客室のある方へ通路を進むイシズの背中を、遊戯となまえが見送る。遊戯の手には千年タウクが握られていた。
「……」
 ふう、と息をつくと、遊戯がなまえに振り向いて見上げた。

「顔色が悪いぜ」
「……ええ、ちょっと調子が良くないのかも」
 自然と手が胸に伸びる。痣のあたりに指を這わせるのを、遊戯の目が追った。

「痣が痛むのか?」

 反射的な行動だった。遊戯は何か思うでもなく、ただ自然と苦しむなまえに手を伸ばす。向かい合って千年タウクを握ったままの手で肩を抱き、片方の手をなまえの胸の中心に置く。なまえもそれがまるで当たり前かのように受け入れたが、よくよく考えて何かがおかしいと直ぐに悟る。

「あ、───の、」

 胸に置かれた手になまえが顔を真っ赤にするので、遊戯もハッとしてその手を引っ込めた。

「あ! い、いや、すまない! そんなつもりじゃ……!」

「ひゃッ……!」
 次の瞬間、突然背後に現れた海馬が遊戯からなまえを引き剥がした。
 首に左腕を回して右肩を掴まれ、右手はデュエルディスクを着けていない右の手首を握られる。後ろから抱くような形だが、そんな優しいものではなかった。

「遊戯…… 貴様なんのつもりだ」
「海馬」

「ちょっと海───」
 ギリギリと手首が折れそうなくらい握り締められて「痛い」という言葉で自らの言葉を遮る。胸の痣よりもこっちの方が深刻になりそうだ。

 遊戯が海馬の腕を掴む。
「なまえを傷付けるのはお門違いじゃないのか? なまえを離してやれ」
「……! フン」

 ゆっくりと手首にかけられていた力が抜ける。解放されたジンジンと痛む腕には、白く握られた指の跡が残っていた。だがただで済ます男ではない。なまえの腕を解放した海馬の右手は、そのままなまえの顎から首を掴んで真上を向かせる。

 遊戯の目の前で、海馬はなまえの唇に自分の唇を落とした。

「───!!!」

 ジタバタと暴れて嫌がるなまえを、抱きしめて肩を掴んだ左腕一本で抑え込む。遊戯は固まってそれを眺めることしか出来ない。
 まるで見せびらかすかのように海馬はほんの僅かに唇を離し、舌でなまえの唇の内側を舐め上げた。

「〜〜〜!!! ッはなして!!!」

 やっと体を解放されて遊戯の後ろにまで逃げた。ハーハーと肩で息をしながら、唇を手で拭う。
「な、なに考えて……!」

 海馬との初めてのキスがロマンチックなものでも何でもなく、遊戯に見せびらかすためのものに使われてショックを受けない筈がない。
 だが海馬自身は決してなまえを一瞥もくれる事なく、ただ腕を組んで遊戯と睨み合うだけだった。

「フン。これでハッキリ理解したか遊戯、なまえはもうオレのものだという事をな。……貴様との因縁、同じ女を好きになった点においてオレは既に貴様にまさっている。だがこれはオレにとって前哨戦に過ぎん。なまえがこのオレを誰と比較しようと、オレを選ぶのは当然のことだったからな」
「海馬、貴様……!」
 ギッと顔を顰めて海馬を睨む遊戯に、海馬は勝ち誇ったように鼻で笑った。
 ただ自分の立ち位置を誇示するためだけにキスをされただけでなく、完全に蚊帳の外にされて、苛立ちや悲しみを通り越して呆れさえする。なまえはいま文句を言うだけ無駄だと諦めて、ただ2人の動向を見ているしかできなかった。

「遊戯、貴様にひとつ忠告しておく。貴様は愚かにも、バトルシティの予選で一度も神のカードをデッキに入れていなかったな。……グールズどものタッグデュエルのとき、オレは既に見抜いていた」
「……!」
「いいか! オレ達の闘いにおいてそれは断じて許さん! 貴様にはわかっているはずだ。この決勝トーナメントで、我々は神の領域に足を踏み入れる。3枚のゴッドカードによって、真の強者が選ばれるのだ!
  オレは貴様とマリクを倒し必ず神のカードを手に入れ、世界最強のデュエリストになる!」

