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2026 06/19
[newpage]
マンドリカルドが向かった先はマスターのマイルーム。問診中に治療室を飛び出して行ったマスターだが、あれから結構な時間が経っているから部屋に戻っていると思って向かったのだ。マスターのマイルームに備え付けられている呼び鈴を鳴らすと扉が開かれる。
「あ、マンドリカルド…」
部屋から顔を出したのはマスターだった。自分の部屋を訪ねてきたのがマンドリカルドだと分かった彼は名前だけ呼ぶと気まずそうに視線を逸らす。そんな彼にマンドリカルドの胸は痛むが、さっきの今なのだ、気まずくて当たり前だと思って気持ちを奮い立たせる。そして、マスターが安心出来るように出来るだけ優しく笑いながら言った。
「あの…こんな時間にすみません…ちょっと良いですか…?」
「うん。良いよ、マンドリカルド。何の用かな?」
優しく尋ねてくるマンドリカルドに自身も出来るだけ笑いながら頷くマスター。そんなマスターに感謝しながら、マンドリカルドは用件を口にする。
「その…異聞帯の海の記録…見たんすけど…」
その一言を言った途端、マスターは固まった。目を伏せて気まずそうに俯く。きっとマンドリカルドに伝えなかった自分を責めているのだろう。
それが分かったマンドリカルドは何処までも自分なんかにも優しいマスターを安心させるべく、穏やかに笑いながら言った。
「あんたが俺に見せないようにした理由は何となく分かります。あれは安易に俺というか『マンドリカルド』に見せて良いか、迷うもんっすから…」
「ごめん。隠すような真似をして…」
「それは良いんすよ。むしろ、俺としてはあっちの俺があんたを守りきったってのは誇らしい事っす。俺なんかでも誰かの為に戦い、誰かを守れる。それが分かりましたからね」
フォローするように言うマンドリカルドにマスターは罪悪感からか、気まずそうに俯きながら謝ってくる。マイナーで三流の自分なんかにも真摯に向き合い、誠実に接してくるマスターに暖かいものを感じながら、マンドリカルドは優しく穏やかに笑いながら気持ちを伝えた。少しでもマスターが安心出来るようにと願いながら。
だけど。そう、だけど聞きたい事はきっとこんなにも優しい彼を傷つけてしまうかもしれない言葉だ。そういう問いをこれからしなくてはいけない。
「ただ、それでもあんたに聞きたい事があるんすよ。あの俺がしちまった事で、他ならぬあんたに答えて貰いたい事がある。それだけは答えて貰えると助かるっす」
そう言うとマンドリカルドはできるだけ優しくなるように気をつけながら、マスターに尋ねた。
「あの後、ちゃんと泣きましたか?マスター」
その一言を聞いた瞬間、マスターの体が強張った。そんなマスターに申し訳なさを感じながらもマンドリカルドは言葉を続ける。
「あっちの俺が最後に笑って見送ってくれ、という気持ちも分かるっす。友達との別れの時は泣き顔より、笑顔の方が良いって言う、あっちの俺の気持ちも分かるっすよ。でも…」
そこまで言うと、マンドリカルドは一旦言葉を切る。迷いながらも、それでも尋ねる。できるだけ心優しいマスターを傷つけないように気遣いながらも言葉を続ける。
「あんたは…ちゃんと泣いたのかな?って気になって…あんたの事だから、泣きたかっただろうけど…でも、我慢しちまって…泣いてなさそうで…」
そこまで言うとまた言葉を一旦区切り、俯くマスターの顔と向き合うように視線を合わせる。
「あの海の旅が終わってからでも良いんすけど…ちゃんと泣きましたか、マスター…?」
その一言にマスターは顔を上げた。マンドリカルドを見つめる青い瞳はこれ以上ない程に悲哀に満ち、今にも泣き出しそうだ。
「それ、君が言っちゃうんだ…」
それだけ言うと、マスターの青い瞳から涙が溢れた。その一言がきっかけだったようでぎりぎりで留まっていた涙は決壊し、次々と透明な液体が青い瞳から溢れ、流れていく。成長しきっていない青年の頬を幾つもの透明な美しい雫が流れていく。
