「やめて、なにするのよ……!」

 トラックに押し込まれてすぐ、バーチャルシュミレーションゴーグルとヘッドホンを付けられた。もしかしたらその途中で、どこかのネットワークに強制ログインさせられていたかもしれない。
 とにかく、あれから何時間くらい経ったのか、ここが何処なのかさえ分からなかった。明滅する電子の海。どこまでも無機質で、全てが虚構。体の感覚は麻痺していて、昼夜の感覚も、時間の感覚もない。
 ただバラバラにされて漂う意識のひとつ。

『ハノイの騎士との関係は? リボルバーはどこ』
「リボ……ルバー?」
『とぼけたって無駄よ』
 意識を何度もデータとしてバラバラにされては元に戻され、質問をしてくる女性の声に逆らえば、首を切り落とされたり、体を引き裂かれる体感映像を見せられた。罪人のようにはりつけにされ、目を閉じても意識として頭に直接映し出される。
 ハノイの塔が聳えるリンク・ヴレインズ。そこでバラバラにされ、消されていく人たちの映像や、ハノイの騎士達のデュエル映像を見せられ続け、「もうやめて」という言葉すら出ない。
『ハノイの首領、リボルバー。交際している貴女が知らないはずないわ』
「了見……?」
『そう、鴻上了見。彼はいまどこにいるの? 教えて、みょうじなまえ』
「知らない、了見は、───了見はこんなことしない」


 もはや人の声とも似つかない悲鳴がモニタールームに響く。悲鳴がスピーカー越しに上がるたび肩を震わせる研究員達を横目に、クイーンは動じないどころか「しぶといわね」とさえ吐き捨てた。
「ちょっと、この悲鳴だけでもノイズキャンセル出来ないの? 耳がどうかなりそうだわ」
「あ、は、はい……やってみます」
 慌ててキーボードを叩く研究員に返事をするでもなく、クイーンは組んでいた腕を下ろして窓を見下ろす。球体の機械に繋がれたチューブや配線に、それを取り囲む何人かの研究員。あの中に拘束した、鴻上了見の交際相手…… 彼女を開放するわけにはいかないと、クイーンは再びピンマイクのスイッチを入れる。
「どう? 白状する気になった?」
『ハァ……ハァ…… ッ、うぅ……了見、』
 泣きじゃくる声にクイーンは舌打ちをして音声を切った。そこへ財前がモニタールームへ駆け込む。
「クイーン! これはどういう事ですか」
 財前は止めに入る研究員を押し除けて、面倒な男が来たとばかりに顔を顰めるクイーンに詰め寄った。
「“元の席”に着いた途端に威勢が良くなるのね、財前部長」
 はぐらかすように笑うクイーンに、財前はグッと手を握る。クイーンに構うのをやめ、周りの研究員達に声を荒げた。
「人体実験に手を出すつもりか?! はやく彼女を解放しろ! 一般人だぞ?!」
「ダメよ、彼女は一般人じゃない。鴻上聖の息子、そしてハノイの騎士のリーダー・リボルバーの正体と思われる鴻上了見の交際相手よ。彼らの居場所だけでなく、イグニス独自のアルゴリズム解析の手掛かりを握っている可能性がある」
「しかしあくまで可能性です。リンク・ヴレインズの騒動の直後でこんなことが公になれば───」
「そうよ、ハノイによって破壊されたリンク・ヴレインズ世界の再構築、そして相変わらず行方不明のイグニス達。そのために、彼女のデータは必要なの」
 腕を組んだクイーンが毅然とした態度で財前を横切り、モニターに触れる。そこにはなまえを幽閉している機械のデータや、計画表が映し出された。
「私がトップに就いた以上は従ってもらうわよ、財前。これはかつて鴻上博士が意志を持ったAI……イグニスを生み出すために取ったデータをもとに、SOLが総力を上げて再構築した計画。私たち人間だけでは、イグニスの高度なアルゴリズムを完全に解読することはできない。だったら、イグニス・アルゴリズムを解析できるだけの、新たなる意志を持ったAIを我が社で生み出せばいい。

