───『やがてこの計画が終わり、我々犯行を人々が知るようになるとき、人は我々の動機を「SOLテクノロジー社への復讐」と言うかもしれない。……だが、いずれ真相は分かってもらえると私は信じている。
  目的はあくまでもイグニスの抹殺。我々はどんな犠牲を払おうと、この目的をやり遂げなければならない。今はまだ、AIが意志を持つということの本当の意味を、我々以外誰も理解できていないのだからな。その計画も、もうすぐ完遂される。
  ハノイの塔に囚われた者は、もう抜け出すことはできない。世界のあらゆるデータは、ハノイの塔が完成したその時に破壊される』


「……スペクター、よくやってくれた」
 4つの棺が並ぶハノイの仮想空間本拠地。ハノイの三騎士と呼ばれたゲノム、バイラ、ファウストの列に、いまリボルバーの側近として働いていた男、スペクターが並べられる。
 ここにあるのは抜け殻のアバター。肉体は現実世界に、精神はデータとしてハノイの塔に吸収された。これら“死体もどき”はただの感傷的な映像。全ては虚構。
「お前の闘いは無駄にはしない」
 まもなく、ハノイの塔が完成する。
「(……だが、必ず奴はやって来る)」
 リボルバーは手を握り締めた。10年に及ぶ長き因縁、その終止符を打つために対峙しなくてはならないプレイメーカーの姿が、リボルバーの影から離れようとはしない。
「(私がプレイメーカーの正体に拘ったばかりに、彼らを犠牲にしてしまった)」
 プレイメーカーがリボルバーに執着したように、リボルバーもプレイメーカーに執着した。もしハノイのプログラムが始動してしまったら、ロスト事件の記録も消え、永久に誰がプレイメーカーか分からなくなる。しかし事ここに至って、それらは解決していた。だからリボルバーは起動させたのだ。───ハノイの塔を。
 元から長く時間を使うことなどできなかった。それを待ってくれた父の配慮に、リボルバーは感謝するしかない。
「(だが、まもなくハノイの塔が完成する。その前に、プレイメーカーは必ず私の前に現れる。それが奴と私の宿命─── 我々は運命の囚人。そこから逃れる術はない)」


『イグニスは何としてでも、この世界から消さなければならない』
 ───苦しいのですか?
『我が子を手に掛けるも同然だからな』
 ───分かっています。イグニスとサイバースを抹殺することが、どれほど重要なことなのか。


 心電図モニターに一瞬混じった不響音がなまえを振り返らせた。
「───おと、……おじさま?」
 不穏な予感に震える足がなまえを鴻上博士のベッドへと運ぶ。覗き込んだところで生命維持装置で包まれた博士の顔を見ることはできない。なまえは皺を深く刻んだ、土色になった博士の手を取って握る。目を覚ました博士にもう一度会いたい。会って、お話をしたい。そしてお願いをするのだ。───お義父さまと呼ぶことをお赦し下さいと。




「これでお前のモンスターは居なくなった。次の攻撃で終わりだ、リボルバー!」

 ハノイの塔、その4つ目のリングを形成する凄まじいストームの中で行われているプレイメーカーとリボルバーの一戦。窮地だったはずのプレイメーカーはこの激しいデータストームをアイとの結束で潜り抜け、スキル・ストームアクセスを成し遂げた。新たなるリンクモンスター《トランスコード・トーカー》によって形成を覆され、今リボルバーは《トランスコード・トーカー》のダイレクト・アタックに直面する。
 この止めの一撃、リボルバーは《チョバムアーマー・ドラゴン》の効果により、戦闘ダメージを半分にして凌ぎ切った。仕留めきれなかったプレイメーカーのターンは終了したが、コードトーカー2体を相手にするリボルバーにアイは楽観的な口振りをする。それに対し、リボルバーはさらに鼻で笑った。
「フン、忘れているぞイグニス。───私にも同じスキルがあるという事を」
「───!」
 父の作ったデータマテリアル制御プログラムなら、あの暴風雨の如きデータストームであろうと、コントロールする事が可能なはずだ。
「プレイメーカーに出来て、私に出来ない筈がない!!!」
 これまでにないデータストームの密度に、恐れが無かったかと言われたら嘘になる。……あぁ、イグニスに嘘をついていた事を責めた自分の方が、嘘を重ねている。
「(───なまえ)」
 データストームは彼女の名前を邪念と判断したとでもいうのか。リボルバーは父の開発した制御プログラムごと右手を吹き飛ばされた。その様にプレイメーカーとアイは流石に面食らう。
『ムリムリ! アイツには俺が居ないんだからな』
 しかしリボルバーは、アバターの片腕を捥がれてもDボードに飛び戻って立ち上がる。事を起こしてしまって、そして決意を固めてしまって。もう立ち止まるわけにはいかないのだ。
「まだやるつもりか」
『アイツ、意地でもやる気だぞぉ?!』
 そんなプレイメーカーとアイの会話など、リボルバーの耳に入ってなどいなかった。体を震わせる高密度のデータストームと、己の叫びだけ。それだけがリボルバーの魂を奮い立たせる。



