つくづく哀れな女だとでも思ったのだろうか。

 そう思って目を伏せるしか出来ないと言うのならば、せめてこの白く血の気の失せた肌に一度でも爪を立てて欲しかった。私に出来るのは震える体を必死に堪える事だけ。誰も私を罰して、咎めようとはしない。
 私の体をふたつに裂くなら、どうかその両方を地獄に落として。そうして初めて太陽神ファラオの祝福がこの血をぶどう酒に換え、砕いた骨も穀物になる。それ以上の幸福は、きっとこの世に存在しないのだから。
 そう、分かっていた。いつか引き裂かれる運命なのだと。だから短い時間にあって、命をかけて愛し合ってきた。なのにどうしてあなただけが罪を背負い、その首を撥ねたの。

 どうして貴女は、私を一言も責めなかったの。


「リバースカード、───《王家の生け贄》!」

 私からそのひとを奪わないで、そう口にしていれば、私もこの首を撥ねてもらえたろうに。


 なまえはただ呆然と開かれたカードを見ていた。お腹から杭で打たれたように何かが溢れ出し、内臓のひとつひとつを地に落とすような感覚さえある。興奮のような湧き立つ感情とは裏腹に体は冷たく、ただ水を浴びたような汗が吹き出して体温を奪っていった。

「このカードは《王家の眠る谷》が存在する時にのみ発動できる魔法カード。わたくしのフィールドは《墓守の巫女》の効果によって、《王家の眠る谷》が適用されています」

「(───もうやめて、)」

「その効果は、互いの手札にあるモンスターカードを全て墓地に捨てるもの。これでこのターン、貴女は守備モンスターをフィールドに出すことはできません。……貴女の手札にあるブラック・マジシャンも、《王家の生け贄》のもとに墓地へ送られる!」

「……!」
 負ける? 私が、ここで負ける?

 揺らぐ視界をイシズから手札に落とす。5枚の手札のうち、モンスターカードは3枚。たった2枚の魔法カードで、次のターン、墓守の巫女のダイレクト・アタックをどうやり過ごす?

「さぁ、モンスターカードを全て、墓地にお捨てなさい」

「ブラック・マジシャンを、墓地に、」
 ───王家の生け贄に


「(……決まったな)」
 海馬はそう目を伏せる事しかできなかった。青ざめて震えるなまえを見ていたところで、分かり切った結末をわざわざこの青い眼に焼き付けようとは思わない。
「(イシズという女、確かにマリクの姉を名乗るだけはある。相手のプレイングを封じ、最後の一枚まで容赦なく羽根を毟り取るような戦術…… なまえのデッキでは相性が悪かった)」
 これで神のカードを賭けた闘いになまえを巻き込まなくて済む。実際になまえの敗北によって望んでいたことが叶おうとしていると言うのに、なぜ手が震えるのか。
 込み上げる怒りは、滾る感情は何だ?


「諦めちゃだめだ!」


「……!」
 驚いて振り返ったのはなまえだけではない。誰もがスタジアム中に響いた声に目を向けた。おそらく、声の主も自分で自分に驚いたようで、急に浴びせられた注目の視線にハッとして周りを見回す。
 遊戯は赤くなりかけた顔で、吹っ切ったようになまえを見上げた。

「手札の数だけ可能性は残されている。それは運命とかじゃない、カードを信じるなまえの心に応えた、デッキが示したなまえ自身の未来への道なんだ! そこで諦めたら、なまえを信じて応えたデッキを裏切る事になる。だから最後まで闘って!」

「遊戯、……」
 意外だったと言えばその通りだった。闇人格ではなく、表の人格の遊戯が声を張り上げたことに、そして至極真っ当なことを言われ、背中を押されたことになまえは少し呆けた顔のまま目を見開く。

「そうだぜ、なまえ! 諦めんじゃねぇ!」
「アンタはこんな所でクイーンの座を明け渡すような女じゃないでしょ?! 誇りがあるなら、最後まで堂々と闘いな!」

「城之内、舞さん───」
 首を回した所で、視界の端に海馬が映る。正直そちらに目を向ける勇気はなかった。それでも唇を噛んで僅かに目を向ければ、確かに海馬の青い目がパチリと合う。


 いまのあなたに、私はどう映っている?

 海馬は目を伏せたり逸らしたりするでもなく、ただじっとなまえの目を見つめた。それだけで青ざめていた顔に血色が戻りだし、震えていた体は大地に根を張る幹のように不動と成る。
 なまえの体からは怯えが引き裂かれ、ただひとりなまえ自身がここに残っていた。そうして初めて心臓イブは静けさのうちに動脈を叩いて囁く。
 この世に望んだ幸福は、ただの1人の男にしかないのだと。


 なまえは正面に向き直るなり、手札から3枚のモンスターカードを取り除いて墓地へと送った。迷いや未練が無かったわけではない。それでも、なまえは自分の肺が息を止めていられるだけの間ほどの静かな心で、淡々と《ブラック・マジシャン》のカードを墓地へと葬った。
 その様子にイシズも違和感を感じて、やっと眉端を動かした。だがすぐにイシズも手札から2枚のモンスターカードを抜いて墓地へと送る。

わたくしがいま墓地へ葬ったのは《墓守の呪術師》と《墓守の番兵》。墓地の墓守が8体になったことで、《墓守の巫女》の攻撃力が上がります」

《墓守の巫女》(攻/ 2700→3100)

イシズ(手札5→3)
なまえ(手札5→2)


 たとえば無力な人間が、大海を前に佇むしかないのと同じ。砂漠を前に項垂れるのと同じ。でも私には2枚のカードが残っている。
 この闘いの向こうにあるものを私は知りたい。それがどんな形になろうとも、闘いきれば、ぶつかり続ければ自ずと外殻を知ることができる。

「遊戯、城之内、舞さん、……ありがとう。私は、諦めたりしない!」

 たった2枚の魔法カードに目を落とす。《魔導書廊エトワール》と、《魔法再生》。
「(考えろ、考えろ……! まずエトワールは使えない。可能性があるとしたら、───《魔法再生》!)」
 魔法再生ならば墓地の魔法カードを手札に回収するだけなので、《王家の眠る谷》の墓地制限の対象にならない。墓地に捨てたカードで、魔法再生の対象となる通常魔法のカード、そしてこの場を切り抜ける可能性を秘めたもの。

「手札から、《魔法再生》を発動! 私は墓地から《ルドラの魔導書》を手札に加える!」

 たとえば無力な人間が、大海を前に佇むしかないのと同じ。砂漠を前に項垂れるのと同じ。だけど人間は天を見上げ、大海を前に船を作り、砂漠を前に水を背に積む。
 その向こうに自分の求めるものがあるから。

「《ルドラの魔導書》を発動! 手札の《魔導書廊エトワール》を墓地に捨て、デッキから2枚ドローする」

 視界に煌めくものがある。……覚えてる。これはあなたがくれたもの。そして、私から消してくれたもの。
 目を閉じてデッキに向けた指先。一番上のカードに触れると、なまえは目を開いて顔を上げた。イシズの目に、それが赤銅色の肌をした“神の妻”と重なり、畏れすら抱かせた。



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