 言いたい事を言い終わったのか、海馬はやっとなまえの方へ向いて歩み寄るなり、警戒するなまえの事などお構いなしに「行くぞ」言って腕を掴んだ。
「そんな勝手に……! 離してよ、ちょっと!」
 もう少したりとも遊戯に目を向けることなく、海馬はなまえを引き摺って、レストルームへと去って行ってしまった。

「……」
 ロビーにたったひとり残された遊戯が、千年タウクをポケットに突っ込む。

***

「キャッ……!」
 扉が閉まるなり、横の棚が音を立てるほど強く壁に押しやられた。両肩に海馬の指が食い込み、叩きつけられた背中と頭が痛む。

「い……たい……」

 部屋は明かりひとつなく、窓から差し込むスタジアムのライトだけが海馬のシルエットを映し出した。
「なにするのよ───
 言い終わるより前に、言葉を乗せた吐息ごと海馬の唇に飲み込まれる。……さっきから乱暴な扱いばかり。啄ばむような口付けも次第に深くなり、ついに舌が唇を割って忍び込んできた。
「ン…… ふぅ……ッ」
 やめて、と呟いても言葉にならない。頭では「こんなこといけない」と制していても、なまえは恐る恐る舌を海馬のに這わせた。
「……ッ、はぁッ ……ん、」
 どちらのものか分からない唾液が滴れる。押しやられた背中に感じる冷たい壁はなまえに寒気まで与えているというのに、掴まれているところが熱い。顔が燃えてしまいそうなほど熱い…… 

 リップ音を立てて唇が離される。海馬の目に映った自分の顔が、そんなにいやらしいものだったのだろうか。海馬は我慢できないとでも言いたげにすぐまた唇を重ねて来て、肩を掴んでいた右の方の手がゆっくりと体を這う。
「ちょッ…… や、……」
 肩から這い下りてきた海馬の右の手がなまえの胸に行き当たる。片方の胸をそのまま包むように撫でると、あんな乱暴を働いた同じ手とは思えないほど優しく一揉みした。

「ンんッ……!」

 初めての感覚に体が跳ね上がる。舌で歯列をなぞり犯され、目を閉じているせいで感覚が敏感になっているらしい。服と下着越しとは言え、たったその一度の感触だけで腰が砕けそうなほど体が震えた。

「やめ……!」
「遊戯にもさせたのか?」
「……ッ は?」

 なんで遊戯が出てくるのよ、そう言い返すより先にまた何度目かもわからないキスをされ、海馬に遠慮なく体を触られる。気が付けば左の手も肩から背中に回されてしっかりと抱きしめられていた。

 ぷち、という音と共に首元が緩くなる。
「え、ちょっと待ッ─── ひッ、」
 ゾクゾクと首から肩にかけてこそばゆいものが走る。胸を弄んでいた片手で器用に前ボタンを外し、海馬の唇は首筋や露わになった肩に落とされ始めた。

「い、イヤ、見ないで……!」

 暗闇の中でもブラジャーに包まれた白い乳房がハッキリと浮かんで見えた。その両胸の間にある醜い紫斑も、このまま海馬の目に晒される───
 自分の、女としての弱点を見られる、そう思って咄嗟に海馬が顔を上げる前に思わずその痣を手で隠す。だがそんな反抗が通用する相手でもないのはわかり切っていた。

「いや……!」

 壁伝いにある棚がまた音を立てる。
 両手を掴まれて壁に押しつけられ、なまえはただ唇を噛んで顔を背けた。顔を背けて目を閉じていても分かる。下着で隠しきれない紫斑が、胸の中央をクッキリと染め上げているのを、海馬はいま見ていると。

