目を閉じて引いたカードに恐る恐る目を開ける。海馬は直感した。命に代えてでもなまえの心を取り戻せと、天が命じたのだと。

魔法マジックカード《命削りの宝札》! 手札が5枚になるようドローし、5ターン後に全ての手札を墓地に捨てる!」
(手札2→1→5)

「この土壇場で手札増強カードを引いた……?!」
 目を見開くなまえに、海馬はドローした4枚のカードから顔を上げた。

「いくぞ!!! 魔法マジックカード《クロス・サクリファイス》! 貴様のフィールドの《エルシャドール・ネフィリム》と《カオス・ソーサラー》を、モンスター召喚の生け贄にする!
(手札5→4)

  なまえ、オレで役不足だと言うならオレが会わせてやる─── お前の心に直接触れられる、お前のモンスターにな……!

  現れろ、……《ブラック・マジシャン》!!!」

「───!」

***

 海馬の背中に回していた腕を引いて、なまえは離れようとその胸を押そうとした。しかし上に乗った体はビクともしない。
「……! 離して、あなたは海馬じゃない!」

『マスター』

「!」
 なまえを支配していたものが再び見せた顔は、ブラック・マジシャンのものになっていた。青い肌のその手がなまえの片方の手を取り上げ、静かに口へ寄せる。

『マスター、恐れながら……私はずっと貴女とこうしたかった。どうか今だけお許しを───』

「……! やめて」

『それとも、オレが良かったか?』
 次に向けられたのは、同じ紫色の瞳。闇の人格の方の遊戯が不適に笑う。

『選択肢は幾らでもある。どれを受け入れても、お前は女として、人間として満たされる』
 遊戯とは少し違う物言いに、なまえが顔を背けた。だが次にその頬を撫でて正面に向けさせたのは舞だった。

「ま、舞さ───」
『なまえ、アンタさえ良ければ、アタシは……』
「違う、こんなの私が望んだものじゃない!!!」

 ぱさり、と顔に落ちたのは、自分と同じ赤い髪だった。
 どこまでも冷たい目をした自分が、海馬やブラック・マジシャン、遊戯や舞がしたように、なまえを覆うようにしてそこにいる。

「……、あ……」
 同じ赤紫色の瞳。でもそのポッカリと口を開けた瞳孔は、千年アイテムのウジャド眼の瞳孔と同じもの。それを覗いてしまったせいで、なまえはそこから目を離す事ができない。

『つまらない。あなたは欲しがるばかりで、与えようとはしない。誰かに愛されたいと願うばかりで、決して自分はその人を受け入れない』

 首に指を絡めると、もう1人の自分は体を起こして髪をかき上げた。
 クンッと締まる首に息が詰まる。夢のはずなのに、痛みや苦しみは確かに首の薄い皮膚を通して脳を直接叩く。
『善良な部分の私。だけど臆病で、愚かで、脆弱。あなたは自分の事さえも受け入れず、“私の容れ物”として空っぽのまま誰のことも愛せない。だから千年秤もあなたを見捨てた。』

「……! う、ぐ……ア“……あなたは、誰……?」

 自分の体に跨がって首を緩やかに締める、自分の姿をしたその人物にそんことを問い掛ければ、彼女は鬱陶しいとでも言うようにより一層目を細めてから、首を絞めていた手を離した。

 気道が解放されて大きく息を吸い、咳き込んで震える肩にまた掴みかかる手が襲う。そして首を離れた片方の手が鎖骨を這い、下へ下へと伸びた。
 胸の真ん中─── あの痣へと指が絡みつくと、まるで最初から皮膚や肉、あるべき質量などなかったかのように、腕が体の中へと入り込む。

「───ヒッ」
 とぷり、と肘まで溶け込んだその腕に目を見張る。痛みはない。それでも心を直接触られているような何とも言えない感触に呼吸をすることさえ忘れてただその“接合部分”を覗き込むしかできなかった。

 なにかトゲのようなものがある。
 再び腕を引き抜かれたとき、黄金の錫杖がなまえの目に飛び込んだ。

「(千年ロッド……!)」

 一瞬、自分に跨った自分が海馬の姿と重なった。あの時見た、この千年ロッドで胸を突き刺した男の姿の映像と共に、ひどい嘔吐感と頭痛が蘇る。
 両手で千年ロッドを握って、恍惚とした表情で微笑む自分の顔。だが彼女は自分ではないと理解していた。同じ姿をした、何かまったく次元の違うもの。

『忘れたの? 私に血を与えたのはあなたの意思だったでしょ?』

 上に跨ったままのなまえの姿をしたものが、なまえの脇腹に残る銃創を撫でる。息を飲んでその目を見つめた。……デュエリストキングダムで、なまえはペガサスによって封印された海馬とモクバ、そして遊戯の祖父である双六の魂の解放を千年秤の力で遂げた。
 代償に、自分の血を捧げて。

