諦めずに積み上げられた段ボール箱。そのバベルの塔が聳える部屋に迫る足音が鉄の扉越しに響いた。
「早く、アイツらが来るわ!」
 下で箱を渡す役をしていた杏子が声を上げる。上段でモクバの足元を支えていたなまえが急かすように見上げるが、モクバは窓を開けている突っ張り棒を掴めはしていても、まだほんの少し遠すぎて体を持ち上げられずにいた。

「モクバ君、ちょっとだけ我慢してて」
 なまえがモクバの足元の段ボール箱から片手を離すと自身の腰からバックルを外してベルトを引き抜き、デッキケースごとモクバに渡した。
「そこの棒に掛けて」
「ありがとう!」
 突っ張り棒に引っ掛けてロープ代わりにすると、モクバはやっと足を窓枠に掛けることができた。だがいざ外に飛び出そうとしたとき、ハッとして振り返る。

「なまえと杏子は……?!」

「アタシ達は大丈夫!」
「それより、早く海馬と遊戯に───」
 そこへ扉が開かれ、男達が部屋に押し入ってきた。

「貴様ら!」
「───! 早く!」
「キャアッ」

 杏子がまず捕まり、その悲鳴にモクバとなまえに緊張が走る。ガクッとなまえの足元が揺れ、振り向けば後の2人の男が箱によじ登り始めていた。

「……! モクバ君、グールズが私のカードを奪わないとも限らないわ。だからお願い、そのまま預かってほしいの。……どうか海馬に届けて」
「え…… おい、なまえ!」

 なまえは辛そうに笑って見せたあと、グッと唇を締める。そして意を決して2人の男を巻き添えに自ら飛び降りた。
 いっぺんに足元が崩れ、窓枠に足をかけてなんとかぶら下がるモクバは埃の舞う中になんとか段ボールと男2人をクッションに起き上がるなまえを見た。杏子も離れていたおかげで無事だが、杏子を捕らえていた男も無事だ。

「なまえ、杏子!」

「うっ……く、」
 痛みに呻くなまえを前に、杏子はその意思を汲み取ってモクバを見上げた。
「アタシ達のことはいいから、早く逃げて!」

「……! 必ず助けを呼んでくる!」
 モクバは窓を抜けて屋根に飛び出た。なまえが差し出したベルト─── そのデッキケースを抱きしめ、屋根伝いに駆け出す。

「くそ、コイツ……!」
「あう……!」
 下敷きにされながらも立ち上がった男が、なまえの長い髪を掴み起こす。
「やめなさいよ! あっ……!」
 口を挟んだ杏子も腕を背中に回されて痛みに悶えた。

「小僧を逃すな! 追え!」
「おう!」
 残りの1人が外へ駆け出すのを、杏子となまえはただ見送るしかできない。

「(頼んだわよ、モクバ君)」
「(お願い、どうか無事で……)」

***

「俺のターン!《ホーリー・ドール》(★4・攻/1600 守/1000)召喚!」
 闇の仮面はブルーアイズよりも声撃力の高いモンスターを召喚した。海馬はそれを侮っていたが、遊戯はすぐに何かあると警戒する。

「ホーリー・ドールでブルーアイズを攻撃だ!」
「ヒヒヒ! この瞬間リバーストラップ……《弱体化の仮面》!発動だかんな!」

「弱体化?!」
 海馬の顔色が変わる。ブルーアイズに弱体化の仮面が装着され、攻撃力が700ポイントダウンする。

「さらに、《凶暴化の仮面》!」
「───!」

 ホーリー・ドールとブルーアイズの攻撃力は完全に反転した。攻撃力2300のブルーアイズに、攻撃力2600にアップしたホーリー・ドールが飛び掛かる。
 打開策のない海馬が息を飲んだとき、またもや遊戯が前に出た。

「そうはいかないぜ! リバーストラップ発動!
  《聖霊の鏡》!!! このカードでお前のパワーをいただくぜ!」

 ホーリー・ドールから凶暴化の仮面が取り払われると、ブルーアイズに付けられた弱体化の仮面の上に凶暴化の仮面が装着される。
 攻撃力を3300にまで取り戻したブルーアイズが口を開け、光球にその首を伸ばす。

「迎え撃て! “滅びのバーストストリーム”!!!」

 ───力とは何だ? 己が生き抜くためにたったひとつ信じられるもの。それこそが力! 戦いにおいて己以外は全てが敵。力とは敵を叩き潰し、己の絶対領域を守るために与えられた武器なのだ。

 ───それは己自身のためだけに存在すればいい

 ブルーアイズの攻撃がホーリー・ドールを粉砕する。大きな風が闇の仮面を襲い、海馬のコートの裾が激しくなびく。

「(“結束の力”。……この力は、それをも超えているというのか)」


「ううっ、俺のライフが!」
闇の仮面(LP:2000)
「相棒、大丈夫か?」
 狼狽る闇の仮面に光の仮面が慌てて宥めにかかる。だが闇の仮面は逆上したように声を荒げた。

「俺はお前が攻撃しろと言ったから攻撃した。だがこの有り様だ!」
「なにッ 俺のせいにする気か?! お前だって見抜けなかったクセに!」
「うるさい!」

 喚き散らす闇の仮面に負けじと光の仮面も語調を強める。その様子を遊戯は静かに眺めるが、チラリと海馬にも目を向けた。
「(このまま奴らを分断させれば…… だが完全な勝利は、オレと海馬の結束力にかかっている)」