予想していたとはいえ、泣き出したマスターにマンドリカルドは慌てふためきながらも、己の腕で隠すように彼を抱き締めた。
「ちょ、ちょっと部屋の中に入らせて貰いますよ、マスター!」
マスターを抱き締めたマンドリカルドは慌てふためきながらも断りを入れ、少々強引に彼と共にマイルームの中に入った。周りに見せないように気遣いながら、部屋の中を進んでいく。
「悲しくて当たり前っす。辛くて当たり前っす。あんたが泣くのは当たり前なんすよ、マスター。あの海の俺は確かにあんたの良き友でしたから。仲の良い友人が亡くなったら、誰だって悲しいし、辛いんすよ、マスター。それが目の前でなら、尚更っす」
ベッドにマスターを座らせたマンドリカルドは優しく彼を抱きしめながら、そう声をかけた。少しでも彼が安心して泣けるようにする為に。泣くのは当たり前、だから安心して泣いてくれと願いながら。
そんなマンドリカルドの気持ちが分かったからか、マスターは泣き続ける。黙って涙を溢し続ける。マンドリカルドの腕の中で時折嗚咽を溢しながら。
「だから、泣いて下さい。あの海の俺を思って。ここにいる俺が隠しますから。俺なんかの腕の中で良いなら、幾らでも貸しますから。俺なんかで良いなら、幾らでも抱き締めて隠しますから」
抱き締めるだけでは足りないと思ったマンドリカルドはマスターの背中を優しく撫で摩りながら言った。時折あやすようにぽんぽんと軽く背を叩く。マスターが安心して泣き続けられるようにと願いながら。
「泣くって大事な事っすよ、マスター。だから、存分に泣いて下さい。あの海の俺だけではなく、あんたが大好きで大切で大事だったけど、でも失った人達の為に。あんたはに誰よりもその権利があるんすよ。だから、我慢なんてしないで下さい」
「で、も…おれ、は…ますたー、で…強く、なくちゃ…生き残れなくて…」
マンドリカルドの言葉にマスターは言葉に詰まりながらもそう返した。首を振って自分を責めるように呟く。苦しそうなその言葉を聞いたマンドリカルドは知らず知らずのうちに彼を抱き締める手に力を込めた。ああ、やはりそういう事からも苦しんでいたのかと思いながら。
苦い思いを抱きながらも、それでもマンドリカルドは口を開く。少しでも沢山のものを背負い過ぎて重くなった彼の心を軽くしたいと願いながら。
「泣くのは恥ずかしい事でも弱い証明でも何でもないんすよ、マスター。だから、ちゃんと泣いて下さい。泣ける時に泣いて下さいね」
「だ、けど…おれ、が…ない、たら…いなくなった人たち、に…しつれい…で…」
マンドリカルドの言葉に泣いて詰まりながらもマスターは首を横に振る。そんな資格は無いと繰り返し言う。それを聞いたマンドリカルドはその部分からも泣けなくなっていたと分かり、奥歯を強く噛み締めた。どう言っていいか分からないし、安易にそれに口出ししてはいけないと分かってもいたから。
が、すぐに顔から力を抜いて無理矢理表情を柔らかくすると腕の中のマスターの顔を覗き込んだ。しっかりと彼の顔を、彼の空のような美しい青の瞳を見つめて口を開く。
「じゃあ、泣きたい時は俺を呼んで下さい。俺が抱き締めて隠します。俺以外には分からないように。だから、俺を呼んで下さい。俺で良いなら、いつでも腕だろうが胸だろうが、貸しますから。ここで安心して泣いて下さい。亡くなった人を思って悼み、泣いて下さい。辛いなら、悲しいなら、ちゃんと涙を流して泣いて下さいね」
青い瞳からポロポロと涙を溢しながら泣き続けるマスターにマンドリカルドは優しく言い聞かせるように言葉を続ける。
「その心は…涙は…大切で大事なものなんすから…」
マンドリカルドのその言葉を聞いたマスターは大声を出して泣いた。ぎりぎりまで我慢していたものが、マンドリカルドの言葉で我慢しきれなくなったのだろう。自分の腕の中でわんわん泣くマスターをマンドリカルドは優しく抱き締め、その背を優しく撫で続けた。少しでも彼の傷が癒されるようにと願いながら。
マンドリカルドは己の腕の中で泣き喚くマスターを抱き締め続けた。そして、一つの決意を抱いたのだった。