雑渡さんと一緒! 58


「えっ、じゃあ本当に締め日が延びたの?」

「はい。彼女のお陰です」

「彼女ってなまえのこと?」

「ええ。課長のことをよく理解しているようで安心しました」

「どういうこと?」

「それは本人に聞いて下さい」


帰宅して陣内に電話をすると、体調を心配された。お陰様で驚くほどよくなった。帰宅してしばらくするとまた熱が出てきたけど、昼間とは違って身体が軽い。
陣内に月末処理の締め切りが延びたこと、そしてなまえが何かしらの行動を起こしたことを伝えられた。ただ、その内容までは聞かされなかった。私の記憶が正しければ、なまえは社長と戻ってきた。ということは、社長に何かを言った可能性が高い。ただ、なまえが社長を言い負かすことが出来るのだろうか。あの人は厳しい方だ。妥協を許さない。そう簡単には折れないだろうし、私でさえもたまに恐怖を感じることがあるのだから、それに屈せずになまえが社長と対話したとは到底思えなかった。ましてや、締め日を延ばすなんて。
電話を切った私になまえはお粥を持ってきてくれた。


「食べられそうですか?」

「分かんない。お粥なんて初めて食べるから」

「そんなことあります?」

「あるから言っているの。いただきます」


風邪をひいても今まで出勤していた。食欲がなければ何も食べなかった。それが私の普通であったが故にお粥なんて口にしたこともない。する機会がないと言う方が正しいだろうか。こんな物を作ってくれる人なんていなかったのだから。
小さな土鍋を開けると本当にお粥が入っていた。あまりの味気ない見た目に率直に美味しくはなさそうだと思った。だが、一口食べてみて驚いた。美味しい。味気ない見た目とは違ってちゃんと味がするし、出汁の香りもする。ふわふわの卵がアクセントになっていて、普段でも食べたいとさえ感じた。なまえの作るご飯は本当に何でも美味しい。


「何ていうか、流石だね」

「はい?」

「普通に美味しい」

「それはよかったです」


なまえは笑いながらペットボトルを手渡してきた。経口補水液と書かれている。そういえば病院で飲め飲めと言われたな…と一口飲んでみて度肝を抜かれた。不味すぎる。
露骨に顔をしかめると、なまえは頑張ってと促してきた。


「また点滴はしたくないでしょ?」

「そうだけどさ…これ、やばいよ」

「どんな味なんですか?」

「飲んでみ?」

「はぁ…あー…これは凄いですね。効きそう」

「何に」

「脱水」

「分かるの?そんなこと」

「雰囲気的にってことです」

「はぁ、雰囲気ね…」


ほんのりと甘くて、ほんのりとしょっぱい水。こんな物を飲めとは酷な話だ。だが、水分の吸収がいいんだとか。ラベルには二日酔いにも効くと書かれているが、こんな物を飲んだら余計に体調が悪くなりそうだと思った。
食後に薬を手渡される。あまりの数に思わず目を見開いた。


「5、6…7粒!?えっ、無理なんだけど」

「粉がなくてよかったじゃないですか」

「粉なんて飲めないから、私」

「はいはい。頑張って下さい?」

「えぇー…」


絶対に身体に悪いであろう色をしたカプセルやら、大きな錠剤やらを睨む。そんなことをしたところで状況は何も変わらないから大人しく口にした。そのうちの一つが物凄く苦くて、吐きそうになった。これだから薬は嫌いなんだ。
食後に寝室で寝ることを促され、大人しく横になるとなまえは氷枕を持ってきてくれた。ひやっと首が冷やされて、気持ちがいい。熱を改めて測ると38.8℃もあった。


