[chapter:終末地点]
「おい、マスター。これで本当に良いのか?」
「良いんだよ。良いから、ここに来たんだ」
オベロンが自分の腕の中で休むマスターに声をかけると、彼は不機嫌そうに答えた。しかし、その声は以前程の力は感じられない。表情だって以前よりも暗いし、俯いている。
「マスターって呼ぶのはやめろよ。もう俺はマスターじゃないし…」
それだけ言うとマスター…立香はオベロンの背中に腕を回し、胸に顔を埋めた。ぐりぐりと甘えるように頭を擦り付けてくる。そんな立香にオベロンは何度目になるか分からないため息を吐いた。マスター呼びする事への抗議も含めて頭を擦り付けてくる立香を抱き締め、その柔らかい少し癖っ毛な黒髪を撫でる。もう片方の腕で立香の体を抱きしめるように抱きしめながら。
そんなオベロンに立香は更にぐりぐりと頭を強く擦り付けた。今回はいつも以上に甘えてきている。何かあったのだろうか?そう考えたオベロンだが、すぐにその考えを振り払うように頭を軽く振った。そんなのある訳ないか、と思い直したからだ。
暗い奥底へと落ちていくしかない巨大な虫の腹の中。周りは黒い虫の体しかなく、二人は底に向かって落ちていくのみ。
良くも悪くも今の二人にはお互いしかいない。
奈落の底に落ちていくだけの二人しかいない。
それ以外は、もういない。
「もう人類は俺以外はいなくなった。その俺もここで朽ちていくだけなんだ」
だから、マスターじゃない。人類最後のマスターはカルデアを失い、ただ一人になった。そして絶望した彼は終わりを望んで、この終末装置の腹の中に来た。オベロン=ヴォーティガーンとの縁を使って彼を呼び出し、連れて来て貰った。
オベロンは最後にこの場所以外で立香と会った時の事を思い出す。以前は光のあった澄んだ青い瞳は絶望からか光を失って濁り、死んでいた。美しい煌めきを宿していた瞳は多大な苦しみと悲しみ、そして絶望を抱えながらも何とか走り続けられる程度にはあった強い光を失っていた。
弱々しくも美しく輝いていた青い星は完璧に光を失い、堕ちていた。
負けたせいで全部を失った立香はオベロン=ヴォーティガーンという終末装置を求めた。縁を使って何とか彼を呼び出すと、一言。
「お前の奈落に連れて行け。嫌なら、令呪を使って無理矢理にでも言う事を聞かせる」
そう言うマスター藤丸立香にオベロンは何も言う事なく、優しく疲れ切って動けない彼を抱え上げた。そんなオベロンに立香も何も言う事なく、彼の胸元に顔を微かに擦り寄らせて応えた。
立香を奈落に連れて来てからも、オベロンは時折尋ねた。本当にここにいて良いのかと。他の方が良いんじゃないのかと。
これで本当に良いのかと。
その度に立香はこう答える。
「お前は俺の終末装置だろう?」
そして、
「最後くらいは恋人といたいんだ」
そう言われては黙るしかなかった。
藤丸立香は疲れ切っていた。ただでさえ、命懸けで走り続けていたのに、カルデアが敗北して全てを失った事で何とか保っていた心はぽきりと折れたのだ。
自暴自棄。正にそんな言葉が似合う有様。全てに絶望した彼は、ただ自分の終末装置にして愛しい恋人の傍で終わりを迎える時を待つ事にした。そんな立香にオベロンは胸の痛みを抱えながらも、それごと抱くようにマスターだった恋人を優しく抱き締める。
こういう結末も予想はしていた。でも、自分は終末装置で虫で邪悪な竜で無理矢理当て当て嵌められた成り立ちのせいで嘘しか言えない。この場所だって何もない。あるのは巨大な黒い体だけ。
落ちていく、落ちていく。ずっと二人は落ち続けていく。終わりが来る、その時まで。
それでも。それでもオベロンは立香が…マスター兼恋人な彼が望むなら、少しでもマシな所に連れて行きたいと思っていた。
例えば、大地は一面白しかなくても、空にはかつての彼の瞳のように澄み切った青い空が広がる場所。そこで無理矢理にでも聖杯を探し出して、彼の故郷を再現する特異点を作るとか。
彼が望む、ここではない何処か。暗い奈落ではなく、かつての彼のように明るい場所。
根が真面目だからか、それとも相手が恋人だからか。そう考えているオベロンはたまに恋人に問う。ここじゃない何処かに行かないかと。しかし、立香の答えは否ばかり。そんな風に言う恋人の胸に顔を埋めて首を振るばかりだ。
そんな立香の体を優しく抱きしめ、頭も優しく撫でて宥めて癒すのが今のオベロンの毎日だ。
かつてのように何処か明るい場所ではなく、暗く落ちていくしかない奈落。いつか底に辿りつくまで二人は落ちていく。
二人がいなくなるのが先か。奈落に落ち切り、底に辿りついて終わるのが先か。
そんな事をぼんやり考えながら、オベロンはまた優しく恋人の少し癖っ毛な黒髪を撫でた。そんなオベロンの胸元に立香もまた頭を擦り付けて応える。
その意図は何を意味するか。妖精眼のあるオベロンは分かっているが、わざと見ないようにし、恋人兼マスターの立香を優しく抱いて奈落の底へと落ちて行くばかりだった。
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