 一瞬の不響音は思い過ごしだったろうか。心拍数は低レベルで安定している。深い眠りについているはずの肉体、その中に何を見ているのだろうか。……ふと、博士の眼尻まなじりが僅かに動いた気がした。
「おじさま、……夢を見ていらっしゃるの?」
 もしそうだとしたら、どうか、夢の中だけでも、───どうか了見と会えていますように。


 ───『我が子を手に掛けるも同然』、そう言った本当の意味を、……お前は理解しているか。


 心臓の鼓動がひとつ響く。

 たったそれだけの小さな振動がハノイの塔の暴風を、いやリンク・ヴレインズ全体の時を止めた。飛び散っていたデータマテリアルや瓦礫のテクスチャの全てが停止し、全ての無機物が青白く硬直した中で、“精神”ある者だけがあたりを見回す。
「……な、これはどういうことだ」
「全てが止まった」
 目の当たりにしている現象に対し、誰もが「バグか?」としか答えを導き出せない。呆然としている中で、リボルバーは渦の形を保ったままフリーズするデータストームのマテリアルを見上げた。
『───リボルバー』
「……! その声は、」
 見上げた先で大きな影が浮かび上がる。それはプレイメーカーやアイ、そしてカメラ越しにモニタリングしていた草薙や、───SOLの監視システムも、その人物を見ていた。
「あれは─── 鴻上博士?! まさか、生きていたのか?!」
 光に満ちた中で影は大きくなり、やがてそこから姿を現した人物─── 鴻上聖の姿に、リボルバーは息を飲む。いまフリーズしたデータストームに一番近い位置に居たのはリボルバーだけ。その声が聞こえていたのも、彼だけだった。
「なぜ、あなたが……ここに」



 傾いた太陽が差し込み、なまえは顔を上げて光を手で遮った。安定している心電図を一瞥してから、祈るように握っていた鴻上博士の手を離して、遮光カーテンを下ろすためにその場から少しだけ離れる。
 そのとき鴻上の指が僅かに動いたのを、なまえは見逃してしまった。



『了見。お前にはなにひとつ父親らしい事をしてこなかった。……むしろ、お前の人生に苦しみしか与えなかった。お前は、そんな私に泣き言のひとつも言わぬ、素晴らしい息子だった。
  だが、信じてほしい。本当はお前を……お前たちを巻き込みたくはなかった。しかし私は彼女の存在を無視してお前に頼るしか、世界を滅びの淵から救い出すことは不可能だったのだ』
───「……わかっています」
『お前はこんな所で負けてはならない。私の最期の力を与えよう』
───「……! 最期の力、……しかし、そんなことをしたら!」
『構わぬ。私の代わりに、人類の未来を、お前が愛する者の未来を守り抜くのだ。お前だけが私の最後の希望だ!!!』



 ───将来の義娘よ、世話を掛けた。もうその手を水仕事で荒らす事はない。了見を、……

 心電図モニターに混じった不響音。振り返った次の瞬間、それは生命維持装置からの警報音に塗りつぶされる。
「───お義父さま!!!」




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