「いってらっしゃい」

 なまえが了見を見送るのは、リビングの出入り口まで。私邸と言うには些か広すぎる鴻上邸の中をわざわざ行き来する必要はないと、了見からの言いつけを守ってのことだ。
「あぁ、行ってくる」
 了見はなまえに嘘をついていた。───それも、もうずっと。彼女は了見が仕事に出ていると思っている。でも了見はエントランスに向かいはするが、そこから外に出たりはしない。
 ひとつ、行き先は現実世界ではない。了見はなまえも把握できていない隠し部屋に入り、リンク・ヴレインズにログインしている。精神の外出という点では確かに了見は現実世界を留守にしているわけだが、なまえが思っているような…… 肉体が家にいるかどうかという点では、嘘をついているも同然だった。
 ふたつ、そもそも仕事ではない。それも、なまえが思っているような、普通の男がしているような事は一切していない。どんな悪行を働いているかさえ。
 みっつ、予感していた。これが最後の「行ってきます」という言葉になる。もし事が進めば、これがなまえとの今生の別れにすらなるだろう、と。だからこそ自然に、そしていつも通り素っ気ない顔で別れた。
 全てが嘘だ。彼女のために、彼女との関係のために了見は嘘を並べている。
 コードキーを通して、了見は邸内の秘密の部屋へと入った。真っ暗闇の中を、いくつものモニターやキーボードのライトだけが何色をも照らしつけている。真ん中のオフィスチェアに腰掛けてリクライニングに軋む背もたれに体を預ければ、ため息混じりに左腕のデュエルディスクを起動させた。
「───イントゥザ・ヴレインズ」



 予感はしていた。
 リボルバー自身が沈黙をしていたこの期間、アナザー事件で目を逸らしていたとはいえ、鼻の効く奴は必ずここを嗅ぎつけてくるだろうと。もちろんここまで膨大なエネルギーを蓄えれば、時間の問題ではあったが。
「ゴースト・ガール…… こんな所でお前と会うとはな」
 リンク・ヴレインズの地下のデータ消去システム、───いわゆる不要データの下水道の中心。一番に侵入してきたゴースト・ガールを前に、リボルバーは内心、流石は電脳トレジャー・ハンターを自称するだけはあると冷笑した。
「(リボルバー……!)」
「また何か嗅ぎ回っているのか?」
 バイザー越しに判別もできないリボルバーの顔に、ゴースト・ガールは瞬時に笑顔を見せた。
「いやあの、道に迷っちゃって。ふふふ」
 普通の男ならこれで誤魔化せてきた。目の前の男が普通じゃないことも、そんな簡単に見逃してくれる相手でもないことも、ましてそれが判別できないほど自分が愚かな女でないことも全て承知の上で、ゴースト・ガールは愛想のいい声でやり過ごそうとする。それが「危険に対する防衛本能」だということさえ、彼女は理解していた。
「すぐ出ていくから」
 「お邪魔しました」とでも言うようにニコニコと笑いながらも、データ収集に放っていたプログラムの回収は怠らない。リボルバーから極力距離を置いて出口に向かえば、牢獄のように柵で閉ざされる。
「……!」
「ここを見られた以上、このまま帰すわけにはいかない」
 ゴースト・ガールは一瞬諦めたような素振りを見せた。そしてリボルバーが次の口を開く直前、その一瞬の隙を狙う。
「でしょうね!」
 鉤縄を飛ばして離れた隣のゲートへと飛び移るが、脱出を許すリボルバーでもない。出口を目の前にして、ゴースト・ガールは再び柵が下されるのを見ているしかできなかった。
「私を捕まえてどうするつもり?」
「そんなにここから出たいのか?」
「あなたに付き合ったら、ひどい目に遭いそうだからね」
 ひどい目に遭う、そう聞いてリボルバーは口の端を吊り上げる。
「では、私のデッキ調整に付き合ってもらおう」




『YOU LOSE!』
 ブザー音と共になまえは「うそーん」と天を仰いだ。そのまま手札や除外したカードをばら撒いて、ソファー代わりに積み上げたクッションに寝転がる。
 何世代も前のCPUデュエルプログラムが相手だというのに、なまえの勝率は6割弱。了見から「お前にリンク・ヴレインズはまだ早い」と言われ続けること早2年。そこで彼がガレージから引っ張り出してきたのが、この10年前には型落ちしたであろう古いCPUだ。狭義的にはこのゲームシステムもAIの部類ではあるが、いま存在しているAIとは似ても似つかない。
 ───『AIは相手の反応を見て手加減をして来るが、旧型CPCコイツは勝つための計算しかしない』
 ため息まじりに起き上がり、散らばった自分のデッキをかき集める。早く強くならなくてはと、なまえは少し焦っていた。
 昔の了見は、なまえとお遊びのデュエルでもとても楽しそうにしてくれた。だがある頃を境に了見はなまえとカードゲームで対峙しても、どこか上の空で、つまらなさそうな顔をするようになった。
 ……私が強くなれば、きっとまた笑うようになってくれるかもしれない。
 顔を上げて、CPUモニターから鴻上博士の眠る医療ベッドに目を向ける。博士が健在だった頃─── この部屋にはもっと家具が置かれ、生活感のあるリビングだった。大きなソファから海を眺めて、カードで遊ぶなまえと了見、そして了見が連れてきた友達と遊んだのを覚えている。それを眺める、博士のことも。
 それが今は、何もかも地下のガレージの中。

「(……そういえば、あの子、どうしてるかな)」




「遅かったな、Playmakerプレイメーカー

 Dボートから飛び降りた先、ゴースト・ガールがデータとして分解され吸収されたところに降り立ったリボルバーを、プレイメーカーは敵意と困惑に砥がれた目で睨みつける。
「リボルバー……! ゴースト・ガールをどうした?!」
「彼女は、世界を救ういしずえとなってもらった。もはや戻って来ることはない」
 そう薄ら笑いさえするリボルバーと、それを切歯して睨むプレイメーカー。両者を隔てる柵を握り締め、プレイメーカーはリボルバーに迫った。
「貴様! いったい何を?!」
 この境界線は、決して後戻りできないラインそのもの。
「既に“ハノイの塔”は始動した。このゲームを止めたければ、私を倒しに来ることだな……プレイメーカー」
 始動、その言葉に反応するように、マテリアルストームの塊とも言うべき中央のプログラムは暴走にも似た腕を伸ばし、卵の壁を破り始めた。リボルバーの背後にも壁の残骸が落ちてはデータとして砕け、また吸収され、“雛”はまた一段と大きくなる。
 リボルバーはプレイメーカーに背を向け、彼の見えない底の方へと飛び降りた。
「リボルバー!」
 Dボードに乗ったリボルバーが浮き上がってくるも、リボルバーは何も言わずにその場を飛び去っていく。
「待て! リボルバー!」
 追いかけようにも柵はびくともしない。それに気を取られている間にも、壁や空間はどんどん崩壊していく。
『おい! プレイメーカー! データを持ち帰るって、ゴースト・ガールと約束しただろ!』
「戻ってこいリボルバー!」
 アイが諫めるのもプレイメーカーの耳には届いていない。もう姿の見えないリボルバーにばかり意識を取られているプレイメーカーに、アイは崩れていく壁面と彼の顔を何度も見並べてしどろもどろに狼狽る。
『オイ! プレイメーカー! ホントにヤバいぞ!』
 もう一度呼びかけたところで、また中央の怪物から伸びた腕が天井を突き破り、轟音が轟く。ついに痺れを切らして、アイはプレイメーカーに断りもせず叫んだ。

『ログアウト!!!』




- 3 -

*前次#


back top