今日何度目かわからないため息。本当にため息で幸せが逃げるなら、今ごろ寿命の何日分かは短くなってるんじゃないかってくらいついている。
 ……別にクラスの女子陣の視線が嫌でため息をついているわけではない。さっきからポケットの中で携帯電話が着信を知らせ続けていることに対してため息を漏らしてるのだ。

「げっ」
 いい加減煩くなってコソコソと画面を見れば、海馬瀬人50件、モクバ10件、磯野104件。いい加減電池も切れかかっている。海馬の電話はいいとして、モクバと磯野からの着信も確実に海馬の指示だろう。

 もしかして、私が電話に出ないと磯野さんがクビにされるんじゃ……
 しかし電話をしようにもメールを打つにも掃除当番中だ。女子が先生にチクリでもしたらもっと面倒くさい。かと言ってこのまま着信が続けば確実に電池が切れて、こっちから連絡できなくなるだろう。……海馬の番号なんか暗記してるわけじゃないし。

 なまえはポケットの中で携帯の電源を切ると、またモップで床を拭きはじめる。
「(てゆーか普通に考えて学校じゃん。海馬がいなくても学校せかいは回ってんのよあのバ……)」

「貴様、何をしている。」

 思わず飛び退いた。突然のことに目を白黒させながら見上げれば、携帯の電池を蝕んだ元凶が制服の学ランを着て立っている。
「か、かかか……海馬、……“さん”」
 海馬よりも女子生徒に目をやった。頼む、他人のフリを貫いてくれ。そんな願いも虚しく海馬はなまえのよそよそしい態度に顔を顰め、教室の中にも関わらず携帯を取り出す。

「このオレとの約束をすっぽかし電話まで無視するとはいい度胸だ。」

「ア、アノ、それココで話さなきゃダメですかね……?」
 もうどうとでもなれ。でも今まで女子カースト内で目をつけられないよう粛々と頑張ってきた私の努力は返せ。
「貴様の掃除当番は、確か来週の木曜日だったはずだが。」
「なんで学校に来てないアンタが隣のクラスの当番表を把握してんのよ」
「他に知っている事をここで羅列されたいか?」
「そうね、場所を変えたら全部吐いてもらうわ。」

 海馬はいったい何なんだ。別に嫌いじゃないし口喧嘩したって不快にならないし、海馬のことが好き……かもとは思ってたし、腹立つことに海馬もそれを知っている。……だがそれからというもの、海馬とはずっとこの調子だ。
 海馬に直接この気持ちのことで何か言ったわけではないし、……私はまだ、海馬からどう思われてるかも聞いていない。

 ずっとこのフワフワした状態で居るつもりなのだろうか。海馬瀬人という男が、私という女に飽きるまで。

「行くぞ。」
「ちょっと!」
 モップを取り上げるなり海馬は近くにいた無関係の男子生徒にそれを放った。なまえの手を掴むと反対の手はなまえの席から鞄を取り、有無を言わさずズンズンと教室を出て行く。
「わかった! わかったから、ちゃんと着いてくから手は離して」
 ただでさえ目立つ存在の海馬と手を繋いで人目の多い廊下を歩かされるなんて、いったいどんな悪事を前世で行えばこんな罰ゲームやらされるのか。
 足の長い海馬の歩幅がうまく噛み合わず、さらに強く握られる手に、なまえは唇を噛んだ真っ赤な顔で俯いた。

 それを同級生たちが目で追い、それぞれにコソコソと話題にする。
「……ねぇ、あの2人付き合ってるの?」
「うそ、ヤバくない?」

***

「“剣角獣の剣”は守備モンスターもブチ抜いて、プレイヤーにまでダメージを与えるぜ!」

 指定された通りの新しいゲームショップ。その地下にあるデュエルリングで城之内と御伽は最初に決めた通りの条件でデュエルを初めていた。知らないカードがあったにしろ、城之内は攻撃力の高いモンスターを多く引き当て、ほぼ勝負は貰ったと余裕を見せる。
 実際城之内のバトルフェイズで御伽はライフを550まで落とした。一方城之内のライフは無傷のまま。調子づくには充分な状況だった。

