青い光がまぶたを撫でた気がした。

 大きな金属音に目を開けると、千年秤を持っていたはずの空の手を掴んで顔を顰めるリシドが片膝をついている。千年秤はそのさらに後ろへ転がされ、2つの杯はそれぞれバラバラの方向を向いていた。

 背後から自分を護るように肩へ回された半透明の青いもの、そして千年秤を弾いたのであろうもう一方の、見覚えのある長い杖。

「ブラック・マジシャン───! ……え、」

 だが見上げた先にあったのは、完全な姿のブラック・マジシャンではなかった。揺らめく青白い半透明の影とも光ともつかないシルエットに、煌めくふたつの眼。

 どうして、と心の中で呟いたとき、ふいにモクバにデッキを預けたことが脳裏に蘇る。
 息を飲んだ。───今まで、私はブラック・マジシャンのカードをこの身から離したことなどなかった。もしカードという媒体を通していなかったら、私が知る彼の存在はこの薄ぼんやりとした影に過ぎないということなのだろうか。

「(それだけ、……私はブラック・マジシャンの本当の姿を知らないとでも言うの?)」

 穿たれた感情の杭に心を動かしたのはそこまでだった。
 本当に杭を穿たれたのは、ブラック・マジシャンの方だったのだ。

「───!」

 顔のすぐ横を金色の、剣のような長い杭が奔る。その黄金の鏡面には、目を見開いた自分の顔が写っていた。
「ブラックマジシャン!!!」

 ブラック・マジシャンの姿が砕け、肩を抱いていた質量感も消える。ブラック・マジシャンを貫いたそれが千年ロッドだと気付くのは、視界の端にもう1人の褐色の肌の男の腕が入ってからだった。
「誰……?!」
 振り返って限界まで回した首が、ブラック・マジシャンの霊体とも言える半透明の身体が砕け散っていくその向こうの男の顔を視界に捉えようとしたとき、その視界を塞ぐように千年ロッドのウジャド眼が突き出された。
 黄金の眼の中央、深淵の底すらもない闇を抱えた窪み。それを覗いてしまったとき、ガラスに亀裂が入ったような衝撃がなまえの心を軋ませる。

 バキリ。そんな簡単な音を立ててなまえの中の何かが壊れた。


「やっぱり千年ロッドにだけは逆らえなかったみたいだね」

 澱んだ目を開けたまま項垂れるなまえを前に、マリクはやっと口を開いた。その声はもうなまえ自身には届いてなどいない。なまえを縛る椅子を横切って彼女の前に立つと、千年ロッドの頭でなまえの顎を持ち上げてその顔を自分の方へ向かせた。

「チッ、……忌々しい。あのファラオと同じ色の瞳、似た顔付き─── フフフ、これから苦痛に歪み、血に汚れるのを見るのが待ち遠しいよ」

「マリク様、」
 千年秤を拾って歩み寄るリシドに、マリクは口元に笑みを浮かべたまま振り返る。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ございません……」
「フン、今回だけ特別だよ。この女を守護する精霊…… それが邪魔に入るであろうことは僕も分かっていたからね。無論、千年秤ではそれに対抗できないことも」
 冷ややかに笑いながら、マリクは千年ロッドを持ち上げてそのウジャド眼を撫でる。

「この千年ロッドが僕を選んだ…… それこそ僕が新たなるファラオになるための啓示そのもの。だが因習を破るための儀式に“王女”は必要ない。
  この女には別の役目でたっぷりと働いてもらう。フフフ……」

 ハハハハハ、と高笑いをするマリクに頭首を垂れながらも、千年秤を握るリシドの手には力が入っていた。

***

 ───ちからちからちから

「(そうだ。最強にして無敵の青眼ブルーアイズ! これこそがオレの力ではないか!)」
 海馬の心に共鳴するかの様に咆哮を上げるブルーアイズに、海馬は攻撃命令をした。

「ブルーアイズよ、敵を蹴散らせ! 攻撃は闇の仮面へのダイレクト・アタック!」

 一瞬気を取られていた遊戯が海馬の“ヤケ”とも言える攻撃宣言に目を見開く。
「(確かに攻撃が通れば、闇の仮面は倒せる。だがこの攻撃は余りにも単調すぎる! 海馬ほどのデュエリストならそれは分かっているはずだ!
  海馬は一体なにを───!)」
 遊戯の読み通り、攻撃の閃光が差し迫るその瞬間、闇の仮面はリバースカードを発動させた。

