ほんの数十メートル歩くだけでも息が詰まるような空気がなまえと海馬の間に横たわっていた。
 意を決して海馬に顔を向けると、海馬は既になまえを見ている。グッと言葉を飲み込んでから、再びうるさい心臓を落ち着かせようと努力してからなまえは口を開いた。

「あの、……私もそろそろ別行動したいんだけど」
「ダメだ。貴様もグールズに狙われていないとは限らない。……あまり単独で街を歩くな」

 単独で歩くなと言う割に海馬はさっさと先へ行ってしまう。パズルカードはまだ2枚。最低でもあと4戦しなければ決勝トーナメントに進めない。
 こうしてデートみたいなオママゴトしてる場合じゃないのに。

 またなかなか後を追ってこないなまえに痺れを切らしたのか海馬が苛立たしそうに振り返る。
「貴様、いい加減に───」

「海馬。私と闘うのは決勝トーナメントでって言ったわね。なら、私は今あなたと一緒に歩く意味も時間もないの。悪いけど、もう行かせてもらうわ」

 踵を返して海馬とは反対方向に足を進めた。海馬の返事を聞いていたらそれこそ陽が暮れるだろう。
 海馬も去っていく女の背中を追いかけるようなプライドなど持ち合わせてはいない。思い通りにならないなまえに思わず舌打ちをすると、海馬は襟の通信機に指を伸ばした。

「オレだ。監視対象を1人増やせ。」

***

 導かれるままに入ったサーカステント。そのまま地下への階段を進むと、どこかのビルの地下室らしい場所へ出た。現在地を撹乱させるつもりだろうか。暗闇に紛れるこちらへの視線に遊戯が目線だけ向けた。

「フッ…… 小細工はやめて出て来な、レアハンター!」

「フフフフ……」
 冷たい地下室のさらに地の底から響いてくるような笑い声。革靴の足音と共に現れたのは、道化の仮面に顔のほとんどを隠した男だった。

「ようこそ、私が2人目のレアハンター……パンドラ。別名《ブラック・マジシャン使いの奇術師》」
「ブラック・マジシャン使い?!」

「この世でブラック・マジシャン使いとされているのはみょうじなまえ、そして武藤遊戯…… あなたも《ブラック・マジシャン》を使いこなし、あらゆる敵を倒してきたことは知っています。だが私こそが“マスター・オブ・マジシャン”! 私のブラック・マジシャンに勝てる者などいない!」

「それはどうかな? デュエリストは数あるカードの中から己の信じたカードを選び、デッキを構築する。だがカードもまたマスターであるデュエリストを見極める。カードとデュエリストの2つの心が信頼の絆で固く結ばれたとき、カードの真の力が発揮されるんだ!」

 遊戯はサッとデッキをホルダーから取り出すとシャッフルし始めた。
「レアハンターのお前にデュエリストの心が、はたしてあるかな?」
「くっ」

 シャッフルしたカードの1番裏上のカードを巡ってパンドラに見せる。
「フッ 受けてたつぜパンドラ!」
 遊戯の紫の衣を纏ったブラック・マジシャンが、遊戯の後ろで腕を組んでパンドラを見下ろした。
「オレの《ブラック・マジシャン》が、貴様を倒す!」

「フフ…… さすがですね。こうも潔くデュエルをお受けくださるとは、とても光栄です。さて、この部屋は些か狭い。特別なデュエルリングを用意してありますので、どうぞ?」

「デュエルリング?」

 パンドラの手を差し伸べた先、さらに地下へと続く階段が床に口を開けて遊戯を待ち構えていた。

***

 海馬から解放されたはいいものの、なまえに行くあてなどない。とりあえず人目が嫌で、ジメジメと薄暗い路地裏ばかりに足を踏み入れてしまっていた。

 遊戯か舞を探してみようかと思っても、すぐにこの前2人の遊戯がやらかしてくれたデートのブッキングの時に童実野町中を1日駆けずり回された記憶が蘇る。考えなくてもまた苦労するのが目に見えていた。
 なまえはため息まじりに千年秤をベルトから抜き、安易な気持ちで中心のウジャド眼を覗き込む。