「(我々のフィールドに、壁となるモンスターはいない。次のターンでブルーアイズの攻撃を受けたら、俺は爆発に巻き込まれて───)」

 闇の仮面に、最悪の結末のイメージが沸き起こって脳裏に上映までされてしまう。それを振り払うように、闇の仮面は手札に手を差し向けた。
「(こうなったら相棒には頼らん。自分の身は自分で守る!)」
 指でなぞった手札の中から1枚を抜き取る。

「リバースカードを1枚セット! ターン終了!」

***

 なまえは後ろ手にパイプ椅子へ縛られていた。ただ真っ直ぐに薄暗い、狭い部屋を眺めている。……杏子は別の場所へ連れて行かれた。杏子のことはもちろん心配だが、自分がどうなるのかさえ見当がつかない。

 ザリ、という、砂粒がコンクリートの床で轢かれる音。その重量感ある足音は聞き覚えがあった。壁に向けられた身体から顔だけ少し後ろに向けると、視界の端にさっきの男が立っているのが見えた。

「またあなた」

 代わり映えがないとでも言うように吐き捨てると、なまえはまた背を正して前を向く。
 リシドが小さく息をついてから前に回り込むと、その手にある千年秤がなまえの顔色を変えさせた。

「……ッ! 私の千年秤!」
「既に千年秤の所有者は私に移った。千年秤は、私を選んだ」
「バカ言わないで。それは私が───」
 千年秤から顔を上げて男の顔を見たとき、やはりグズグズと痛む胸がなまえの魂を震わせる。

「……あなたは誰」

 目を細めるなまえに、リシドの瞳が揺れた。その僅かな揺らぎをなまえは見逃したりはしない。薄暗くとも、なまえにはもうその顔がはっきりと見えている。
 おそらく10近く歳上なのだろう。それ故に所々骨張って精魂逞しくなった顔立ちに隠されて、最初は見間違いかとも思っていた。だがこうして真近く見るにつけ、目鼻立ち、額、口もと…… その目尻から頬へ伸びるアイラインも、まるで生き写し。もちろん違う雰囲気を纏ってはいる。それでもなまえにはこの男の顔が、概ね知った顔に似ていると感じられた。

「どうしてブラック・マジシャンに似た顔をしているの」

 その瞳に、なまえは必死に目を凝らす。若草色に煌く黄金の瞳。この男を見れば見るほど、まるで自分ではない誰かがドアを叩くように心の奥底が震え、心臓が高鳴る。
「愚かな。私にカードのモンスターを重ねて、そこに一体なにを求める」
「……ッ、あなたこそ、私を捕まえてどうするつもりなのよ」
 負けじと唇を噛んで睨みつけた。その問いにじっと黙るリシドに、なまえは冷笑を浮かべる。

「やっぱりレアカード目当てってわけじゃないのね? 昨日、遊戯に用意されていた命懸けのデュエルリングを見た時から、……なんとなく気が付いていたわ」
 なおも沈黙を続けるリシドに、なまえは余裕でも装うかのように長めの息をつく。後ろ手に縛られた腕に構わず、大胆にも伸ばしていた背をパイプ椅子の背もたれに預けるなり脚を組んで不敵に笑った。

「それで? 杏子や城之内まで利用して遊戯の命を奪いたい理由は何? ……もし私まで殺すつもりなら、それくらい教えてくれてもいいんじゃないの」

「なぜ、自分まで殺されると思う」
 やっと口を開いたリシドに、なまえは目を細めて首を傾げる。
「グールズの狙いが遊戯だけなら、モクバ君まで捕まえる必要はなかった。つまり海馬も標的ってこと。……これは闇のゲームに関わっている人間───
  そうね、例えばあの“名も無きファラオ”の記憶の石盤に関わっている人間を狙っているんじゃないかって考えただけよ」

「己があの石盤に描かれた女だと自覚していると言うのか」
「あら、違ったならそれに越したことないんだけど」
「……」

 リシドはチラリと目をなまえから逸らして、その背後に立つマリクに向けた。その視線に、後ろに誰かいるのかと気が付いて首を後ろに向ける。だがどんなに体をずらしてもなまえの視野にマリクは届かない。

 マリクが静かに頷くと、もがくなまえにリシドは千年秤を突き付けた。
「……! む、ムダよ。私に千年秤の力は通じない。千年秤の所有者は私なんだから!」
 冷たい汗が背中に流れ、必死に震える心を覆い隠す。
 自分で千年秤を扱い熟せた時などなかった。それは自分が一番よくわかっている。闇の力がどれだけ自分を蝕むかもよく理解している。だからこそ、それを悟られないためになまえは嘯いてでも強気に出た。

「───ッ!」
 リシドが目を閉じると、額にウジャド眼の紋章が輝く。いざ強い閃光がなまえを射抜こうとしたその瞬間、なまえは顔を背けて目を閉じた。

***

「……!」

 海馬のターン宣言の横で、遊戯は糸で引っ張られるように遠くの方へ顔を向けた。耳元で冷たい息を吹きかけられたような、なんとも言えない騒めきがその背骨伝いに這う。

「(───なまえ?)」



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