  彼女の精神データから対イグニス用AIプログラムを作り出すこの計画─── 私は《エルピス・プロジェクト》と名付けたわ」

「……! イグニスを生み出す過程を知ってて、その被害者を増やすというのですか」
「被験者の間違いでしょ。彼女には身体的・肉体的のいかなる損傷にも賠償を求めないという書類に拇印を押してもらった」
「それこそ“押させた”の間違いではないのですか?! クイーン、こんな事に一体なんの意味が!」
「イグニスは6歳から8歳程度の子供をモデルに生まれた。子供よりも知性を高めた18歳がモデルなら、さぞかしイグニスよりも優秀なAIが誕生するでしょうね。あぁ、そういえば、あなたの妹さん……ブルーエンジェルだったかしら? 彼女も年齢的にはいいモデルになるでしょうに」
「……!」
 弱みを握っているとダイレクトに伝えられて怯んだ財前を、クイーンは冷笑した。そして画面を変え、古いリストデータを映し出す。
「元々選ばれていたはずの子供が、大人になってからたまたまその番が回って来た…… それだけのことよ。彼女は10年前のロスト事件で、最後まで6番目の被験者として候補に挙がっていた。その彼女が鴻上聖博士の一人息子、鴻上了見と何らかの理由で繋がり、少なくとも3年以上前から交際をしている。……可能性の話しではないの。彼女は、みょうじなまえには必ず何かが隠されている」



「《エルピス・プロジェクト》……? ふざけた真似を」

 目眩のように揺らぐ視界は、海上クルーザーに立っているからだけではない。タブレット端末をへし折り兼ねない了見を前に、スペクターとファウスト、そしてゲノムが苦々しい顔で見合った。
「SOLテクノロジー社はハノイの塔の一件で、トップ役員が総入れ替えされました。その現トップ、クイーンという女がこの計画を進めています」
「奴らの狙いはイグニス・アルゴリズムの解析。……しかしそのために自分達で解析用AIを見様見真似で作るとは」
 ファウストとゲノムが口々に補足する中で、スペクターだけはじっと了見を見つめていた。そして、あまりにも簡単に入手できた計画書のデータも。
「僭越ながら、……これは罠ではありませんか?」
 ファウストとゲノムが眉を潜めて反応したのに対し、了見は平然としてスペクターに目を向ける。
「だろうな。仮に父の残したハノイ・プロジェクトを焼き増ししたところで、大企業が犯すには博打が過ぎる。……これはどう見ても人体実験に言及する計画書だ。こんな最重要機密のデータを簡単なハッキングで入手できるようなサーバーに置いておくなど、余程の無用心なのか、愚かなのか」
 壊れてもいいと言わんばかりに乱雑にタブレットを放る。ゴトン、ゴトンと足音がよく響くウッドデッキを進み、了見はポケットからスマホ端末を出して待ち受けにしているなまえの写真を眺めた。
 背中に隠れていても、後ろの3人は彼が何を見ているか想像はつく。もう一度顔を見合わせたあと、口を開いたのはスペクターだった。
「如何なさいますか」
「これは私の失態だ。私が片付ける。お前たちはバイラ救出のためのハッキングプログラムの開発を続けてくれ」
「しかし恐れながら、彼女の身柄は完全にSOLテクノロジー本社の研究室に拘束されています。救出はバイラの脱獄計画よりも難しいかと」
「……わかっている」
 ギチ、と軋むほど握られた右手。親指の付け根のマーカーに、なまえの左手の同じマーカーを思い出す。
 中途半端になまえを関わらせた。それが全ての過ちだった。電話口で彼女が泣いていると悟り、安心させようと咄嗟に家のことを任せたのが間違いだったのだ。……ハノイの塔を監視していたなら、鴻上博士の姿をSOL側が見ていなかったとは限らない。そして、鴻上博士の私邸の場所や親族、洗えば何だって出て来ると、どうして少し考えれば分かるようなことが、なぜあの時出来なかったのか。
 分かっている。それだけ、なまえの事になると自分は盲目的になるのだと。
「───SOLテクノロジーのメインサーバーを経由し、なまえの意識データ抽出プログラムからなまえの精神に接触を図る。すまない、私に力を貸してくれ」
「もちろんです」



「出た、これだ」
 同じ頃、草薙もSOLテクノロジー社からハッキングしたデータの中に彼女を見つけ出していた。アイがモニターを見上げ、『オイオイこれって……』とこぼす。

「SOLは、遊作や俺の弟にしたように、彼女から新たな“意志を持ったAI”を生み出すつもりだ」



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