シャーディーは一つの回廊に立っていた。その左右には扉があり、片方の扉は開け放たれて中の様子が垣間見える。
「(この少年の心の中には、2つの部屋がある…… 一方はオモチャが散らばっている、純真で邪念のない部屋。…これを見る限りにおいては千年眼を奪った犯人とは思えぬ。───だがもう一つの扉は……)」

 シャーディーはゆっくりと、その冷たく重い扉を開く。
 その部屋の中には、闇の人格の方の遊戯が待ち構えていた。

「ほぅ……オレの部屋を訪れる者がいるとはな。」
 部屋の主に直面したシャーディーの足が、敷居の前に留まるのを見て、遊戯は口の端を上げる。
「フッ……入ってこいよ。勇気があるならな。……ゲームが待ってるぜ!」

 シャーディーは警戒しつつも部屋に足を踏み入れた。一つの空間しかないその部屋を見渡しながら、遊戯に近づく。
「(……私は過去に色々な人間の心の部屋を訪れた。……しかしこんな重たく冷たい部屋、…まるで古代エジプトの王墓のようだ。このような部屋を持つ者が…まさかもう1人いるとは。)」

「アンタがどんな力を使ってオレの部屋に訪れたかは知らないが……目的を聞かせてもらおうか。」
「その質問に応えるのがせめてもの礼儀…… 古代エジプトの時代から三千年ものあいだ、“ 王家の谷 ”に伝わる闇の千年アイテム…7つのアイテムには、世界を支配できるほどの力があるという。…それゆえに、そのアイテムを集めようという者は後を絶たない。───私は千年アイテムを監視する者。今ペガサスから千年眼を奪いし者を探している。」

 遊戯は何ら動きを見せるでもなく、静かに……というより、あまり興味がなさそうにそれを聞いていた。
「ふ〜ん、……その犯人がオレだって思っているのか?」
「その者の部屋を見れば、いかなる力が宿ったかが…私にはわかる。」

「フン、なるほど。ならアンタがこの心の何処かにある、オレの本当の部屋を探し出せば真実が分かるだろう。しかし……これはゲームだぜ。闇のゲームだ。」

 空気が変わり始めたのをシャーディーが過敏に悟り、警戒しながらも遊戯の目をまっすぐに見る。
「このゲーム、受けてたたねばなるまい。」

「フン、……ゲームスタートだ!」

 遊戯が指を鳴らした途端に薄暗かった部屋が照らされる。四次元的に様々な方向へ通路や階段が張り巡らされた迷宮が、シャーディーの前に広がった。
「(迷宮……! この少年の部屋は、まさしく心の迷宮だ!)」

「どうした? 最初の一歩を踏み出さなければ、始まらないぜ?」

***

 なまえは千年秤の片方の杯で横たわっていた。上下に揺れるその中で目を覚まし、ただ真っ暗闇の中で光る千年秤と自分の体だけが見えている。

「(これは───…夢?)」

 ガクンと天秤の腕が動き、ボンヤリとしていた意識と身体がハッキリと繋がって覚醒した。なまえは息を飲む。揺れる杯の中で、反対側の杯に載せられた人影が目に入った。
 揺れが収まるにつれて、自分の杯の方が軽く示されている事に気付く。身を乗り出すように反対の杯を見下ろすが、秤の真ん中の支柱に阻まれてそれが誰なのか……人物的特徴も見ることができない。

 もう一度揺れたとき、今度こそなまえの視界は暗闇の中に溶けていった。

***

 腕の中で小さく呻き声を上げたなまえに、海馬は一瞬立ち止まって見下ろした。
「おい、起きろ」
 潮風に煽られた髪と、汗まみれの身体。血が滲んだ服に、固まった血が所々剥げ落ち始めた肌…… お世辞にも綺麗だとか言える状態ではない。可能ならこのまま浴槽に放り込みたいくらいだ。
 それでも海馬は彼女をしっかりと抱き上げ、城を抜けるべく回廊を進んでいた。海岸沿いの崖にヘリを停めたままだ。なまえを病院へ連れて行くにも、まずはモクバも探し出さなくてはならない。
せめて彼女が目覚めてくれれば───なまえはモクバの居場所を知っている可能性もある。
 ……聞きたいことも山ほどある。

「───ゆ、め?」
 風のざわめきの中で、海馬の耳が確かになまえの声を拾った。
「(寝惚けてるのか?)」
 揺さぶって起こそうかとも考えたが、ほんの先の出口の先に、もう庭園が見えている。とりあえずそこまで運んでからにしようと海馬は歩く速度を速めた。

「(なまえはなぜここまで……まさかオレ達を救うだとか、馬鹿げた考えでこんな怪我をしたのか? ……フン、まさかな。)」
 海馬は16年の経験上から、他人を絶対に信用しないと誓っていた。たった1人の弟だけで充分だと。
 だが目覚めてすぐなまえを見てから、彼女にだけは不思議と心許せそうな気配を感じていた。100%信用できるかと言われればノーだ。なまえにはまだ疑問が残っている。……それでも、海馬の心の何処かでは、既に「信用したい」という感情と「他人が無償でそんな犠牲を払うわけがない」という染み付いた呪いが戦っていた。
 彼女とどう接するべきか。それよりも、なぜなまえはこんなに傷付いているのか、本人に問い質すべきか。海馬は今後のプランを積み立てていく。

 なまえの腕の中で、千年秤のウジャド眼がチラリと光るが、海馬にそれは見えていなかった。

***

「(この無数の扉の向こうの一つが、本当の部屋なのだ……)」
 シャーディーは扉をあけては進み、トラップの部屋や新たに生まれる迷路を慎重に進んでいた。

「(この扉も、……この扉も違う! 本当の部屋ではない。いったいどの扉が本当の部屋なのだ!? この少年の心は頑なに他人の侵入を拒み、私を惑わす……!)」
 進み尽くした先にある一枚の扉の前で、シャーディーは立ち止まった。
「(それでも……私は知らなくてはならぬ!)」

 開け放った扉の向こうに、石の玉座に座った遊戯が腕を組んで待ち構えていた。薄く笑う遊戯がシャーディーを見る。
「フッ…… よう。来たか。」
「(辿り着いたのか? 本当の部屋に……)」
 少しあっけなかったような気もするが、シャーディーは足を踏み入れる。だがほんの数歩進んだところで足元は崩れ、底の見えない闇がシャーディーの体を引き込もうとした。
「(違う、これもトラップ……!)」
 シャーディーは咄嗟に床の一部に捕まり、揺れる体をなんとか引き留める。
「(もしこの深い闇に落ちたら、私はこの少年の心の闇から、永遠に抜け出せなくなる!)」
 どうにか這い上がらなければとシャーディーが思案する前に、温かい手がシャーディーの腕を掴んだ。
「ん?!」

 見上げた先でシャーディーの手を引き上げたのは、表の人格の遊戯だった。


「まさか……君に助けられるとは。」
 崩れた床から少し離れたところで、シャーディーは息をついた。表の人格の方の遊戯はシャーディーに少し笑いかけたあとで、立ち上がって辺りを見回す。

「もう一人の僕… もういいだろ? この人をゲームから解放してあげて!」

 姿を見せない部屋の主にむかってそう言うと、一つの扉が現れる。扉はゆっくりと開かれ、隙間からは眩しい光が差し込んだ。


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