「もう寝て下さい。明日はお休みを頂けたみたいなので」

「何なら3日は来るなと言われたよ」

「よかったですね。ゆっくりと治して下さい」

「はぁー…退屈そうだな、その3日は」

「風邪のときは仕方がないです。ね?」


なまえはそう言って立ち上がった。あぁ、一人にされてしまう。何とも言えない寂しさというか、心細さが芽生えた。風邪のときは身体だけでなく心が弱るとよく聞くが、これがそうなのかと思った。一人になりたくない。こんなことを思ったのは生まれて初めてだった。だから、どうなまえにこの想いを説明したらいいのか分からなかった。
だが、なまえは私が何も言わなくてもそっと手を握ってくれた。髪を優しく撫でてくれ、優しく微笑んでくれた。


「雑渡さんが寝るまでこうしていますから、大丈夫ですよ」

「…本当?」

「はい。安心して寝て下さい」


ぎゅうっと胸が苦しくなった。この子は私が何も言わなくてもどうして分かってしまうのだろう。そして、どうして受け入れてくれるのだろうか。易々と私の心を締め付けてくる。
そういえば…となまえに社長と何を話したか聞くと、なまえはビクッと身体を震わせた。その反応に何かとんでもないことをしでかしたのだと分かってしまう。怖くて聞きたくはないけど、流石に知らないわけにもいかない。


「…ねぇ、何をしたの?」

「え、えへ…雑渡さんが元気になったらお話しします…」

「つまり、言いにくいことをしたんだね?」

「お、怒られる覚悟なら出来ていますから」

「え、私が怒るようなことをしたの?」

「…まぁ、元気になったらお話ししますので。そんなことよりも、今日はもう寝て下さい。余計な心配はしないで」


なまえは困ったように俯いた。待って、何をしたの?そんなことを言われたら余計に気になってしまうじゃない。
だけど、飲んだ薬が効いたのか、それとも体調が悪いからなのか。次第に眠くなってきた。目を開けていることがつらくて閉じると、あっという間に寝てしまった。
その日、ちょっと嫌な夢を見た。ちょっとというか、かなりというか。過去の夢だった。なまえが死ぬ夢。全てに絶望した、あの情景が信じられないほど鮮明に脳裏に映し出されていた。ハッと目を開けると隣にはなまえが寝ていた。可愛い顔で眠るなまえを抱き寄せると、なまえは目を覚ました。


「うーん…雑渡さん?」

「ごめんね、起こしてしまって」

「いいえ。あ、熱が下がりましたね。着替えましょうか」

「それより風呂に入りたい」

「それは熱が下がってからにしましょう」

「えぇ…」


風邪をひいたせいで風呂に入ることも制限されてしまうとは。こんなにもじっとりと嫌な汗をかいたというのに。
なまえは熱い蒸しタオルを持ってきてくれた。それで体を拭くように促される。新しい部屋着を渡され、そのまま着ようとしたら咎められた。疑問に思っていると、背中を拭いてくれた。その甲斐甲斐しさにまた胸が締め付けられた。


「ごめんね、こんなことまでさせて」

「風邪の時は仕方ないです。もっと甘えてもいいんですよ」

「…うん」


着替え終わったらなまえはまた経口補水液を持ってきた。うんざりしたけど、今度は文句を言わずに口にした。
私は過去になまえが病に伏せた時、こんな風には世話をしなかった。薬師を探すことに必死になって家にもあまりおらず、なまえを一人にすることが多かった。最期こそ共に過ごしたが、着替えどころか食事にも配慮など出来なかった。それどころか、こんな風に優しい言葉を掛けることさえしなかった。何と過去の自分は冷たい男だったのだろうか。
寝ましょう、と言ってまたなまえは私の手を握ってくれた。優しく笑い掛けてくれるなまえにキスしたくて仕方がないというのに、今はそれすら叶わない。なまえに感染すわけにはいかない。己の身体で全ての菌を責任を持って抹殺する必要がある。だけど、万が一なまえに感染ったとしても同じように看病しよう。程度の差はあれど、思いつく限り優しくしよう。今も昔も私は本当になまえを愛しているのだから。


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