「すごいね、城之内君。……でも僕のモンスターが、ひとりで墓場に行くのはイヤだって。」
 悪いね、と伏せたカードをめくる。罠カード“道連れ”の効果で城之内のモンスターも破壊されたが、ライフポイントで大差がある城之内はそれほど驚異的に感じてはいない。

「ゲームを面白くするためにわざとだよ! こんな相手、眠ってても勝てるって!」
 意気がる城之内に遊戯は眉をハの字にして困惑していた。
「(押されてるように見えて、ゲームをコントロールしてるのは御伽君の方だ。気をつけて、城之内君……)」

 そんな遊戯の心配も知らず、城之内はまだ余裕ぶってみせる。
「つまんねぇ小細工しやがって! だがよ、まだまだ余裕だぜ!」

***

「……」
「…………」
「………………」

 何が楽しくて海馬と無言でお茶しなきゃいけないんだ。
 中心街にある有名ホテルのオシャレなカフェに制服のまま連れて来られたと思えば、腕を組んだまま一言も喋らない海馬を前にひたすら気不味い空気を吸い込むだけのティータイム。ノートパソコンを開いて目の前で仕事される方がよっぽど気楽で居られるのに。海馬は本当に何もしないで目を閉じ、する事といえばたまにこっちを見たりコーヒーを飲む程度だった。
「(帰りたい……)」
 ケーキの最後のひとくちを口に押し込むと海馬がパッと目を開けるので、思わず咀嚼もせずに飲み込む。

「他に何か食べるか?」
「は?」

 海馬が手で指図するだけで黒服がメニューを持って来て開く。彩度の強い写真が並んだメニューをチラッと見るが、正直それどころじゃない。

「あ、……い、いらない。」
「……そうか。」
 また腕を組んで黙るだけ。
「(……え? 今の会話広げるべきだった? え? 私が悪いの? )」
 変な罪悪感すら植え付けられはじめている。とりあえず紅茶を一口飲むと、カップを手にしたまま海馬の動向に注視してみる。

「趣味はあるか。」
「……は?」

 海馬の発言に予測のスピードが追いつかない。いちいち聞き返すなまえにも海馬は少し顔を顰めた。

「いや、デュエル以外に何があるって言うの……」
「……そうだな。」
 納得するのそれ。デュエルだけが趣味って自分で言っておいて、それで納得されるとちょっと悲しい。かといってソーイングとかガーデニングとか女の子らしい趣味なんてものも無いのは事実だ。見栄張って嘘つくメリットもない。
 
「射撃はどうした。」
「アレは趣味と言うよりストレスの発散みたいな……」
「そうか。」
 他に何か喋れないのか。1ミリも会話が進まない。「スゴロクやろうぜってサイコロ回したけど1マスでゴールしちゃった」みたいなのをずっと繰り返してる状態。よくわかんないけどよくわかんない。

「こういう所は嫌いだったか?」
 なまえは海馬の言っている事がよく分からず周りを見回す。豪華な内装に何フロア分もありそうな吹き抜けの天井、有名パティシエが総監修してるようなメニューに、オシャレなカフェの代名詞みたいな面構え。……別に何も悪くはない。
 もしかして、私が喋らないから場所が悪いと思ってるのだろうか。

「別に何も…… まあこんな所へ来るなら、着替えくらいはしたかったわね。」
 制服のままって相当浮いている。今日は海馬まで学ランだ。黒服に囲まれてなかったら場違いな学生が迷い込んで来てしまっただけみたいに映るだろう。

「そうか…… 服か。」
 海馬は何か考えるように肘をついて足を組み直す。
 今更だが、海馬はもしかして……デートしてるつもりなのだろうか。

「ねぇ、念のため聞きたいんだけど───」

 ぱちりと海馬と視線がぶつかる。途端に「デート」という単語が恥ずかしくなり、自意識過剰みたいに思われるのもシャクなのでなまえは一旦口を噤んだ。

「……なんだ。」
「……いえ、なんでもない。」
 海馬の眉間がさらに険しくなる。傾きはじめた太陽がカップソーサーに反射して前髪を照らした。

 海馬は「行くぞ」と言うなり立ち上がって、さっさと出口に向かって行く。なまえも慌てて残った紅茶を流し込み、ナプキンで口を拭ってからそのあとを追いかけた。


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