「───千年秤……?」

『あなた本当に短絡的ね、つまんない。これじゃ今世もダメそうね。さっさと死んでまた次頑張ってよ』

 なにもかも諦めた顔。なまえはその顔を何度か鏡で見たことがあった。いま目の前の彼女が浮かべたその顔に、同じ程の失望があるのだと悟る。まるで子羊でも屠るかのように片手で首を押さえると、彼女は千年ロッドの剣をゆっくりと振り上げた。

 このまま死ぬのだと静かにそう思った。それでも自然とそれを受け入れられる自分がいる。……そう、多分、私はもう何度も経験している。
 《今世もダメだった、また次頑張ればいい。》───でも、誰がそんなこと言い出したんだっけ。


 千年ロッドが振り下ろされる瞬間、千年秤の杯に乗せられた時のように体が一度大きく落下してまた何かに受け止められた。

「……!」

 あまりにも小規模な天変地異。その揺れに目を覚ませば、見たことのある真っ暗闇の中で軋む、千年秤の片方の杯の上。ただ、地面はすぐそこ。定員オーバーだとでも言うように限界まで下に落ちた腕に吊り下げられた杯の中で、なまえは体を起こす。

 今まさに私を殺そうとした私を後ろから抱きしめて、千年ロッドを持った腕をしっかりと掴むブラック・マジシャンが、同じ杯の中にいた。

「ブ、……」

 それ以上の言葉が出なかった。まるで眠る子を起こさないようにとでも言うように、ブラック・マジシャンは指を立ててなまえの唇に寄せる。

 ブラック・マジシャンの腕の中に納められた方の自分が振り返って目を合わせると、彼女の手から千年ロッドが滑り落ちた。最初から千年ロッドなど無かったかのように、それはソリッドビジョンのように砕け散る。

 彼女が泣きそうな顔でブラック・マジシャンに抱きつこうとした瞬間、ブラック・マジシャンはなまえを押して、千年秤の杯から突き落とした。
 底のない闇へ体が吸い込まれていくそのゆっくりとした映像の中で、ブラック・マジシャンのことを知らない名前で呼ぶ彼女の唇がなまえの目に焼きつく。

 彼女は私じゃない。ブラック・マジシャンも、ブラック・マジシャンではない。そう思いながら、なまえは自分が杯から溢れたことで腕を等しくする千年秤を見つめ、落ちていった。

***

「───ア”ッ うぅ……」
 なまえが初めて顔色を変えた。頭を抱えてよろめき、ゴンドラを吊す鎖に捕まって膝を折りそうになるのを必死に堪える。
「なまえ、……!」
 海馬の呼びかけに応えはない。それでも肩で息をして喘ぐなまえに、海馬は一縷の望みを見た。


『(……! 僕の洗脳が解けかかってるだと?!)』
 城之内と遊戯に集中していたマリクが焦りを見せる。
『(だが女の精神はまだ心の奥底に眠っている。クソッ…… 僕の手を煩わせるな! 言うことを聞くんだ!)』


「う、ぐ……」
 頭が割れんばかりの激痛に顔を押さえながら、脂汗すら流してなまえが顔を上げた。掴んでいた鎖で体を起こし、震える膝を必死に立たせると、揺れるゴンドラに足を踏み直す。

「フ、フフフ…… ブラック・マジシャン。まさか私のデッキから、抜いていたとはね……」
「……ッ」

 青いブラック・マジシャンを挟んでなまえを見つめる。今まさに、なまえは光の仮面やオシリスを持っていたレアハンターのように操り人形にされている。ブラック・マジシャンですらなまえを目覚めさせる事は出来ないというのか。
 海馬は手を握りしめた。残る手、それはこのデュエルでなまえを殺すことしか無い。
「(ヤツらの手に掛かるくらいなら、いっそオレが───)」

 ふいにブラック・マジシャンが海馬に振り返った。フィールドに召喚したモンスターが、まるで意思を読み取ったように目を細めて海馬を見下ろす。
「……!」
 1体のモンスターと言うには余りに強い視線をしていた。まるで、「もし見放すならば許さない」とでも言うようなその目に、海馬の背中が震える。

「(……ッ クソ、ただの魔術師風情が!)」
 海馬は手札に手を向けた。

「オレのターンは終わってない。オレは手札から《死者蘇生》を発動!
  《青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン》を墓地から蘇らせる!!!」
(手札4→3)

 咆哮を上げたブルーアイズがブラック・マジシャンの横に並ぶ。なまえがそれをゆっくりと見上げた。
「これで終わりだ! ブラック・マジシャン、なまえの体からマリクを追い出してやれ!!!」

 なまえのフィールドに壁モンスターは居ない。このダイレクト・アタックが入れば、なまえは───



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