「フフッ!《鉄壁の仮面》! この仮面が盾となり、プレイヤーは1ターンのみ、敵の攻撃から身を守ることができる!」
 ブルーアイズの攻撃と闇の仮面の間に現れた《鉄壁の仮面》により、攻撃がかき消される。
「ブルーアイズの攻撃は通らん! 残念だったな海馬!」
 さも嘲笑うかのように大口を開けて高笑いをする闇の仮面に、海馬は重ねて笑った。そして不敵な笑みを浮かべたまま、光の仮面に顔を向ける。

「命拾いをしたな」

「な、なに?!」
 突然そんなことを言われて、光の仮面がほんの僅かに縮こまった。
「オレのブルーアイズは、このターンお前らのどちらでも直接攻撃を仕掛けられた。……お前を狙うことも出来たわけだ」
 ハッとした光の仮面が、自身のおぞましい光景を浮かべて食いしばる歯に力が入る。

「そうなった場合、果たして貴様の相棒は、貴様を守るために魔法マジックカードを発動させたか?」

 部屋の隅に追いやられたネズミでもいたぶるかのような海馬の青い目が、なお冷たく、真っ直ぐにその仮面の下に隠れた小男を射抜いた。その“恐れ”を抱かせた光の仮面の目に宿ったのは、海馬や遊戯への敵対心ではない。
 疑惑や不信感を孕んだ目で、光の仮面は闇の仮面に顔を向けた。
「な……なにをバカな! お前を守るために、間違いなくオレは魔法マジックカードを発動させた! 絶対だ! オレを信じろ!」

 慌てふためく闇の仮面と、猜疑心を抱いた光の仮面。にわかに入った亀裂が、いまさらに大きな裂け目となって光と闇の仮面の間に横たわる。
「(そうか! 海馬は奴らのチームワークを分断させるために……!)」
 また小さな諍いを始める2人の仮面の男を前に、海馬は「フン」と小さく鼻で笑う。その横顔を、遊戯も納得したような顔で眺めた。

「(海馬の言う通りかもしれない…… 闇の仮面は図体がデカイからって、いつも威張ってるトコあるかんな)」
「(クッソー…… 海馬め、余計な事を言いおって)」

***

 車窓は一面深い青の海だった。それを縁取る深緑の木々も、白い雲のたなびく空も、窓際に座る静香の包帯に包まれた目が感動を覚えることはできない。
 静香を病院まで迎えに行っていた本田は、静香と共に童実野町に向かう特急電車へ乗っていた。

「私、いざ包帯を取ってもいいって言われると…… 段々不安になっちゃって」
 ぽつぽつと口を開いた静香に、窓の外を眺めていた本田が正面に向き直る。ボックス席の対面に座る静香は、自分を勇気つけるかのように右の手で左腕を握って肩を竦また。
「ダメですよね、せっかくお兄ちゃんに勇気をもらったはずなのに」

「でもデュエルに立ち会ったら、包帯を外せるよな?」
「はい、……お兄ちゃんに会ったら、きっと勇気が出せる気がします」
「あなんヤツでも、静香ちゃんには“いいお兄ちゃん”なんだな」
「ええ。いつも私に勇気をくれる……世界でいちばん大切な人なんです」
 照れたように笑う静香に、本田は純粋に城之内を羨んだ。

「(くぅ〜! オレもそんな事言われてみてぇ……! 城之内、てめぇ……幸せ者!)」

***

「城之内?」

 コンテナのような狭い倉庫の扉が開く。両手を椅子に縛られた杏子が顔を上げた先、逆光ではあるがそのシルエットが城之内のものであるとすぐに分かった。

「城之内! 無事だったのね。……何してるの? 助けに来てくれたんじゃないの?」

 いくら声を掛けても、城之内はただ立っているだけで返事とごろか微動だにしない。様子がおかしい事に杏子が違和感を感じているところに、城之内の背後からもう1人の大きな影が差し込んだ。

「……!」
 はっと目を見開いた。フードを目深く被った大男…… 金色の目が杏子を捉える。
 重苦しいまでの威圧感に、杏子の肩が強張った。



- 216 -

*前次#


back top