雑渡さんと一緒! 57


雑渡さんが熱を出したらしい。体調がかなり悪そうだけど、帰ろうとしないから迎えに来てはもらえないだろうか。そう言われて大きなオフィスビルに来た。受け付けで営業部に行きたいと言うとジロジロと見られ、誰に会いに来たのかと聞かれたから雑渡さんだと答えたら周囲がざわついたのがはっきりと分かった。ジロジロと見られているなんてものではないくらい、はっきりと視線を感じた。あまりの視線に恐怖を感じていると、40代くらいの男性に話し掛けられた。


「山本です。課長を迎えに来てくださったんですね」

「あ、はい…」

「ありがとう。こちらです」


優しく笑われ、山本さんという方に案内されて13階に連れて行かれた。この人はどうして初対面なのに私が雑渡さんの迎えだと分かったのだろうかと疑問に思ったけど、雑渡さんを一目見てそんな疑問は一瞬で吹き飛んだ。
雑渡さんは見るからに体調が悪そうで、傾きながらパソコンを睨んでいた。どこからどう見てもつらそう。顔色も悪い。


「わぁ、つらそう…」

「ええ。だだ、帰ろうとされなくて」

「あんな状態でもですか!?」

「月末ですので…」

「それにしたって…」

「あの方はご自分が休むことで我々に負担が掛かると思っておられるのでしょうね。元々、部下思いな方ですので」

「あぁ…」


なんか、雑渡さんらしいなと思った。自分が休むことで周りに迷惑を掛けるくらいなら自分が頑張ろうとしているのだろう。部下の人たちに負担を掛けるくらいなら自分が無理をした方がいいと思っているのだろう。本当に馬鹿な人。
雑渡さんに話し掛けたけど、目が虚ろだった。私を認識はしているようだったけど、実際には見えていないかのような顔をしている。もしかして、夢だと思っているのだろうか。


「あの、山本さん。社長さんに会えないでしょうか」

「社長にですか?」

「ちょっとお話しをしたくて…」

「はぁ。どのような」

「お願いします。会わせて下さい」


山本さんに強く頼んでみると、社長室に通された。広い部屋に大きなテーブルとソファ、そして、デスクに社長さんと思われる人が座っていた。私を見るなり楽しそうに笑った。


「ほう。お前が雑渡の女か」

「はじめまして。突然、すみません」

「よい。それで、何の用だ」

「あのっ…月末処理の締め切りを延ばしてはもらえませんか」


私がそう言うと、側に控えてくれていた山本さんがギョッとした顔をした。こんなことを部外者の私が言うのは失礼かもしれない。だけど、どうしてもお願いしたい。
山本さんは私の前に立ち、止めに入ろうとした。社長さんに頭を下げて謝っている。だけど私は言葉を続けた。


「雑渡さんが風邪をひきました。今にも倒れそうです」

「雑渡が?」

「とても仕事が出来る状態ではありません」

「それで?」

「今日はもう連れて帰ります。しばらくお休みを頂くかもしれません。なので、締め切りを伸ばしてあげて下さい」

「雑渡には部下が山のようにいる。任せればいい」

「それはまさか本気で言ってるんですか?だとしたら、社長さんは部下を全然見ていないということになりますね」

「…なに?」

「それを雑渡さんが出来ると思っているんですか?」


私にはそうは思えない。雑渡さんなら這ってでも仕事に行くと言うだろう。今日も帰ろうとしないかもしれない。
私は頭を下げた。私がしていることは世間知らずなことだろう。きっと、山本さんは呆れているだろうし、雑渡さんが知ったら怒るかもしれない。だけど、あのまま雑渡さんを働かせるわけにはいかない。ただでさえ月末は寝る時間も少ない。よくなるはずがないのに、明日もきっとあのまま出勤しようとするだろう。それだけはどうしても避けたかった。


「確かに雑渡なら這ってでも来るだろう」

「はい」

「儂はそんな雑渡が嫌いではない、が」

「…が?」

「ここ最近の雑渡の方が好きでな。そうか、お前の影響か」


社長さんは楽しそうに笑った。そして、立ち上がって部屋から出て行った。山本さんも慌てて出ていき、私も後を追うように走った。三人でエレベーターに乗り、13階に戻る。社長さんが営業部のドアを開けると、中にいた人はみんな戦々恐々としていた。そこで初めて気が付く。もしかして、この社長さんは怖い人だったのかもしれない、と。
もう後には退けない。私が怒られるのはいいとして、雑渡さんが怒られたらどうしようかとドキドキしていると、社長さんは月末処理の締め切りを延ばすことを高らかに宣言した。後ろから歓声があがる。山本さんは驚いたような顔をしていたし、雑渡さんは何を言っているのかよく理解できていなさそうな顔をしていた。
すぐに社長さんは出て行ったので、私は慌てて後を追った。


「あの、ありがとうございます!」

「一つ条件がある」

「はい。何でしょうか」

「雑渡の側を離れるな。我が社の存続に関わる」

「存続です…か?」

「忘れるな。雑渡を変えたのは紛れもなくお前だ。逆に言えば、雑渡にとってお前の存在は大きくなり過ぎている。お前の挙動一つで雑渡の運命が変わるということを身に刻め」


そう言って社長さんは戻って行った。怒ってはいないようだったけど、よく分からないことを言われた。以前の雑渡さんをよく知らないから分からないけど、雑渡さんはそんなに変わったのだろうか。
営業部に戻ると、雑渡さんは山本さんと背の高い男性に抱えられ、引きずられていた。そのまま四人で1階に向かった。外には既にタクシーが停まっている。雑渡さんはぼんやりとしているけど、私と目が合うとふんわりと柔らかく笑い掛けてきた。その瞬間、周りから黄色い悲鳴が聞こえる。


「…なんか、雑渡さんてモテるんですね」

「ええ。それはもう」

「陣左!」

「いえ、知っているのでいいんです」


ただ、ここまでだとは思っていなかったというか。そして、その雑渡さんが付き合っているのが私だと知ってどう思ったのだろう。多分、何でお前がって思われただろう。どこからどう見ても私は幼い。このビルにいること自体が不釣り合いな程に。申し訳なくなってきて俯くと、山本さんが笑った。


「あなたは度胸がある」

「あ、その、失礼をしてしまいまして…」

「課長によくお似合いです。あなた方はよく似ている」

「そうでしょうか?」

「ええ。課長のこと、お願いします」


そう言って山本さんは雑渡さんをタクシーに乗せた。
病院が近付くにつれて雑渡さんがどんどん幼くなっていくのが分かる。そして、血圧が下がって失神したと看護師さんから聞き、脱水だからと点滴と解熱剤を落とされた。よく寝ている雑渡さんの顔は本当につらそうだった。
やらかしてしまったけど、とりあえず雑渡さんはお休みが貰えそうだ。インフルエンザでも感染症でもなかったし、しばらく安静にしていればよくなると言われて一安心だ。後は私が社長さんに失礼なことを言ってしまったことに対して雑渡さんに怒られるだけだ。言うなら元気のない時だろうか。それとも、回復してからの方がいいだろうか。何にしても、無事に休みと安息を勝ち取ることが出来てよかったと雑渡さんの寝顔を見ていて思った。例え雑渡さんに怒られようとも。


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