どうせ私はなまえに好かれていない。いや、今を持って確実に嫌われた。それならもう、どこまでも嫌われたとしても同じことだ。この胸の痛みなんてなまえを誰かに盗られるくらいなら大したことはない。
そう思っていると、首元に冷たい物が当たった感触がした。鳥肌が立つ程の殺気と共に。恐る恐る首元を見ると刀が当たっている。背後からいい加減にしろ、と声がした。その声は自分と全く同じものだった。そんなはずはない、だって、もう何百年も前に死んでいて、そして私はこうして生まれ変わったはず。なのに、どうして背後にこうもはっきりと感じるのだろうか。いないはずの自分が背後にいる。刀を持って。
私が動揺していると、なまえは私の頬を叩いた。


「私、雑渡さんのことが好きでした!」

「…へぇ、この期に及んで随分と笑えない冗談を言う」

「本当です!雑渡さんのことが好きでした!なのに、こんな風にされて…っ、なのに、雑渡さんのことを嫌いになんてなれなくて、もう、私はどうしたらいいんですか…?」


そう言ってなまえはボロボロと涙を流した。
真っ暗だった視界が少しずつ色を取り戻していく。本当に?本当になまえは私のことが好きなの?こんなにも酷いことをしている私を?いや、そんなはずはない。苦し紛れの嘘だ。私ならこんなことをされたら許せない。ましてや、好きだなんて絶対に思えない。なのに、どうしても期待してしまう。なまえの言葉に偽りはないと、そう信じたくなる。


「…本当に?」

「本当です!」

「………」

「私は雑渡さんのことが本気で好きでした。雑渡さんなら私のことを愛してくれると、そう信じていました!」

「…愛しているよ」

「これは愛している人にすることですか!?」


そうだね、違うだろうね。愛しているのなら大切にするべきだ。分かっている。だけど、じゃあ私はどうしたらいい。
変わりたいのに変われない。私は今も昔も幼稚で、嫉妬深く、すぐに感情的になって過ちを犯してしまう。なまえを失いたくないのに突き放すようなことを言っては傷付け、泣かせては後悔する。なのに、変われない。
なまえを抱き締める。己のあまりの愚かさを悔やんだ。


「ごめん。ごめんね…」

「もう、嫌…」

「お願い。嫌いにならないで。いなく、ならないで…」


心が要らないなんて嘘だ。なまえに愛されたい。必要とされたい。ずっと側にいて欲しい。ずっと笑っていて欲しい。
あぁ、私は本当に弱い。強くなりたいと思っていたのに、大人になりたいと思っていたのに。なのに、こんな風にしかなまえを愛せない。だけど、どうか私を愛してはくれないだろうか。どうか、側にいてはくれないだろうか。他の誰でもなく、私のために笑ってはくれないだろうか。そんなことを思いながら、抱き締めていた腕の力を強めた。


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