「───綺麗だ」

「……は?」
 バカにしてるのか、それとも哀れんだのかとキッと海馬を睨みつけるが、その目に嘘など含まれてはいなかった。こんなあられも無い姿を見られている中で目が合ったことにどうしようも無くて、息を飲んで俯く。
 だが自分の知っている体は、そこには無かった。

「……痣がない」

 有るにはあるが、それは生まれてからずっと見ていた自分の知っているものではなかった。もはや体に落とした青いインクを布で擦りとったように薄れていて、痣が海馬が目にしたのを待っていたかのようにさらに薄れていく。

 ───『お前にもうこれは必要ない』

 呼吸を忘れて誰かのその声が頭を揺さぶった。もうあれが誰だったのか、どんな顔をしていたのか、いつ言われたのかさえ覚えていない。あんなに大切にしていたのに。
 あんなに大切なものだったのに。
「(───誰?)」
 目眩と、それだけが理由じゃない視界の滲み。でもそんな感傷を悠長に待ってくれるほど目の前の男が優しくない事をも、なまえは忘れていた。

 ゴツ、と額同士がぶつかる。ほとんど頭突きに近い攻撃に舌を噛み、全ての元凶を見上げる。
「なぜ遊戯は“これ”を知っていた。……見せたのか? 体を」
 見たことのない真剣な眼差しに怯む。口ごもれば追求がもっと苛烈になると分かっているのに、最初から抱いていた罪悪感がなまえの喉につかえて海馬に油を注いだ。
「そ、それは……」
「どこまでだ」
 ギュ、と手を握る力がまた強くなる。見られたくなかった体を好きな男に見られて、なまえからしたらそれどころではない。しかし海馬にとって、自分のものになったはずの好きな女の秘密を、ライバルである遊戯が先に知っていたという事実の方が重大であった。
 なまえの痣のあった体が醜いかどうかなど、海馬からしたら論点ですらない。

「答えろ。遊戯に体を見せたのか?」
「……み、見せた」
「どこまでだ?」
「胸の、痣だけよ……」
「本当にそれだけか?」

 怒りで震える視界に目を細めた。壁に押しやっていた手を引いてなまえを抱き上げると、海馬は足早に運んでベッドに放り出す。
「キャ……!」
 そのままなまえの体に跨って押し倒した。真っ白いシーツの上に広がった赤い髪には、窓から差し込んで反射するカクテルライトの明かりが散らばっている。

「な、なに……を、」

 あまりにも静かだった。
 最初からおかしくなるほど心臓は高鳴っている。でもここへきてその脈拍すら2人の沈黙を邪魔しようとはしない。ゆっくりと開かれる海馬の唇に、ただ黙って目を見開いているしかできなかった。

「オレのものになったという事を、分らせておいた方が良さそうだ」

 ゾクリ、と胸が跳ねた。息を飲んで、ただ震える体をベッドに横たえるしかできない。抵抗は無意味だと理解していた。
「───…、あ、」
 伸ばされた手にギュッと目を閉じる。


 ブルブルと怯えるなまえに伸びた海馬の手は、優しく肩を抱き上げて体を起こさせるだけだった。

 目を開けると、もう自分は海馬の胸に包まれて優しく抱かれているだけで、ただ海馬の心臓が耳に直接当たっているようになまえの頬を叩いている。

「か、海馬……?」
「すまない」

 あの海馬が謝った事に驚いて顔を上げると、モクバにも見せたことがないような顔をした海馬がなまえの視線を待ち構えていた。額やこめかみに軽いキスを落とされて、またそのまま抱き竦められる。

「続きは、決勝戦の後だ」

 パッと体を離したと思えば、海馬はさっさと立ち上がってなまえと距離を置いた。なまえの返事も待たず、そのままドアを開けて部屋を後にする。

「……は?」
 乱れた髪に、服を脱がされかけた自分が窓に映っていた。同時に海馬が凄まじい我慢をしたのだと悟って、なまえは呆然と閉じられた扉を見つめる。
 決勝トーナメントまであと30分、はたして精神状態を元に戻せるのか。

「な、……なんなのよ、」


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