「遊戯……」

 千年パズルの描かれたあの石盤が脳裏に焼き付いて離れない。3枚の神のカード、闘い続けている王と神官、ブラック・マジシャンと青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン、……そして、あれはきっと私の姿。

 自ら臓物を捧げる、生け贄。


 突然ウジャド眼から強い黄金の光が放たれた。
 真っ直ぐになまえの目を貫く。痛いほどの眩しさなのに目を閉じることも、顔を逸らすこともできない。

 千年秤の中央の瞳。その黄金の鏡面に、自分の顔に向かって伸びる邪悪な手が映り込んだ。

「───! ヒッ」

 違う、千年秤から伸ばされているんじゃない。千年秤の鏡面に映り込んでいるだけ。自分に向けて伸びた手が出ているのは───

 光の中でそれを目にしそうになったとき、見覚えのある青い手がなまえの顔を覆った。

 覚えている。あの時もそうだった。同じ震慄が耳鳴りのように世界を覆い隠していく。まぶたの裏で見えないブラック・マジシャンの姿を感じるしかできない。なにかを見そうになったとき、ブラック・マジシャンはいつもこうして目を塞ぐ。
 なにを見せたくないの、どうして教えてくれないの

 胸が焼けるように痛い。

 だが千年秤からの光が消え、手の力が抜けて落としそうになったところでハッと目を開いた。

 ビルの壁面に反響する街の雑踏、薄暗い路地裏。肩で息を整えて、早鳴る心臓を落ち着かせようとする。そうしてただ滝のような汗を流してそこに茫然と立っていた。
 まぶたにはまだあの青い手の感触が鮮明に残っている。

「なん、なの……」
 千年秤を手に持ったまま体を抱え込み、なまえはその場に膝をついた。

***

「サァどうぞ、ここが私たちのデュエルリング───」

 先導していたパンドラが鉄のドアを開け放つ。まるでイリュージョンショーのステージのような内装、そして円形の一段下がったフロアの中央にテーブルがあった。
 そこへ足を踏み入れた遊戯に、パンドラはニッと大きく口を吊り上げる。

「パンドラの部屋です。

  どうです? この趣向は。カードを操り、時に悪夢をも売ることが奇術師の生業。ブラック・マジシャン同士のデュエルには申し分ない舞台かと…… ソリッドビジョン・システムはここのものを使います。海馬コーポレーションに知られたくないのでね。
  それではそれぞれ入念にシャッフルをしましょう」

 中央のテーブルに向き合い、デッキのシャッフルを始める。パンドラは慣れた手つきでテーブルの上のデッキをふたつに割った。
「ショットガンシャッフルは、カードを痛めるぜ」
「フフ、私にはこのやり方が手に染み付いてましてね」

 あからさまに顔を顰める遊戯にパンドラは画面の下で目を細める。
 遊戯は警戒しながらも自分のデッキをテーブルに置いた。
「カットさせてもらう」
「どうぞ」

 パンドラと遊戯は、それぞれ相手のデッキを3つに分けて並べ替える。
「ギャンブラーの間には、古くからこんな諺があります。
  Don't cut your relationship with friends 友達は信用すべし,
  But you should cut friend's card.だが、カードだけはカットせよ
  ……とね。」
 遊戯は白々しいとばかりに鼻で笑うと、カットしたパンドラのデッキから手を離して自分のデッキを取り上げる。

「しかしせっかくこのようなデュエルの機会を得たことですし、友好を深める意味でもあなたには存分に楽しんで頂きたい」
「ハッ…… 友好だと? 無理だな、貴様らとなど!」
「フフフ…… そうはいきませんよ」

 ガクンと揺れた床に驚くが早いか、足元が突然後退すると鉄の枷が遊戯の両の足首を捕らえる。パンドラが仕掛けた張本人なのだろうが、足枷に捕らえられたのはパンドラも同じことだった。
「これで互いにこの場から逃げることはできない! 今からあなたにわたくし奇術師パンドラの、世紀の大脱出ショーをお目にかけましょう!」
「なに?!」


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